4-3 たったひとりに届いてほしい
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カンファレンス当日の朝になった。
連日の疲れと昨日の睡眠薬で頭がボンヤリしてる。
颯太さんと会う夢を見た気がする。思いだせないけど。
頭の中で、たぐり寄せようとしたら、糸はするりと指の間を抜けていった。
スマホを見る。連絡は来てない。何も連絡がないのは、良い知らせだと言い聞かせる。
無性に颯太さんに会いたかった。颯太さんに優しく、強く、抱きしめてほしかった。
体を起こす。ストレッチをしながら、しっかり意識を覚ましていく。
ロボくんが準備してくれた茹で卵と、ヨーグルト、フルーツで朝ごはんを済ませた。
サッと着替えて、カンファレンス会場に直接向かった。今日は自分でメイクをしないから、サングラスとマスクを着ける。
会場の控室で本番に向けて準備する。
服装、ヘアセット、メイク。プロが丁寧に手を動かしていく。
鏡の中で、「彩夏」の顔が、少しずつ「アヤカ」に変わっていく。
身支度が一段落して開始を待っているとき、颯太さんのお姉様、穂乃花さんから続報が来た。
飯田穂乃花: 颯太はまだ寝てる。もしかしたら一瞬意識が戻ったかもしれないけど、はっきりとは戻ってない。また連絡するね
細川彩夏: ありがとうございます!
容態が安定していることに、ほっとする。
でも、半日経っても意識が戻っていないことに不安が滲んだ。
「一瞬」という言葉を何度か読み返した。
意識が戻ろうとしている。
でも、まだ完全には戻れていない。
颯太さん、大丈夫?
早く目を覚まして欲しい。
「アヤカ、もう始まる」
グラハムが声をかけてきた。
「了解」
顔を上げる。完璧に整えられた髪、隙のない化粧、研ぎ澄まされた表情。
準備万端だ。
会場には、オープニングの重低音が響き渡り、華やかな光の筋が交錯している。
白いマダラチョウの仮面を手に取った。
仮面の内側に指を入れて、ゆっくりと顔に近づける。
紐を結ぶ瞬間、短く息を止めた。
仮面が肌に密着する。視野が狭くなる。
鏡に、顔の半分以上を仮面で隠したショートボブの女性が映っている。
私はアヤカだ。
さあ。私にできることをしよう。
震えそうになる膝に力を込めて立ち上がる。
傍らのグラハムが力強く頷いて、親指を立てた。
「それでは皆様、バタフライ・テクノロジーズCEOをお迎えしましょう。基調講演『人類の目覚め』です。アヤカ、ステージへ!」
暗転した会場のなか、アヤカは舞台袖からステージへ歩み出た。
足元の感触が、いつもより鮮明だった。
ハイヒールが床を打つ音が自分の鼓動と重なる。
照明が眩しい。
光に包まれて、満席に近い聴衆を見渡した。
奥にはビデオカメラが何台も構えている。
世界が、アヤカを見ていた。
「ありがとう、皆さん」
話しだした。
練習したとおりに。最初は落ち着いたトーンで。
颯太さんに語りかけるつもりで。
「『人類の目覚め』。人間の思考とコンピュータがシームレスに繋がる未来。人間と、機械やAIの境目は、やがて曖昧になっていくでしょう」
本当はずっと、自分の仕事を颯太さんに説明したかった。ちゃんと話せないのが心のしこりだった。
「技術の進化も利用も、止まりません。私たちバタフライ・テクノロジーズも、世界最高の頭脳とともに、未踏の領域へ莫大な投資を行なってきました」
アヤカは、今までの歴史と将来へのビジョンを説明していく。多くの聴衆が知っている内容から始めて、徐々に引き込む。
初めての颯太さんにも分かるように。
「ですが私は、サイバーパンクの物語のような、格差と絶望の世界にはしたくない」
心の底からの願いだ。
颯太さん。
あなたのような優しすぎる人、真っ直ぐすぎる人が搾取されることなく、希望を持って歩ける世界を私は作りたいんです。
だけど、高ぶる気持ちを抑える。
まだクライマックスじゃない。
「我々の新しいプロダクトは、一部の特権階級のものではありません。世界中の誰もが、『その後、幸せに暮らしました』と言える。そのためのテクノロジーです」
颯太さんと観た映画の、最後のシーン。
画面の中で主人公たちが幸せになって、エンディングロールが流れ始めた瞬間。
颯太さんが画面に向かって「良かった」と呟いた。私は、あの声をずっと忘れない。
講演も終盤に入ってきた。
クライマックスに向けて、声に少しずつ情熱を乗せていく。
「人間が、全ての人間が尊重され、温かさと幸せを享受できる世界。それこそが、我々が実現したい世界です」
颯太さんみたいな人が、二度と工場の床に倒れない世界。
過労で倒れる人がいない世界。ただ生きているだけで、人間が人間として尊重される世界。
おこめの祈りを、アヤカの言葉に乗せる。
颯太さんと出会って以来、急速に膨らみ形になってきた夢を。
だけど、私一人ではできない。
私の会社だけでもできない。
賛同者が必要だ。できるだけ多くの。
仮面の下で、唇を噛み締める。
「今日は、その第一歩です」
大きく息を吸い込んだ。
私の胸の奥で、何かが光り輝くのを感じる。
これが私の仕事ですと、颯太さんに胸を張って言いたかった。
私は、世界中の聴衆へ向けて、しかし病室で眠るたった一人にも向けて、魂を込めて語りかける。
「今日は、人類の、目覚めのときです」
颯太さん!
どうか目を覚まして。
切実な願いを声にはしなかった。
仮面の内側、心の中だけで祈る。
一瞬の沈黙の後、会場を揺るがすほどの万雷の拍手がアヤカを包んだ。
拍手の音は、海鳴りに似ていた。
波のように押し寄せる音のなか、仮面の下で少しだけ目を伏せる。
世界には、届いた。
あとは、たったひとりに届いてほしい。
深く眠る颯太さんに。




