*3*
次の日の早朝。
昨晩はまったく眠れなかった。早く翳とつららに会わなければという焦りはどんどん大きくなっていくが、そのための方法が全く思い浮かばない。時折、トラウマのようにツバキの悲しげな笑顔が浮かんできて胸が苦しくなる。
優は忌々しげな声を上げて布団を跳ね除けると、厚手のどてらに袖を通して部屋を飛び出した。広い空を見て、頭の中を一度からっぽにしたかった。
玄関を出ると同時に、真っ白な息が視界を遮る。見上げる空は雲ひとつなく、紫からオレンジへの見事なグラデーションに塗り上げられている。このまま散歩でもするか・・・。そう思いながら歩き始めた優は立ち止まった。自分の視界の違和感に気づいたからだ。
なんで、これがここに。
優は振り返った。玄関の前に、河川敷で乗り捨てたはずの自転車がスタンドを立てて鎮座している。多角形だった車輪も円形に戻っていた。新品になったわけではない。ご丁寧に修理されている。優は自転車に向かってそろそろと歩き始めた。その目にさらに意外な物が映った。
一本の使い込まれた木刀が、自転車に立てかけてあった。優は飛びつくように駆け寄った。体をぶつけて自転車が倒れそうになる。
木刀を拾い上げた手は震えていた。その柄に、
「つばき」
と、ヘタクソな字が掘り込んであったからだ。
優はきつく木刀をにぎりしめたまま、他に何かないか見回した。その目に、自転車の前カゴに入っている手紙が映る。優はしっかりと木刀を脇にかかえ直し、あたふたと手紙を開いて読み始めた。
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宮ヶ瀬 優 様
ツバキが大事にしておりました物を、
形見分けとしてお届けいたします。
あなた様のご多幸を心から願っております。
道志 楓
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掃除機のようにメシを掻き込む二人をテーブルの向こうに回して、優は沈鬱な表情をしていた。この二人の爽快な食いっぷりを見れば少しは気が晴れるかと思ったのだが。
優のそんな様子にさすがに気づいたのか、ナギが茶碗を下ろして言った。
「朝からなんじゃ、しけたつらをしおって。メシがまずくなるわ。お前ではなく廻姉がいてくれればメシも万倍美味くなろうに」
皿まで食いそうな勢いのくせに。ナミに至っては茶碗を下ろそうともしない。
「むめまむまま」
優はテーブルの端に置いてあったカエデからの手紙を取り、無言でナギに渡した。ナギは茶碗を下に置くと、短い腕を必死に伸ばしてそれを受け取る。
「・・・どういうことじゃ、これは」
手紙を読み終わったナギの表情は、真剣なものに変わっていた。そういえば、この二人はツバキがまだ道志の屋敷にいると思い込んでいるのだった。
優はツバキとの別れを二人に説明した。
「・・・だから、ツバキはあの家にいない。どこかに行ってしまったんだ」
「つうことはなんじゃ、儂らは相手もおらん所に入ろうと足掻いておったのか!」
「なんたる!!」
二人は箸を握り締めながら怒り始める。が、それも長続きはしなかった。メシを食う快感がそんなものを許さないらしい。ナギはふんと鼻をならして再び茶碗を持ち上げ、箸でしゃけの切り身をつつき始めた。ナミは黙々と食事の作業に戻る。
「・・・じゃが、これはちと妙よな」
ナギの言葉に、優は顔を上げた。
「なにが?」
「いやな、鬼姫・・・カエデのことだ。あ奴が、形見分けなどというしおらしい事をする訳がないと思ってな。気のよい老女の如き振舞いでもって煙に巻いておるが、あ奴の中身はそらもう恐ろしいものよ。儂の知る鬼姫は、こんな感傷的なことはせん」
ナミも口をもぐもぐさせながら頷く。
その隣で、ナギは箸先を上に向けてグルグル回しながら言葉を続けた。
「あ奴の闘いを何度か見たが、絶対に敵にも味方にもしとうないな。使えぬ味方は冷酷に切り捨てよるし、ためらいなく人質ごと斬る。儂らの界隈では死の代名詞であったわ。鬼姫が来るぞとな」
二人の物騒な言葉と、あの優しそうな老婆の姿が全く重ならない。
「あれのすることだ、きっと、その木刀を寄越してきたのも何か意味があるのだろうよ」
そう言って、味噌汁に手を付け始める。こいつなりに元気付けてくれているのだろう。そう思うと嬉しかった。心の荷が僅かに降りて、優は笑みを浮かべていた。
*
二週間ぶりの学校で、優は今朝の出来事の意味を考え続けた。帰宅する頃には、その考えもだいぶ固まっていた。形見分けではないという前提で考えるなら、ツバキを取り戻したければ強くなれという意味しか思い付かない。
しかし強くなれったって、こいつをひたすら振ったところでどうにもならん。テレビの前でエキサイトしていた双子に菓子パンを餌にして相談すると、彼らは目を輝かせながら乗ってくれた。
「雪山で見たお前は中々に速かったが、儂の人形にも叩きのめされる程度でしかないからのう。まぁ、カエデが欲しがるような者ではないな」
ナギの言葉に、口をモグモグさせつつナミが頷く。というかこの子はずっと食いながら頷いてるだけだな。
「お前、何か儂らに隠しておるだろ。あの婆さんが直々に誰かを気に掛けるなぞ、相当な事だぞ」
優は、乗り出していた体を引いた。彼はつららの言葉を思い出していた。急に黙り込んだその様子を見ながらナギが言葉を継ぐ。
「・・・まぁ、そういう反応になるのも致し方ない。儂の勘繰りが正しければ、お前の秘密が公然となったら、まず廻姉の身が危うくなる。誘拐されてお前を操るための道具にされるであろう。用心せざるを得んな」
優は冷たいものが体に走るのを感じる。それは頭に無かった。ならば尚更ではないか。
「だからこそだ。儂らに相談せい。お前を見ていると危なっかしくて心臓に悪いわ」
ナギは優の考えを見透かすように不敵な笑みを浮かべた。
信じていいのだろうか。話が出来すぎているように思えなくもない。だがもし双子が接続者としての優を欲しているのなら、とうの昔に廻を拘束しているだろう。彼ら自身が言うように。
優は短く息を吐き出した。
そして、今までの出来事をナギに話しはじめた。




