4-6 「ありがとう。愛してる」
◇
退院の日。
病棟から出ると土曜日午後の静かな雰囲気の中、皆が待っていた。
お姉ちゃん、お父さん、お母さん。
そして、おこめさん。
おこめさんは、白いタートルネックと、ネイビーのフレアスカート。
珍しく、シルバーフレームのメガネをかけている。
僕と目が合うと、サッと駆け寄ってきて僕を抱きしめた。
柔らかな感触と、いつもの香り。レモンのように爽やかでジャスミンのように甘いおこめさん。
強く僕を抱きしめて痛いくらいだ。
僕も車椅子に座ったまま、抱きしめる。
「心配かけてごめん」
おこめさんは、顔を少し離すと、真剣な表情で僕の顔をじっと見た。
「本当ですよ。怖い想像、たくさんしちゃったんですからね」
静かな声だ。
申し訳なかった。
今日は土曜日だから、会計は後らしい。
僕の後ろにいた看護師さんが父さんに封筒を渡した。
「昨日ご依頼いただきました診断書です」
父さんを見る。労災とかの申請に必要なものだとか。
昨日は一言も言わず、ただ肩を叩いただけの父さんが。
「昨日も先生からご説明しましたけど、患者さんは……」
看護師さんが何か説明してるけど、何を言ってるのか頭に入ってこない。
まだまだ、頭の中の霧は消えてない。
病院の建物を出た。秋晴れだった。
雁や白鳥達の声が騒がしい。
おこめさんに支えてもらって、車椅子から立ち上がる。体は重いけど、ちょっと立って歩くくらいなら大丈夫。
昨日に比べると、だいぶ楽だ。
父さんの運転で、まずは僕の工場に向かう。
母さんは助手席で、おこめさんと僕は後部座席だ。お姉ちゃんは自分の車。
おこめさんと手をつなぎながら、窓の外を見る。
11月の青い空が広がっていた。
遠くを雁の群れがV字に流れていく。少し遅れて、白鳥も2羽、並んで飛んでいた。
この季節の風物詩だ。
ふと気づくと、おこめさんはメガネを外していた。
いつのまに、と思う。
でも、メガネをかけたおこめさんも、外したおこめさんも、どちらも好きだ。
ぼんやりとそんなことを考える。
「どうしたんですか?」
おこめさんが聞いてきた。
「ううん、おこめさんが好きだなと思って」
「もう」
おこめさんは、照れたように微笑んだ。
今日は土曜日だけど、工場のラインは半分以上、動いている。私物を取りに戻ってきた。
中に入れるのは僕だけだ。いちおう、工場の人も付き添ってくれる。
心配そうなおこめさん達を残して、できるだけ手すりにつかまりながらロッカーにたどり着いた。
回収したスマホには、おこめさんからのメッセージがあった。
細川彩夏: 明後日、そっちに行きます。ちゃんと目を覚まして、待っていてくださいね。愛してます。
びっくりした。
「愛してます」と言ってくれた。
今まで「好き」という言葉はお互い何回も言ったけど「愛してます」と言われたのは、初めてだ。
僕もまだ、言ったことがない。
それだけ僕を心配してくれたし、大切に感じてくれたんだと思う。
感謝しかない。
田中颯太: ありがとう。愛してる。
僕もメッセージを返した。
僕はおこめさんが心の底から好きだ。
愛してる。
そう実感したけど、やっぱり送るのは恥ずかしかった。
それからバイトアプリを開いた。
凍結マークがついていた。
木曜も金曜も、無断欠勤扱いになっている。
事故に巻き込まれた場合などの救済規定の文字が、申し訳程度に書いてある。
望みがあるのかないのか、分からなかった。
頑張って入り口まで戻る。
たったそれだけなのに息が上がった。
少しめまいがする。
「颯太さん、大丈夫でしたか?」
心配そうにおこめさんが工場の入り口で迎えてくれた。
心なしか、顔が赤い。
「うん。大丈夫」
そして、おこめさんに肩をささえながら車に戻った。
家で夕食を食べるあいだ、母さんとお姉ちゃんが、おこめさんと何か話していた。
でも頭に霧がかかって、会話が入ってこない。
「大丈夫ですよ。颯太さんは、まだ本調子じゃないんです」
おこめさんが優しく言ってくれる。
気づいたら、食事が終わっていた。
おこめさんは食器を重ねて台所に運んでいる。
僕の家族の前で自然に動くおこめさんを見ると、なんというか嬉しかった。
そして、少しだけ申し訳なかった。
もっとちゃんとした形で、おこめさんを家族に紹介したかった。
その後、おこめさんとゆっくり2階に上がる。
もちろん、おこめさんが僕の部屋に入るのは初めてだ。
普段からできるだけ片付けているつもりだけど、やっぱり急に来られると恥ずかしい。
二人でベッドに座る。
「颯太さん、大丈夫ですか」
おこめさんは、いつの間にか、またメガネをかけている。
「おこめさん、ごめんね」
ふと口に出た。
「どうしたんですか。いきなり」
「ごめん。約束破っちゃった」
おこめさんは頷いた。
「本当ですよ」
みるみるうちにおこめさんの瞳が潤んで、涙がこぼれた。
「本当に……、心配したんですから」
いつも凛としているおこめさんが、メガネを外して、静かに泣きだした。
「無茶しないでくださいって、言ったのに」
僕の胸が罪悪感で締め付けられる。
僕の目も潤んでくる。
「ごめん。いろいろ想定外で。ごめんなさい」
隣に座るおこめさんを抱きしめる。
おこめさんも、僕の背中に腕をまわした。
しばらく抱きあって落ち着いてきた頃、おこめさんがポツリと言った。
「倒れた理由、教えてもらえますか」
責める声じゃなかった。
ただ知りたい、という声だった。




