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4-3 たったひとりに届いてほしい

◎


カンファレンス当日の朝になった。

連日の疲れと昨日の睡眠薬で頭がボンヤリしてる。


颯太さんと会う夢を見た気がする。思いだせないけど。

頭の中で、たぐり寄せようとしたら、糸はするりと指の間を抜けていった。


スマホを見る。連絡は来てない。何も連絡がないのは、良い知らせだと言い聞かせる。


無性に颯太さんに会いたかった。颯太さんに優しく、強く、抱きしめてほしかった。


体を起こす。ストレッチをしながら、しっかり意識を覚ましていく。

ロボくんが準備してくれた茹で卵と、ヨーグルト、フルーツで朝ごはんを済ませた。


サッと着替えて、カンファレンス会場に直接向かった。今日は自分でメイクをしないから、サングラスとマスクを着ける。



会場の控室で本番に向けて準備する。

服装、ヘアセット、メイク。プロが丁寧に手を動かしていく。

鏡の中で、「彩夏」の顔が、少しずつ「アヤカ」に変わっていく。


身支度が一段落して開始を待っているとき、颯太さんのお姉様、穂乃花さんから続報が来た。


飯田穂乃花: 颯太はまだ寝てる。もしかしたら一瞬意識が戻ったかもしれないけど、はっきりとは戻ってない。また連絡するね


細川彩夏: ありがとうございます!


容態が安定していることに、ほっとする。

でも、半日経っても意識が戻っていないことに不安が滲んだ。


「一瞬」という言葉を何度か読み返した。

意識が戻ろうとしている。

でも、まだ完全には戻れていない。


颯太さん、大丈夫?

早く目を覚まして欲しい。



「アヤカ、もう始まる」

グラハムが声をかけてきた。


「了解」

顔を上げる。完璧に整えられた髪、隙のない化粧、研ぎ澄まされた表情。

準備万端だ。



会場には、オープニングの重低音が響き渡り、華やかな光の筋が交錯している。


白いマダラチョウの仮面を手に取った。

仮面の内側に指を入れて、ゆっくりと顔に近づける。


紐を結ぶ瞬間、短く息を止めた。

仮面が肌に密着する。視野が狭くなる。


鏡に、顔の半分以上を仮面で隠したショートボブの女性が映っている。


私はアヤカだ。

さあ。私にできることをしよう。


震えそうになる膝に力を込めて立ち上がる。

傍らのグラハムが力強く頷いて、親指を立てた。



「それでは皆様、バタフライ・テクノロジーズCEOをお迎えしましょう。基調講演『人類の目覚め』です。アヤカ、ステージへ!」


暗転した会場のなか、アヤカは舞台袖からステージへ歩み出た。


足元の感触が、いつもより鮮明だった。

ハイヒールが床を打つ音が自分の鼓動と重なる。

照明が眩しい。


光に包まれて、満席に近い聴衆を見渡した。

奥にはビデオカメラが何台も構えている。

世界が、アヤカを見ていた。


「ありがとう、皆さん」

話しだした。


練習したとおりに。最初は落ち着いたトーンで。

颯太さんに語りかけるつもりで。


「『人類の目覚め』。人間の思考とコンピュータがシームレスに繋がる未来。人間と、機械やAIの境目は、やがて曖昧になっていくでしょう」


本当はずっと、自分の仕事を颯太さんに説明したかった。ちゃんと話せないのが心のしこりだった。


「技術の進化も利用も、止まりません。私たちバタフライ・テクノロジーズも、世界最高の頭脳とともに、未踏の領域へ莫大な投資を行なってきました」


アヤカは、今までの歴史と将来へのビジョンを説明していく。多くの聴衆が知っている内容から始めて、徐々に引き込む。


初めての颯太さんにも分かるように。


「ですが私は、サイバーパンクの物語のような、格差と絶望の世界にはしたくない」


心の底からの願いだ。


颯太さん。

あなたのような優しすぎる人、真っ直ぐすぎる人が搾取されることなく、希望を持って歩ける世界を私は作りたいんです。


だけど、高ぶる気持ちを抑える。

まだクライマックスじゃない。


「我々の新しいプロダクトは、一部の特権階級のものではありません。世界中の誰もが、『その後、幸せに暮らしました』と言える。そのためのテクノロジーです」


颯太さんと観た映画の、最後のシーン。

画面の中で主人公たちが幸せになって、エンディングロールが流れ始めた瞬間。


颯太さんが画面に向かって「良かった」と呟いた。私は、あの声をずっと忘れない。


講演も終盤に入ってきた。

クライマックスに向けて、声に少しずつ情熱を乗せていく。


「人間が、全ての人間が尊重され、温かさと幸せを享受できる世界。それこそが、我々が実現したい世界です」


颯太さんみたいな人が、二度と工場の床に倒れない世界。


過労で倒れる人がいない世界。ただ生きているだけで、人間が人間として尊重される世界。


おこめの祈りを、アヤカの言葉に乗せる。

颯太さんと出会って以来、急速に膨らみ形になってきた夢を。


だけど、私一人ではできない。

私の会社だけでもできない。

賛同者が必要だ。できるだけ多くの。


仮面の下で、唇を噛み締める。

「今日は、その第一歩です」


大きく息を吸い込んだ。

私の胸の奥で、何かが光り輝くのを感じる。


これが私の仕事ですと、颯太さんに胸を張って言いたかった。

私は、世界中の聴衆へ向けて、しかし病室で眠るたった一人にも向けて、魂を込めて語りかける。


「今日は、人類の、目覚めのときです」

颯太さん!

どうか目を覚まして。


切実な願いを声にはしなかった。

仮面の内側、心の中だけで祈る。


一瞬の沈黙の後、会場を揺るがすほどの万雷の拍手がアヤカを包んだ。

拍手の音は、海鳴りに似ていた。

波のように押し寄せる音のなか、仮面の下で少しだけ目を伏せる。


世界には、届いた。


あとは、たったひとりに届いてほしい。

深く眠る颯太さんに。


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