4-4 「知らない天井だ」と言いたくなる
◇
目が覚めた。
誰かに「起きて」と言われた気がする。
僕は何か夢をみたと思う。
温かくて、悲しい。そんな夢を。
でもそれも、霧が晴れるように消えていった。
硬いベッドの感触。消毒液の匂い。
ピッピッ、という規則正しい電子音。
目を開けると無機質な白い天井が見えた。
アニメ好きとしては「知らない天井だ」と言いたくなるけど、現実はあんなに劇的じゃない。
主人公みたいに元気に動き回るなんて無理だ。
身体は鉛を流し込まれたように重く、喉は砂漠みたいにカラカラだ。
「田中さん、聞こえますか」
近くで女性の声がした。
看護師さんみたいだ。
はい、と答えようとして、うまく声が出なかった。
喉の奥に、何かが詰まっているような感じだ。
頷くしかなかった。
「今は金曜日の午後3時です。お仕事中に倒れて救急車に運ばれたんです。まる1日くらい寝てたんですよ」
金曜日の、午後3時……。
昨日、倒れて、まる1日も僕は寝ていた。
金曜日!?
今日は夕方からドラッグストアのバイトが入ってる。
今なら、まだ間に合う。
あそこは働きやすいからブロックされたくない。
プレゼント代も、まだまだ目標に届いていない。
「バ、イト……」
喉から、ようやく声らしき音が出た。
バイトに行かないと。
「無理です」
看護師さんが優しく、しかしキッパリと言い切った。
終わった。
プレゼント代の計画が頭の中で音を立てて崩れていく。
「お名前は、言えますか」
「たなか、そうた、です」
少しずつ声が出るようになってきた。
喉のつかえも、少しずつ取れていく。
看護師さんとやり取りをするうち、だんだん状況が飲み込めてきた。
「まだ動かないでくださいね。チューブがいろいろ入っていますから」
そう言われて初めて気がついた。
点滴が繋がっている。
指はクリップみたいなものに挟まれてる。
看護師さんが廊下に出て、携帯電話で誰かと話している。
しばらくして医師が入ってきた。
「いやー、目が覚めてよかったよ。ちょっと長めだったから心配してたんだ」
「ありがとうございます。一体?」
「うーん、自分が倒れ込んだ記憶はある?」
足を滑らせて倒れたのは覚えてる。頷いた。
医師も頷いた。
「そうしたら、転倒して頭を打ったのが直接の原因だね。それで脳震盪が起きて、一時的に意識を失った。疲れ切ってたこともあって、その後も長く眠った。最近、ご飯もちゃんと食べれてなかったんじゃない?」
頭に霧がかかったみたいに、何を言われたのか理解できない。大半の言葉は耳の右から左に抜けていった。
でも最後に何を聞かれたのか、それだけ分かった。
頷く。
たしかに疲れて食べる気にならなくて、食べる量は随分控えめになっていた。
朝ごはんは、おにぎり1個、ランチは昼寝して何も食べず、夕食も味噌汁だけ。
そんな日も多かった。
「ま、ガソリンが切れたようなものだね。しかもエンジンオイルか真っ黒。ゆっくり休んでメンテしないといけない」
なるほど。わかりやすい。
検査の後、一般病棟に入った。
明日には退院できるらしい。
「田中さん、たぶん明日には退院できると思うけど……」
医師が検査の結果を説明してくれる。
集中力や判断力も低下しているから、大事な判断はご家族にサポートしてもらうように。
来週いっぱいは自宅でゆっくりする。もちろん運転もダメ。
これだけのことを頭に入れるのも大変だった。
一般病棟の窓から外を見ると、夕暮れ時だった。
廊下のほうから複数の足音が近づいてきた。
家族の声が聞こえる。
「颯太、起きてる?」
そう言って、母さんが入ってきた。
僕の顔を見るなり目に大粒の涙を浮かべる。
ベッドの横に膝をつくようにして、震える手で、僕の手を握る。
「良かった……良かった……」
母さんは何度も何度も、その言葉を繰り返した。
お姉ちゃんは泣かなかった。
ただ真っ赤な目で、僕をじっと睨みつけた。
僕が「お姉ちゃん、ごめん」と呼びかけると、お姉ちゃんは下を向いて肩を震わせた。
最後に父さんが入ってきた。
父さんは何も言わなかった。
ベッドの横に立って、ぽん、と僕の肩に無言で手を置いた。
それだけだった。
だけど、その手は力が入っていて重かった。
病室に沈黙と嗚咽が満ちる。
僕は「ごめんなさい」と言った。
自分が情けなくて、心配をかけたのが申し訳なくて。
「あんた、バイトやり過ぎた?」
お姉ちゃんが僕に質問した。怖い声だった。
「うん……」
「なんで?」
「プレゼント、買いたくて」
お姉ちゃんは、一瞬、黙った。
「……プレゼント?」
「うん」
「颯太、あんたバカでしょ」
「……」
「プレゼントって、元気な人が渡すものでしょ。倒れたら本末転倒じゃん。おこめさんが喜ぶと思ってんの、それ」
返す言葉が無かった。
お姉ちゃんは、ふっと声を落とした。
「おこめさんも明日、来るって言ってたよ」
その一言で、胸がつかえた。
おこめさんには、何て言えばいいんだろう。
前回、おこめさんと無茶をしないと約束した。
それなのに、結局、僕は倒れてしまった。
おこめさんに嘘はつけない。
だけど、おこめさんは傷つくだろう。
それが申し訳なかった。
家族が出て行って、病室にまた静けさが戻る。
窓の外はもう真っ暗だ。
久しぶりに、スマホのない夜だ。
ゲームもない。漫画もない。SNSもない。
遠くのほうで、鳥たちが「クワッ、クワッ」と鳴いていた。たぶん、雁か白鳥だ。
頭にモヤがかかったように、ぼんやりしてる。まぶたが重い。
おこめさんに会いたい。
そう思いながら僕は、また泥のような眠りの中に落ちていった。




