3-8 僕は、おこめさんと結婚したい。
◇
近所の焼肉屋に行く。
義兄さんの宏治さんも一緒だった。
「お、颯太きたな! 遅いぞー!」
お姉ちゃんは、もう出来上がっていた。
「いや、時間通り来たんだけど」
「ごめんね、ほのちゃんがどうしても早く飲みたくなっちゃって」
お姉ちゃんの名前が穂乃花だから、ほのちゃんだ。
「今日は颯太が大人になったお祝いだ!」
お姉ちゃんがそう言った瞬間、宏治さんに肘打ちされた。
「まあまあ。いつもほのちゃんが颯太くんをこき使ってるから、お詫びも兼ねてね」
「こき使ってない。鍛えてあげてたの」
「同じことでしょ」
お姉ちゃんが口を尖らせた。
いつものことだ。このふたりの掛け合いを見ていると少し落ち着く。
夫婦って良いなぁ。
肉を焼きながら近況を話す。
おこめさんのこと、仕事のこと、お金を貯めたくてバイトを始めたこと。
「良い彼女だねー」
お姉ちゃんが言った。
「颯太にはもったいない!」
「そういうことを言う」
「冗談よ、冗談」
お姉ちゃんが笑った。
「で、颯太、彼女とのこと、これからどうするつもり?」
「生活基盤がまだ全然で、何も考えられてない……」
思わず、俯いた。
「向こうは33でしょ」
お姉ちゃんの声が少しだけ変わった。
宏治さんは静かに肉を皿に移している。
「いくらこのご時世でも、その気もないのに引っ張らないようにね。付き合って間もないし、言うのは早い気もするけど、一応」
「……うん。分かってる」
その気が無いわけじゃない。結婚したい。
ただ、もっと僕の状況を整えたかった。
生活基盤が整ったら。貯金が増えたら。
もう少し元気になって、ちゃんとした職業について、もう少し稼げるようになったら。
でも整うのを待っていたら、いつまでも言えないのかもしれない、とも思った。
頑張ろう。
宏治さんが「まあまあ、焼肉が冷めるよ」と言った。その後も色々な話題で会話が弾み、楽しい時間を過ごした。
帰り道、澄んだ夜空の下を歩く。
中秋の名月を過ぎたけど、まだまだ月は明るい。
風も気持ちよくて、良い夜だった。
明日もブラックな物流倉庫に行かないといけない。
気が重いけど、それさえ乗り切れば定例だし、何より来週末はデートだ。おこめさんの家に初めて泊まる。
それが楽しみだった。
◆◆◆
◎おこめの視点
金曜日の夜。
明日、3週間ぶりに颯太さんに会える。しかも、初めて私の家に泊まってくれる。
早く颯太さんに会いたい。
でも、まだシンガポールを離れられない。
冷房がよく効いた白い会議室で、PR担当のグラハムと11月頭のカンファレンスに向けた打ち合わせが続く。
早く終わらせたい。でも、雑にはできない。
2時間近く続いた議論の末、基調講演の方針がようやく固まった。
テーマは『人類の目覚め』。
私達が開発したスマートグラスによって、普通の人でも日常的に、自分の思考をコンピュータやAIにつなげられるようになる。
普通の人間でも、天才に近づける。
天才は、もっと天才になれる。
「仮面のシルエットを使った演出は、この方向で良いか。アヤカのブランドとプロダクトのコンセプトを重ねる」
「良いと思います」
時計を見る。
もう夜10時を過ぎていた。
「すみません。移動しながら続けても良いですか」
「もちろん」
荷物を持って会議室を出た。
カンファレンスの日程は、もう何があっても変えられない。
空港へ向かうタクシーの中でも会議は続いた。
出国手続きをして、搭乗口へ向かいながら最後の確認をする。
ようやく通話を終えた頃には、出発時刻が迫っていた。
新プロダクトのリリースまで、あと35日。やることはいくらでもある。
でも今は、それより明日のことを考えてしまう。颯太さんが初めて、東京の私の家に泊まる。
クローゼットを整えた。洗面台とかも。
冷蔵庫の中身も、たぶん大丈夫。
……たぶん。
何度確認しても、不安になる。だって、あの家に自分が泊まったのは1回だけ。
颯太さんを呼びたくて用意した、東京の「私の家」だ。
ボロが出ないように準備したつもりだけど、どうしても不安は残る。
それでも。
明日、颯太さんが来る。
そう思っただけで、口元が緩んだ。
今夜は機内で、ちゃんと寝よう。明日は、ずっと一緒にいたいから。




