4-8 荒れた日本海を見ると楽しい
◇
朝、目が覚めた。日曜日だ。
頭は昨日よりスッキリしていて、身体も軽くなった。本調子には遠いけど、着実に回復している。
下で誰かが料理をする音が聞こえる。
廊下から、軽やかな足音がした。
ドアがコンコン、と静かに叩かれた。
「颯太さん、起きていますか」
「起きてるよ」
扉が静かに開き、メガネ姿のおこめさんが顔を覗かせた。
エプロンをつけている。
エプロンの下は、淡い水色のクルーネックとチャコールのワイドパンツだ。
柔らかいけどしっかりした女性、という感じ。
おこめさんは、本当にオシャレを忘れない。
僕の顔を見て、眼鏡の奥の目が、ふっと緩んだ。
「おはようございます。顔色、良くなりましたね」
「おはよう。……下で何か作ってたの?」
「はい。お母様に、お味噌汁のコツを教わっていました」
おこめさんは、朝から母さんと台所にいたのだ。
「お母様」という言葉遣いを自然に使っている。
うちの家族に溶け込むために無理におもねっている感じもなく、おこめさんの育ちの良さを感じた。
きっと、しっかりとしたご家庭で育ったんだと思う。
皆で一緒に朝食を食べる。
うちの家で和食の朝ごはんは、久しぶりだ。
しかも、僕が好きな新発田麩のお味噌汁だった。
「颯太さん、どうですか?」
隣に座ったおこめさんが、僕の顔をじっと見ている。
「うん、おいしい」
「やった!」
おこめさんが、胸の前で小さく拳を握った。
「颯太さんの好きな味、覚えたかったんです」
「……そんなこと言われたら、もっとおいしく感じるよ」
「本当ですか?」
「うん。作ってくれてありがとう」
「はいっ」
おこめさんが、嬉しそうに笑った。
つられて、僕まで顔が緩んでしまう。
「……あのね、二人とも」
母さんが、呆れたように口を開いた。
「お味噌汁、冷めるわよ。さっきから見つめ合ってばっかり」
「えっ」
気がつけば、僕もおこめさんも、箸が止まっていた。
慌ててお椀を一口すする。
おこめさんをちらっと見たら、お麩をモグモグしていた。
……目が合った。
何となく恥ずかしくなって笑っちゃう。
おこめさんも微笑む。
「ほら、また!」
母さんが笑いながらそう言った。
朝ごはんを食べ終えてのんびりと過ごす。
いつも通り、適当なテレビがついていた。
「本日は、商業不動産投資の魅力について、第一人者である鵜飼俊彦さんにお越しいただきました」
テレビでは派手なネクタイをした男が、滑らかな口調で語っている。
最近、よく目に入る人だ。
「うちも、少しはこういうの考えたほうがいいのかねぇ」
母さんが何気なく呟いた。
その言葉が、空気の中に溶けようとしたとき。
おこめさんが立ち上がった。
「……すみません」
突然リモコンを取って、テレビの電源を切った。
居間が、シン……と静まり返った。
父さんも驚いた顔をしている。
「おこめさん……どうしたの?」
僕は尋ねた。
おこめさんは、僕と母さん、父さんの目をひとりひとり見ながら、はっきりと言った。
「鵜飼は詐欺師です。私は個人的にも、彼の腐った人間性を知っています」
仮面のように固く、冷たい顔だった。
「騙されないでください。アレは、人を食い物にして生きてきた男ですから」
吐き捨てるような口調だった。
リモコンを握る指は力が入って白くなっている。
暖房が効いた室内なのに、背中に冷たい風が当たった気がした。
「う、うん。ありがとう……」
母さんが、戸惑いながら頷いた。
「ごめんなさい、雰囲気を壊してしまって。別の番組にしましょうか」
おこめさんは柔らかく微笑んで、テレビをつけた。
のどかな旅番組が流れ出す。
画面の中で誰かが温泉に浸かって「最高ですね」と言っていた。
おこめさんの横顔は、さっきの表情が嘘のように和やかだ。
温かな笑顔で、母さんの話に相槌を打っている。
でも、僕の頭の中では、さっきのおこめさんの冷たい顔と声が焼き付いたまま、離れなかった。
テレビを突然消したことも含めて、全部がおこめさんらしくなかった。
おこめさんを見た。リモコンを置いた後も、手は固く握りしめられたままだった。
おこめさんの手を、優しく包みこんだ。
「個人的にも知っている」とは、仕事上の関係だったんだろうか。
聞きたかったけど、今じゃない。
昼食の後、おこめさんの運転で海岸線をドライブした。
旅番組が日本海特集だったから、おこめさんは荒波を見たくなったらしい。
メガネ姿のおこめさんは、手が白くなるくらい力を入れてハンドルを握っている。
「さあ、行きますよ!」
エンジン音が高まった。でも動かない。
「……あれ?」
おこめさんは、恥ずかしそうにシフトレバーを動かした。
……パーキングだったんだね。
カーブでハンドルを切りすぎたり、ブレーキが遅れたり。昨日、一人で帰れたのが信じられない。
でも、僕が何か言う前に修正していた。まるで見えない教官が隣で指導しているみたいだ。
「おこめさん、運転慣れてきた?」
「いえっ。まだまだです!」
「無理しなくても大丈夫だよ」
「大丈夫ですっ。今日は、私の運転でドライブデートです!」
「……ありがと」
目の前に荒れた日本海が広がっている。
灰色の空の下、白い波が何重にも砕けている。
肌に轟く波のドーンという爆音、びゅうびゅうという風の音。濃い潮の匂い、風に乗って流れてくる冷たいしぶき。
夏の海とは表情が全然違う。
ドラマのイメージそのままの日本海だ。
「わあ」
おこめさんが声を上げた。
「すごい。こんな海、見たことなかったです! テレビで見るのとは迫力が全然違いますね!」
「夏に見たときとは違うよね。嵐のときはもっとすごい」
「見ていると、なんか、元気が出ますね!」
おこめさんは、満足そうに頷いた。
イェーイと言い出しそうなテンションの高さだった。
「さあ、かかってきなさいっ!」
おこめさんが波に向けてファイティングポーズをとった。
「……あの波と戦うつもり?」
「……と言いたいところですが、今日は装備がありませんので」
おこめさんが、いたずらっぽく笑った。
そのとき、ひときわ大きな波が砕けた。
ドーン!
「……返事が来たね」
「はいっ!」
おこめさんの目が、ますます輝いた。
「でも、今日は見逃してあげます!」
「見逃す側なんだ!?」
おこめさんは、本当に負けず嫌いだ。
笑ってしまった。
曇り空の下、荒れる日本海を見ながらはしゃぐおこめさんの顔は晴れやかだ。
良かった。
「颯太さん、大丈夫ですか?」
ふと、自分が車にもたれこんでいることに気づいた。
海を見に出ただけなのに、もう疲れちゃってた。
僕たちは、早めに家に戻ってゆっくりすることにした。
夕食のときには僕の元気も回復してきた。
食後、おこめさんと二人で僕の部屋に上がる。
ゲームは、そろそろ皆がログインして賑やかになる時間帯だ。
僕も最近は疲れ過ぎて、あまりゲームにログインできてなかった。
スマホを持って、おこめさんと顔を見合わせた。
「ゲーム、入る?」
おこめさんは、ニコリと頷いた。
「入りましょう!」
僕たちは、同時にログインした。




