3-15 颯太、なんか格好良くなった
◇
木曜日の夕方は、いつもより空が低かった。
車の燃料が残り少ない。
安さだけで選んだ僕の車は、今の時代でも純ガソリン車だ。給油しなくて良ければ、もっとお金が貯まるのに。ため息が出る。
ガソリンスタンドに入った。
車から出て伸びをすると、じんわりとした疲れを感じた。
今日は、ゲームに入らないで早く寝よう。
「あれ、颯太くん!? 颯太くんじゃない?」
突然、声をかけられた。
振り向くと、自転車に乗った懐かしい顔の女性が、ガソリンスタンド脇の道に停まっていた。
「……もしかして、佳代子さん?」
「颯太くん! やっぱり! もう元気になった?」
「はい。あの、佳代子さんは……?」
佳代子さんは、僕が児童養護施設『ひまわり園』で働いていたときの頼れる先輩だ。
低年齢児ユニットの主任だった。
もし『ひまわり園』で働き続けていたら、今ここにいられる訳がない。
「うん、辞めた。三月かな。子ども達が邪魔なモノにしか見えなくなってきて、限界かなって」
「そうですか……」
想像がつく。
施設の子ども達は、それぞれ事情を抱えている。休みなく受け止め続けると、僕みたいに壊れちゃうからだ。
「先月から保育園で働きだしたのよ。しばらく仕事から離れて休んでたんだけどね。ずっと働かないわけにいかないし……やっぱり子ども達が好きだから」
「良かった」
給油を終えて、ホットコーヒーを二本買った。
一本を佳代子さんに渡す。
「ありがとう」
施設に残してきた子たちが思い出される。
「……りんちゃん、どうでした?」
僕が行けなくなった後、という言葉は続けられなかった。
僕に一番懐いてた子だ。僕がいなくなったときは小学校一年生だった。
男子ユニットの担当だった僕を、夜中によく佳代子さんが呼びに来た。
僕に置いていかれたと思って、きっと酷く泣いただろう。
佳代子さんが、缶コーヒーを両手で包んだ。
「相変わらず。でも、だんだん大きくなって、施設の事情もちょっとずつ分かってきてた。女子ユニットに移ったときは、また大変だったみたいだけど」
「そっか……」
彼女の泣き顔と、「そうた兄ちゃん」と笑う顔が浮かんだ。
他の子たちの話も聞いた。施設を出た子も、まだいる子も、皆、大きくなっている。
それだけは救いだった。
「颯太くんは、子どものケア上手かったよね」
「ありがとうございます」
嬉しかった。
得意だったとは、僕も思う。
「颯太くん、戻りたい?」
僕は少し考えた。昔の生活、今の生活。
おこめさんの顔が、ふと浮かんだ。
「戻りたい気持ちはあります。でも、今のままなら現実的じゃないかなって。戻っても、また同じことになると思いますし」
「……うん」
「せめて、掃除とか洗濯だけでもロボットがやってくれたらなって思います」
「ほんと、それ」
佳代子さんが大きく頷いた。
「子どもを抱きしめてる間に、掃除しておいてほしいですよね」
「分かる。結局、子どもに外で遊んでもらって、その間に自分で片付けてるもんね。で、外で揉めたら、また走っていって」
「ロボット入れてくれれば良いんですけどね」
「入れてくれないの!」
二人で少し笑った。
笑いが途切れると、佳代子さんがコーヒーを見つめた。
「戻れないよね」
「はい……」
缶コーヒーが少しずつ冷めていく。
僕は、子ども達の笑顔が好きだ。
辛いことがあっても、それに潰されず、将来に希望を持ちながら育ってほしい。
「ま、颯太くんが元気になって良かったよ。コーヒーご馳走さま。どこかでご飯行きましょう。今度は私がおごるね」
「はい。楽しみにしてます」
佳代子さんは自転車にまたがって、田んぼの向こうに消えていった。
土曜日。
スキマバイトのアプリを頻繁にチェックしてたけど、先週、寝坊してしまった仕分けバイトは画面に出てない。
たぶん、ブロックされてしまった。
結局、この土日は新しい物流倉庫のバイトを入れた。
ここもブラックだった。モラハラがひどい。
アシストスーツは支給されたけど、現場にいる間、怒鳴られ続けた。
重い荷物より、こっちの方がきつい。
本当に嫌だ。明日もここか……。
おこめさんの笑顔を思い浮かべて、一生懸命頑張る。
終わって外に出たとき、空は曇っていた。
深呼吸する。泥のように疲れた。
やっとの思いで車を運転して家に戻る。
昼飯も食べる気にならず、ベッドに倒れこんだ。
母さんに起こされて目が覚めた。
「颯太、遥香ちゃんが来てるけど」
「……え」
来るとは聞いてなかった。
「遥香ちゃんのおうち、親戚からエビを大量にもらって、お裾分けだって」
「そっか」
そういえば、向こうが引っ越すまでは良くもらっていた。
寝起きの顔を洗ってから、リビングに向かう。
遥香がダイニングテーブルの椅子に座って待っていた。僕を見ると、ニカッと笑った。
「よ! 颯太。エビ持ってきたよ!」
そういえば小学校くらいまでは、こうして突然遊びに来るやつだった。
「迷惑だった……?」
急に心配そうな顔になる。
こういう配慮は昔、無かった。
「大丈夫。ちょっと昼寝してただけ」
「ごめん。やっぱり帰る?」
大輝から言われたことを思い出す。
最近、荒れてるらしい。
幼馴染としては、やっぱり心配だった。
「いや、いいよ。最近、遥香と話してなかったし。遥香も話したいから来たんでしょ」
「ありがとう!」
「颯太、騒ぐなら上に行って」
隣の部屋から父さんが言ってきた。
確かに昔は大騒ぎして二階に追い出されたり、もっと盛り上がって家から追い出されたりした。
「騒がないよ! もう子供じゃないし」
そう。もう子供じゃない。
僕には、おこめさんという彼女もいる。
部屋に上げるわけにはいかないよね。
「はい、静かにしまーす」
遥香も、上に行きたいとは言わなかった。
遥香が色々話してくれる。
元カレのことを本当に好きだったこと。
東京での仕事も楽しかったこと。
単身赴任先で浮気されたこと。
「私がついていけば良かったのかなって、何回も考えるんだよね」
「遥香は、ついていきたかった?」
「……分かんない。仕事も好きだったし。すぐ戻るって言ってたから」
「そっか」
「うん……」
急いで答えを出さなくても良いと思う。
遥香が続きを話すのを待った。
同級生の女子で未婚は、もう片手にも満たないこと。
別れた後、東京に残れば良かったと思う日もあれば、戻ってきて良かったと思う日もあること。
僕は相槌を打ちながら聞いた。
「ねえ」
遥香が少し声のトーンを変えた。
「颯太、なんか雰囲気変わったよね」
「そう?」
遥香は少し僕の顔を見て、笑った。
「なんか、格好良くなった」




