2-18 お金持ちになりたいですか
◇ソーダの視点
感動のあまりボーッとしていると、おこめさんから声をかけられた。
「あの……、驚かせちゃってすみません。お部屋、変えてもらいますか?」
おこめさんが不安そうに僕を見ている。
「だ、大丈夫! 驚きすぎて言葉が出なかっただけ。せっかくだし、探検しよう!」
「はいっ」
おこめさんが嬉しそうに頷いた。
手をつないで見てまわる。
大きなソファとダイニングテーブルが置かれた部屋は、うちの座敷よりもずっと広い。
「うわ、バーカウンターまであるよ!」
「びっくりですね!」
何かを思いついたらしいおこめさんが、僕をバーカウンターの席に座らせた。
自分は、サッとバーカウンターのなかに入って、グラスを2個並べる。
「いらっしゃいませ、お客様。本日は何になさいますか」
「オススメは?」
「はい。オススメは、こちらのミネラルウォーターでございます」
真面目な顔を作って奥に置かれていたペットボトルを見せてくれる。
ホテルのシールが貼ってあって、たぶん無料のやつだ。
僕が吹き出すとおこめさんも笑った。
「じゃ、それお願いします」
「かしこまりました」
ミネラルウォーターをそれらしく注いでくれる。
おこめさんは自分のグラスにも注いで、隣に座る。
二人で笑いながら水を飲んだ。
おこめさんがグラスを片手で持ちながら、広い室内を見回した。
そして僕の方に顔を向け、ぽつりと言った。
「ソーダさんは、お金持ちになりたいですか」
それはいつもの何気ない雑談のようで、そうじゃない気がした。
何か、おこめさんの核心に触れたような。
「僕は、どっちでもいいかな」
何の意図か分からないけど、正直に答えた。
「僕がなれるとは思ってないし、根っこが貧乏性だから。もしお金持ちになっても、そんなたくさんのお金は使いこなせない」
おこめさんが頷いた。
「ソーダさんらしいですね」
さっきのは、もしかして、おこめさんが頑張ってお金持ちを目指そうか迷ってる、という質問だったのかもしれない。
そう思って補足する。
「でも僕は、もし、おこめさんがお金持ちになりたいなら、応援したい! ただ無理はして欲しくないかな。僕は二人で楽しく過ごせれば、それだけで十分だから」
「わかりました」
おこめさんは柔らかく微笑んで、またペットボトルを持ち上げた。
「お客様、おかわりはいかがですか」
おこめさんは大真面目な顔を作っている。
僕は笑いながら「いただきます」と言った。
すっかり普段のデートの雰囲気に戻ってる。
だけど、あの質問は何だったんだろう。
その後も僕たちは、しょうもないお金持ちごっこをしたりして楽しくふざけながら、部屋を見てまわった。
ホテルに入った時の緊張も、だんだんほぐれてきた。
そして、僕たちはソファに並んで腰をおろした。
隣同士にぴったり座って、両手をつないで、じっと見つめあう。
どちらからともなく、ゆっくり顔が近づく。
キスをした。
長く、キスをしていた。
心臓がうるさかった。
おこめさんが僕の腰に手をまわした。僕もおこめさんを抱きしめた。
爽やかで甘い、良い匂いがする。
おこめさんの体は、細くて、柔らかくて、温かかった。
長いキスが終わって、顔を離した。
おこめさんの頬が赤い。
気のせいじゃないと思う。
しばらく沈黙があった。
「あの、私、汗臭いと思うのでシャワーを浴びてきますね」
おこめさんが、恥ずかしそうに立った。
トランクをゴソゴソしてから、お風呂場へ消えていく。
僕はスマホを取り出した。
家族のグループチャットを開く。
緊張で文字がうまく打てない。
田中颯太: 今夜は、帰らない
震える指で送信ボタンを押した。
■■■■■■
◎
バスルームに入って、息を吐いた。
恥ずかしくて、嬉しくて、顔が熱い。
水温を少し低めに設定し、髪と顔を濡らさないように気をつけながら手早くシャワーを済ませる。
体を拭いて、この日のために選んでおいた下着をつけた。
キャミソールを重ねて、バスローブを羽織る。
「ソーダさん、シャワー浴びますか?」
声をかけた。
ソーダさんがこちらに来た。
昔のロボットみたいに、動きがカクカクしている。
かわいい。
思わず、笑いそうになった。こらえる。
ちょっとおかしくて、とってもかわいい。
私の大好きなソーダさん。
ソーダさんがシャワーに入ってから、鏡の前に座った。
口をゆすぐ。
手早くリタッチして、崩れたリップも薄く塗り直す。
最後にコロンをふんわりと纏ってから、ベッドに向かう。
窓の外は、まだ風が強そうだ。
ベッドに腰を下ろして、ふう、と息を吐いた。
今日は、たくさんの嘘をついてしまった。
隠し事は、もっと多い。
今朝、どうやって来たか。
春に引っ越したこと。
胸が、じわりと痛かった。
ソーダさんを驚かせたくないから、引かせたくないから、それだけなのだ。
嘘じゃないこともあった。
家電を一緒に選びたかったのも、本当だ。
ホテルも、記念日だとは言ったけど、予約したのは普通の部屋だ。
そして何より。
私は、ソーダさんが大好きだ。
たくさんの嘘と秘密に包まれていても、この気持ちだけは、本物だった。
ソーダさんの心は夢みたいに温かくて、ソーダさんの優しい言葉は、宝石のようにキラキラしてる。
金持ちの世界を否定せず、優しく応援してくれたのも嬉しかった。
いつか、嘘をつかないですむ日が来るといい。
いつか、私が全部を打ち明けたとき、ソーダさんが笑って抱きしめてくれるといい。
そしてその後は、隠し事なく二人で楽しい毎日を過ごすのだ。
そんな日が来るだろうか。
まだ想像できない。
『いや、大丈夫』
心のどこかで、アヤカが言った。
『起業だって先は見えない。何とかなる。大丈夫』
ふう、と息を吐く。
私は、ソーダさんともっと先に進みたい。
シャワールームの扉が開く音がした。
緊張する。
ここまで緊張したのは、生まれて初めてかもしれない。




