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軽い気持ちで国民的アイドルと友達になったら、周りの美少女達から激重感情をぶつけられる件――え!? トップアイドルの君まで!?  作者: 沢田美


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その先にいつも

 沙也加が次の仕事へ向かったあとも、僕たちはしばらくその場に残っていた。


 ライブが終わったばかりのステージは、まだ熱を帯びている。スタッフたちの動きは慌ただしいままだったが、どこかに大きな山を越えた安堵があった。誰かが「初日、最高だったな」と言い、別の誰かが「次もこのまま行こう」と返す。そのたびに、白須賀沙也加という名前の重さが少しずつ現実へ戻ってくる気がした。


 あのステージは奇跡ではない。


 沙也加だけが一人で作ったものでもない。


 数え切れないほどの人が支えて、準備して、調整して、彼女がその中心で全力を出し切った結果だ。


 だからこそ、胸が熱かった。


 僕がぼんやりと沙也加の消えた通路を見ていると、隣で天雨が静かに口を開いた。


「沢渡くん」


「なに?」


「今日の白須賀さんを見たら、簡単に諦めるなんて言えないわね」


 僕は一瞬、意味を取り違えそうになった。


 天雨はステージの方を見たまま続ける。


「あんなに強い人に勝ちたいなんて、普通は思わない。でも、だからこそ、自分の気持ちを雑に終わらせたくもない」


 その声は落ち着いていた。


 けれど、完全に乾いてはいなかった。


 沙也加のステージは、彼女たちを黙らせた。白須賀沙也加の凄さを見せつけた。けれど、それで全員の想いが綺麗に消えるほど、人の心は単純ではない。


「美鈴さん」


「大丈夫。今日、あなたを困らせるつもりはないわ」


 天雨は少しだけ笑った。


「今日は白須賀さんの日だから」


 その言葉に、僕は何も返せなかった。


 柊先輩も近くで腕を組んでいた。


「同感ね。今夜くらいは、白須賀さんに全部渡してあげなさい」


「柊先輩まで」


「あなたは放っておくと、全員の感情を均等に気にしようとするでしょう」


 図星だった。


 桜井会長が横から楽しそうに頷く。


「裕二くんの悪いところだよね。優しいんだけど、その優しさで余計に火をつけるタイプ」


「会長、それ褒めてませんよね」


「褒めてないよ?」


 即答だった。


 玲音は少し離れたところで、壁に背を預けていた。彼女は僕と目が合うと、ふっと笑う。


「今日は沙也加に譲ってあげる。あの子、終わったら絶対ぐちゃぐちゃになるから」


「ぐちゃぐちゃ?」


「感情がね」


 玲音の言い方は軽いが、目は真剣だった。


「ステージでは最後まで保った。だから反動が来るわよ。嬉しい、怖い、安心した、寂しい、裕二に会いたい、裕二を独り占めしたい。全部まとめて来る」


「……想像できるな」


「でしょうね」


 玲音は肩をすくめた。


「受け止めなさいよ。彼氏なんだから」


 あまりにも当然のように言われて、僕は頷くしかなかった。


※ ※ ※


 それからしばらくして、マネージャーさんが僕だけを呼びに来た。


 表情は仕事の人のそれだったが、どこか少し困っているようにも見えた。


「沢渡くん、少しだけ時間取れる?」


「はい」


「沙也加が、どうしてもあなたと話したいって。囲みとコメント撮りの合間だから、本当に短いけど」


 周囲の視線が一斉に僕へ向いた。


 天雨は何も言わなかった。


 柊先輩も、桜井会長も、玲音も、結城も。


 ただ、それぞれが違う表情で僕を見ていた。


 僕は小さく息を吸った。


「行ってきます」


 そう言うと、桜井会長が笑った。


「行ってらっしゃい、彼氏くん」


 柊先輩が静かに付け加える。


「ちゃんと迎えてあげなさい」


 天雨は最後に一言だけ言った。


「白須賀さんを泣かせないように」


 それは、泣かせるなという意味ではないのだと思った。


 泣くなら、ちゃんと泣かせてあげろ。


 そういう意味にも聞こえた。


※ ※ ※


 マネージャーさんに案内された小さな控室の前で、僕は一度足を止めた。


 扉の向こうに沙也加がいる。


 さっきまで何万人もの前で歌い、笑い、ステージを支配していた白須賀沙也加がいる。


 けれど、たぶん今そこにいるのは、僕に「ただいま」と言いたい沙也加だ。


 ノックをすると、中から小さな声が返ってきた。


「どうぞ」


 扉を開ける。


 控室の中には、白い衣装のまま椅子に座った沙也加がいた。


 メイクはまだ落としていない。髪も完全には直していない。タオルを肩にかけ、膝の上には飲みかけの水が置かれている。ステージの光を浴びたまま、彼女だけが少し現実から取り残されたようにそこにいた。


 僕が入ると、沙也加はゆっくり顔を上げた。


 その瞬間、彼女の表情が崩れた。


「裕二」


「ああ」


 僕が近づくより早く、沙也加が立ち上がった。


 けれど、足に力が入りきらなかったのか、少しふらつく。僕は慌てて手を伸ばし、彼女を支えた。


「危ないだろ」


「……ごめん」


 沙也加は僕の腕の中で、少しだけ笑った。


「脚、今さらライブしたことに気づいたみたい」


「遅いな」


「うん。すごく遅い」


 そんな冗談を言いながら、沙也加の指は僕の袖を掴んでいた。


 いつもの癖だ。


 教室でも、階段の踊り場でも、机の下でも、何度も見た仕草。


 ただ、今日はその力が少し弱かった。


 限界まで走り切った後の手だった。


「沙也加」


「うん」


「すごかった」


 言いたいことは山ほどあった。


 綺麗だった。かっこよかった。圧倒された。ファンを熱狂させていた。会場全部を掴んでいた。僕の知っている沙也加より、ずっと遠くて、眩しくて、それでも同じ沙也加だった。


 けれど、最初に出てきたのは、その一言だった。


「本当に、すごかった」


 沙也加は目を見開いた。


 それから、唇を噛んだ。


 我慢している顔だった。


 ステージの上でこぼさなかったものを、まだ必死に押し留めている顔だった。


「……ちゃんと、白須賀沙也加だった?」


「ああ」


「最後まで?」


「最後まで」


「変じゃなかった?」


「変なところなんてなかった」


「裕二を見すぎてなかった?」


「少しだけ見られた気はした」


「だめだった?」


「いや」


 僕は首を横に振った。


「嬉しかった」


 その瞬間、沙也加の目から涙がこぼれた。


 一粒だけ。


 それを合図にしたみたいに、彼女は僕の胸元へ額を押し当てた。


「……よかった」


 声が震えていた。


「怖かった。ずっと怖かった。始まる前も、始まってからも、途中で足が動かなくなったらどうしようって、声が出なくなったらどうしようって、みんなの期待に届かなかったらどうしようって」


「ああ」


「でも、楽しかった」


 沙也加の手が、僕の服を掴む。


「すごく、楽しかった」


「ああ」


「ファンのみんなが見てくれて、名前を呼んでくれて、歌ったら返してくれて……私、まだ行けるって思った。もっと遠くまで行けるって思った」


 僕は彼女の背中を支えながら、静かに聞いていた。


 沙也加は泣いている。


 けれど、これは悲しい涙ではなかった。


 走り切った人間の涙だった。


 怖さを抱えたまま、それでも前へ進み、眩しい場所に立ち続けた人の涙だった。


「でもね」


 沙也加は少しだけ顔を上げた。


 涙で濡れた目が、まっすぐ僕を見る。


「終わった瞬間、一番最初に思ったの、裕二に帰りたいだった」


 胸が、痛いくらい熱くなった。


「みんなの前で歌えて嬉しかった。スタッフさんにもありがとうって思った。ファンのみんなにも、もっと歌いたいって思った。でも、その全部のあとで、最後に帰りたい場所は裕二だった」


 重い。


 あまりにも重い。


 けれど、その重さを逃げたいとは思わなかった。


 僕は沙也加の肩へ手を置く。


「帰ってきただろ」


「うん」


「なら、何回でも言うよ」


 沙也加が、小さく息を呑む。


「おかえり、沙也加」


 今度こそ、彼女は泣いた。


 声を上げるほどではない。


 けれど、我慢を解いた涙だった。


 白須賀沙也加ではなく、沙也加として泣いている涙だった。


 僕は何も言わずに、彼女を支えた。


 外ではまだスタッフの声が聞こえる。次の仕事もある。囲みも、コメント撮りも、クールダウンも残っている。彼女はこのあとまた白須賀沙也加へ戻らなければならない。


 だからこそ、今だけは。


 この数分だけは、沙也加でいさせてあげたかった。


※ ※ ※


 しばらくして、沙也加は涙を拭った。


 メイクが崩れないように、器用に、けれど少しだけ慌てながら。


「やばい。メイクさんに怒られる」


「泣いたのは僕のせいじゃないぞ」


「裕二のせいだよ」


「何で」


「おかえりって言うから」


「言えって言ったのは沙也加だろ」


「そうだけど、言い方がずるかった」


 いつもの理不尽が戻ってきた。


 僕は少し安心した。


 沙也加もそれに気づいたのか、涙の残る顔で少し笑った。


「ねえ、裕二」


「なんだ」


「今日の私、好き?」


 質問が真っ直ぐすぎて、僕は一瞬言葉に詰まった。


 沙也加は僕を見上げている。


 さっきまで何万人を熱狂させたトップアイドルが、今はたった一人の答えを待っている。


 その差が、どうしようもなく沙也加らしかった。


「好きだよ」


 僕は答えた。


「今日の白須賀沙也加も、今の沙也加も」


 沙也加の目がまた揺れた。


「……裕二、今日ちょっと強い」


「彼氏として仕上げろって言われたからな」


 沙也加は一瞬きょとんとしたあと、泣き笑いみたいな顔になった。


「仕上がってる」


「それはよかった」


「でも、仕上がりすぎると困る」


「何でだ」


「もっと好きになるから」


 やっぱり重い。


 でも、今夜の僕はその重さをちゃんと受け止めたかった。


 沙也加は僕の袖を掴んだまま、小さく続ける。


「明日から、また次の公演の準備が始まるの」


「ああ」


「今日成功したから終わりじゃない。むしろ、ここからずっと続く」


「全国ツアーだからな」


「うん。だから私、また怖くなると思う。疲れると思う。嫉妬もすると思う。裕二の一日を知りたがると思う」


「最後のはいつもだろ」


「うん。いつも」


 沙也加は否定しなかった。


 そして、少しだけ真剣な目になる。


「でも今日、分かったの。私はステージに立てる。怖くても立てる。でも、帰る場所がないと、たぶん立ち続けられない」


 その言葉が、深く刺さった。


「だから裕二」


「うん」


「これからも、私の帰る場所でいて」


 それは告白ではなかった。


 お願いでも、命令でもない。


 もっと根の深い、沙也加の本音だった。


 僕は彼女を見つめ返した。


「いるよ」


 沙也加の指が震える。


「全国回っても?」


「回っても」


「何万人に名前を呼ばれても?」


「呼ばれても」


「私が面倒でも?」


「今さらだろ」


「嫉妬深くても?」


「知ってる」


「裕二ノート作っても?」


「それは要相談」


「そこだけ厳しい」


 沙也加は涙の跡を残したまま笑った。


 その笑顔は、ステージの上のどんな笑顔よりも近かった。


 その時、扉の外からマネージャーさんの声がした。


「沙也加、そろそろ」


 沙也加は小さく息を吸った。


 そして、僕から一歩離れる。


 涙を拭い、背筋を伸ばし、呼吸を整える。


 そのわずかな数秒で、沙也加はまた白須賀沙也加へ戻っていく。


 けれど、完全に戻る直前、彼女は僕へだけ小さく笑った。


「行ってきます」


「ああ」


 僕も、いつものように返す。


「行ってこい」


 沙也加は頷いた。


 そして扉を開け、スタッフの待つ通路へ出ていった。


 白い衣装の背中が、再び仕事の光へ向かっていく。


 僕はその背中を見送りながら、胸の奥で静かに思った。


 全国ツアー初日は終わった。


 でも、沙也加の物語はまだ終わらない。


 彼女はこれから何度もステージへ立ち、何度も遠くへ行き、何度も白須賀沙也加として人々を熱狂させる。


 そして、そのたびに。


 僕はきっと、彼女に言うのだ。


 おかえり、と。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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