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ツバキが振り向いた先には、杉の木に手を置いて一人の少女が立っていた。ダウンのポケットに残りの手を突っ込み、落ち着き払った表情をしている。
ツバキはあっけに取られていた。いくら気を抜いていたとはいえ、こんな至近距離で気配を感じない訳がない。そういう訓練を受けてきたつもりだった。
ツバキの驚いた様子に、少女は申し訳なさそうな顔をした。
「人に見られなければ、泣いた事にはならぬ。恥じぬとも良い。私もよく一人で泣く」
十歳くらいの子供の言う台詞ではない。
「む、儂が見てしまったか。まぁ、たまに泣くのは良いこと。さておき。そちらに行けば死ぬ。引き返せ」
ツバキが何かを言いかけた時、彼女はそれを遮るように言葉を継いだ。
「下の道で大きな猿が暴れておる。お前程度ではすぐにくびり殺されるぞ」
ツバキはその言葉に体を乗り出した。
「大きなサル!?どんなサルなんだ!!」
「遠目なのでよう見えなんだが、人ほどの大きさはあったな。やたらとはしっこい奴だったわ」
優だ!!
ツバキは歓喜に包まれ、獣道を再び下ろうと足を踏み出した。それを、再び背後の少女が制止する。
「刀も持たんでは技も使えぬであろう、行ってどうなる!下では既に、お前より腕の立つ者が何人も昏倒しておるわ。あの猿に会いたいのであれば、儂を必ず追ってくるのでいつでも会えよう。ひとまずは体勢を整えよ」
ツバキはそろそろと振り返り、少女の顔をまじまじと見つめた。
なんなんだ、こいつは。
*
テントからレトルトパックを二つ持ち出したツバキは、ガスバーナーで沸かしている湯にそれらを沈めた。
湯の中で踊るそれを眺めながら、彼女はポケットに収めたスマホを撫でた。
ここに戻る途中で、警察を呼ぶという案は少女に却下されていた。確かに、呼んでも犠牲者が増えるだけだろう。山狩りになって優が殺される可能性すらある。
その少女はというと、テントの周りを囲むように雪に何かを刻んでいた。やがてその作業が終わると、彼女はこちらに駆け寄ってきて、ガスバーナーの前に置かれた携行用の椅子に座った。
「これでしばらくの間は、誰も儂らに気づかん」
そう言ってからずっと、しげしげと鍋の中に視線を注いでいる。
「変わった容器よな!飯なのであろう?」
少女の嬉しそうな横顔を、ツバキは疲れた表情で眺めた。聞きたいことが山ほど頭の中で渦巻いている。ようやく最初に聞くべき事を決めると、彼女は口を開いた。
「なぁ、名前は?どう呼んだらいい?オレは道志ツバキ」
少女は視線を微動だにせず答えた。
「儂は三十槌氷。つららと呼ぶがいい。お察しの通り、お前たちのお仲間よ。儂も変なものがいつも見えているクチだ」
いつものツバキならば驚くなり、根掘り葉掘り聞きはじめたりしただろうが、今の彼女の頭にあるのはたった一つの事だけだった。それを小さな女の子に頼るのも妙な話だが、この子にはそう思わせる何かがあった。
「つらら、オレはお前が見たサルを追っている。あいつを捕まえて、何とかして正気に戻したいんだ。お前、オレたちと同類って事は何かの力を持ってるんだろ、それでオレの手助けをしてくれないか。代わりに、オレはお前に何でもしてやる」
つららは驚いた顔をした。
「なんだ、お前がアレにまみえたがっておったのは、奴の飼い主だったからか。てっきり仇か何かかと思うておったわ」
ツバキは複雑な顔をした。
「アイツは今獣みたいになっちまってるが、れっきとした人間なんだ。昨日の夜中に突然豹変して、ここから逃げちまった」
そう口にしながら、ツバキは深い苦悩がのし掛かってくるのを感じた。あの優が人を襲う。全く実感が湧かない。
「ふーん・・・てっきり、あれは儂を狙ってどこかが放った凶手かと思うておったわ。手伝うもなにも、共に当たるのは儂にとっても悪くない。とはいえ・・・」
つららは顎の下を掻いた。あまりに年齢に似つかわしくない仕草だった。
「手がかりが無さすぎる。そやつの残した品でも調べてみるか。ま、その前に腹ごしらえだな」
つららは満面の笑みを向けてきた。ツバキは焦る心を何とか押さえ付け、鍋に手を伸ばした。
*
ルーだけのレトルトカレーを、つららは涙を流さんばかりに楽しんで食べた。いつものツバキならその様子を面白がっただろうが、今は焦りが彼女を支配してしまっている。食事もそこそこに、ツバキは彼女を急かすようにテントの中へと案内した。
つららはすぐに一つの品に注目した。
忘却の鉄槌だ。
「これはまた禍々しい」
彼女は汚物を避けるかのように、床に置いたそれから距離を取った。
「まるで呪いの品だな。これが原因で間違いなかろう」
「・・・こんなガラクタが?」
「これで頭をはたかれた者は、「つよさ」の数値を自在に変更できるのよ。大方、無茶な変更を自分に加えたのだろうて」
ツバキはつららの襟元につかみ掛からんばかりだった。
「それ、どうにかして治せんのか?!」
「少なくとも、儂には無理だ。これでもう一度はたいて、自分で自分の数値を元に戻させるほかあるまい。ただ、その知能があるかどうか」
「猿にんなこと出来るわけねぇだろ!他に方法は無いのか?」
「無いことも無いが、望み薄よな・・・さしあたって、儂にも、あの猿を無力化する手伝い位はできよう。まずは捕獲して、それから策を考えるがよかろうな」
*
二人は、出会った場所へと戻るべく獣道を歩いていた。
優を発見した時にどう戦うかは、既に打ち合わせてあった。その内容は充分に期待が持てるものだった。
何とかなる。
ツバキは、右手に持った木刀を握りしめた。
その後ろを歩くつららは、ライトや行動食を入れたビニール袋を抱えていた。彼女はしきりとその行動食・・・パンやクッキーに視線を注いでいる。
「もうそろそろ、食ってよいか?」
100メートル歩く度に聞いてくる。
面倒になったツバキは、どれか一つを食べてよいと許可を出した。
つららが破顔した。彼女は嬉々としてビニール袋に手を突っ込み、あんぱんを取り出して包装を破く時間も惜しいとばかりにかぶり付いた。
振り返ってその様子を見たツバキは、自分が微笑んでいる事に気づいた。こんな時でも笑えるとは。
彼女は視線を前に戻すと、背中越しに彼女に話しかけた。他の聞くべき事を優先するあまり、聞き損ねていたことだ。
「つらら、なんでオレがお前の同類だって分かったんだ?あの変な金槌の事も見ただけで全て分かったみたいじゃないか」
つららは口のなかにパンを一杯に入れたまま、それに答えた。
「なに、儂の不幸の理由がそれなのよ。儂は「接続者」とそうでない者を一目で見分けられるし、彼らと、その被造物の持つ能力を盗み見る事も出来る」
何となく予想していた答えより、もっと妙な答えが返ってきた。
「せつぞくしゃ?」
「儂と、一部の人間がそう呼んでおる。勢力によって神官、巫覡、審神者、予言者。呼び名は様々だ。儂は接続者が一番しっくりくる呼び名だと思っておる」
「・・・オレたちみたいなのが、沢山居るってことか」
その言葉を笑いながら、つららは言った。
「儂らはその中でもひよっ子よ!既にこの二千年の間に、少なくとも数千人は接続者が存在しておったはずだ」
「今は何人くらい居るんだ?」
「わからん。おそらく数十といった所だろう。大抵の者は自分が病にかかったと思って隠したりするからの、全てを見つけることはできん。時代によって接続方法も変わる・・・例えば音声だったり、映像だったり、直感だったりとな。そやつらが、自らがおかしゅうなったと思うても不思議ではあるまい」
「で、オレたちはこの変なウインドウってわけか」
「うむ。儂らのこれは控えめに言うて糞よの。風情の無いことこの上ないわ」
ツバキは激しい怒りが沸き上がってくるのを感じた。
「一体誰がこんなもんでオレたちを弄んでやがるんだ!?」
つららは苦笑した。
「この能力は誰もが望んでいるものだぞ?全人類の中からたった数十人だけが授かる幸運だ」
「こんなもん幸運じゃねぇ!人をおかしくするだけだ!そもそもお前も自分が不幸だっつってたじゃねーか」
「・・・その怒りとは折り合いをつけよ。授かった以上、お前は自分の能力を伸ばさねばならん」
ツバキは沈黙した。納得がいかないのだった。
つららはその感情を彼女の背中から感じ取っていた。
「・・・ツバキ、儂はお前が気に入った。だから忠告だ。お前、自分が接続者であることを誰かに告げておらんだろうな、その、優とかいう男以外に」
「世界があと一年で滅びる、っつのは、何人かに話しちまったな・・・でもそれだけで、全部話したのは優だけだ」
「ううむ・・・まぁこれからは、それも止めておけ。絶対に気取られぬようにせよ。儂とつるんでいる事すら、実はかなり危うい」
「かまわねーよ、お前に借りを作るんだから、それを返すまでは死んでもお前に付きまとうからな」
「ありがたいな。ともかく、忠告したぞ」
苦笑しながらそう言ったつららの顔が、直後真剣なものに変わった。
ツバキは立ち止まった彼女に即座に気づくと振り返った。
「どうした」
「儂の結界に、何かが入ってきた」
「優か!?」
「わからん・・・だが、近づいてきておるようだ。ここは場所が悪い。先ほど通った開けた場所に戻るとしよう」
ツバキは頷くと、つららを先に走らせて元来た道を戻り始めた。




