4-10 労災は無理そうだけど、彼女は納得してない
◇
月曜日の朝。
騒がしい雁や白鳥たちの声で目が覚めた。
渡り鳥たちは、しばらくはこの調子だ。
カーテンの隙間から、白い光が差し込んでいる。
どこか時間の流れが止まったような、穏やかな空気が部屋に満ちていた。
そういえば、今日は祝日だ。
こんな空気を感じるのは久しぶりだった。
ゆっくり起き上がろうとした瞬間。
階段から軽やかな足音がして、ドアがコンコンと控えめに叩かれた。
「颯太さん、起きていますか」
「……あ、うん。起きてる」
昨日に引き続き、まるで見えないセンサーでもついているようなタイミングの良さだ。
扉を開けて顔を覗かせたおこめさんに「どうしてわかったの?」と尋ねると、彼女は眼鏡の奥の瞳を悪戯っぽく細めた。
「そろそろかなと思いまして。……おはようございます、颯太さん」
ダスティブルーのワンピースに身を包んだおこめさんは、今日も素敵だ。
だけど。
2日続けて起きた瞬間に扉を叩かれた。
「あ……うん。すごい。本当に。……おはよう」
おこめさんのことは大好きだけど、タイミングが良すぎて怖いくらいだった。
唇に柔らかい感触。
「おはようございます」
至近距離のおこめさんは、いい匂いがする。
僕からも、おはようのキスをした。
朝ごはんを食べた後。
おこめさんはノートパソコンを持って、そそくさと外に出ようとしている。
「リモート会議があるので、颯太さんの車お借りしますね」
びっくりした。
「え、良いけど、祝日なのに?」
「ええ。外国との会議なので日本の祝日は関係なくて」
「そっか。え、もしかして英語で!?」
「はい」
「すげー……」
おこめさんは別に気負ってる感じでもなく淡々としていた。
祝日の朝から英語のリモート会議なんて、僕なんかには想像もつかない。だけど、おこめさんにとっては普通のことらしい。
おこめさんは、正真正銘シゴデキのハードワーカーだ。
こんな形で改めてそれを実感する。
でも不思議と悪い気分じゃなかった。
しばらくして、おこめさんが戻ってきた。
「お待たせしました」
「お疲れ様。うまくいった?」
「おかげさまで」
リビングのソファに二人で座ってのんびりしていると、玄関チャイムが鳴った。
「顔見にきたよー」
「お、思ったより元気そうじゃん」
大輝だった。翠、浩太郎、遥香も一緒だ。
先日、おこめさんと一緒に飲んだ四人組。
一気に玄関が賑やかになる。
「彩夏さんも来てたんだ。さすが」
「もちろんです!ご連絡ありがとうございました」
「いやいや。颯太の姉ちゃんに頼まれただけだし」
浩太郎が僕の肩に手をついた。
「颯太、お前ほんと幸せ者だよな」
「うん」
「……え、否定しないの?」
「いや、そりゃそうだよ」
おこめさんが隣で嬉しそうに僕の手を握った。
「おーおー。見せつけてくれるね」
思わずおこめさんと微笑みあった。
母さんがジュースを出そうとしたけど、浩太郎が「俺たちすぐ帰るんで」と遠慮した。
「え、もう?」
「顔見れたし。元気そうだし」
「いや、せっかく来たんだから、もうちょっと……」
「二人の邪魔するのもアレだしねー」
四人は笑いながら、あっという間に帰り支度を始めた。
帰り際、大輝が僕の耳元に顔を寄せてきた。
「……彩夏さんを、これ以上心配させんなよ」
「わかってる」
僕は短く答えた。
ありがたい親友達だった。
昼ご飯のあと、覚悟を決めて会社に電話をする。
祝日だけど月曜日だから工場は動いている。
皆も普通に出勤してるはずだ。
大事なことはご家族にサポートしてもらうように、というお医者様の言うことを思い出す。
スピーカーフォンにして、おこめさんにも聴いてもらうことにした。
班長の木村さんが出た。
「田中くん、大丈夫だった? 退院できてよかったよ」
嬉しかった。
温かい言葉だった。
「あの、今回工場で倒れたので労災の相談をしたいんですけど……」
「あー、ごめん。それは俺の担当じゃないんだよ。総務にまわすね」
そう言って、総務に転送してくれた。
「はい、総務です」
「あの……、揚げ物ラインの田中と申します。先日、工場での作業中に倒れて入院しまして。労災のご相談がしたくて」
「田中さんですね。事故のことは聞いていますが、労災にはなりませんよ」
一刀両断だった。
「えっと、でも、工場の作業中に倒れたんですが」
「工場で倒れただけでは不十分なんです。工場での勤務に起因して倒れた、という因果関係が必要でして」
何を言われてるか分からなかった。
「田中さん、他でバイトしてましたよね。疲れ気味だったとも聞いています。うちは残業もさせていない。バイトがなければ倒れなかったんじゃないですか」
そういうことか。それを言われると、痛い。
「え。ええ……」
「でしょう? うちのせいじゃありませんから。労災は無理です」
冷たく、断固とした声だった。
「働けるようになったら、また連絡してください。田中さんが抜けた穴は、今のメンバーで回しますので。体調管理できない人だと現場が混乱するんで次はないですよ。お大事に」
僕の返事も聞かず、そのまま電話が切れた。
頭を抱えた。
そうだよね……。
バイトを詰め込んでたのは、僕だ。
言い訳のしようがない。
だけど入院の費用もかかるし、いつ仕事に復帰できるかもわからない。
日当が消えると、生活がきつい。
顔を上げて、おこめさんに言う。
「労災、ダメだって。バイトで無理してたのは本当のことだし、しょうがないけど……。でも困ったな……」
おこめさんは、真剣な顔で何か考えた。
それから静かに言った。
「颯太さん。工場での作業中に倒れたんですよね」
「うん」
「もうちょっと聞かせてください。」




