2-17 今夜はもっと一緒にいませんか
◇ソーダの視点
今日はおこめさんが来る日だ。
台風のせいで一晩中、風の音がしていた。
1階に下りてテレビをつけると、台風の特番が流れていた。
渋谷の交差点で、壊れた傘をさした人が腰をかがめながら横断している。
東京は予報どおり直撃らしい。
おこめさん、大丈夫かな。
「颯太、おこめさん大丈夫なの?」
母さんが台所から顔を出した。
僕と同じく心配顔だ。
「昨日、無理して来なくていいって送ったんだけど、たぶん大丈夫だから頑張るって」
絶対、大変だよね……。
でも今は、とにかく無事でいてほしい。
会いたい気持ちよりも、それだけを思っていた。
テレビを流しながらスマホで関東の交通情報をチェックする。
新幹線は少し遅れてるけど、動いてるらしい。
おこめ: 予定通りの新幹線に乗れました!
予定時刻をしばらく過ぎてから連絡が来た。
ふう、と息を吐く。
良かった。東京駅まで辿り着いたんだ。
その後も僕が家を出る時刻になるまで、テレビの前を離れられなかった。
駅には早めに着いて、改札の手前で待つ。
新幹線から降りてくる人は、いつもより少ない。
乗るのを諦めた人も多かったんだろう。
おこめさんが来た。
今日は、アイスブルーの長袖リブニットに、モカブラウンのフレアスカート。
台風の気配を全く感じさせない。
普段は小さな肩掛けポーチなのに、今日は珍しくネイビーの大きめなトートバッグを持っている。
もしかして東京駅に着いた後、どこかで着替えたんだろうか。
胸が熱くなる。
笑顔で手を振ると、向こうも手を振ってくれた。
おこめさんが足早に改札を抜けてきた。
「お疲れ様! 大変だったでしょ」
おこめさんは得意げに首を振った。
「全然。ほら、大丈夫でしたよ」
そう言って、おこめさんはくるりと回って、スカートをひらめかせた。可愛かった。
でも、大変じゃなかったわけがない。
「荷物、持つよ」
手を差し出すと、おこめさんは少しだけ考えてから渡してくれた。
「……ありがとうございます。駅までビニール被せてましたし、取っ手も乾いてますけど、念のため気をつけてくださいね」
受け取ったトートバッグは、少し重くて、すっかり乾いていた。
雨は止んできているけど、外はまだ風が強い。
駅ビルのレストランで遅めの昼ごはんを食べてから、駅近くの商業施設で遊ぶことにした。
服や雑貨のフロアを冷やかした後、上の階の家電フロアをぶらぶらする。
冷蔵庫コーナーに来た。
ファミリー向けの大型冷蔵庫が並んでいる。
おこめさんが、展示品の扉をそっと開いた。
「春に引っ越したんですよ。家電、全部買い替えて」
「え、全部?」
おこめさんは冷蔵庫の中を見ている。
「はい。全部です。冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、電子レンジ」
それは、なかなかだ。
「一人でやったの?」
「はい。一人で選んで、一人で決めて。ソーダさんとリアルで会う前だったから……」
静かな声だった。
おこめさんは僕の方に振り向いた。
淋しそうな顔をしている。
「一緒に選びたかったな、って、今日ここに来て思いました」
「今度何か買うときは、僕も一緒に選びたい!」
明るく声をかける。
「はい!ぜひ、お願いします」
嬉しそうだった。
おこめさんは冷蔵庫を閉じて、今度はカタログをパラパラ眺めだした。
「どうして引っ越したの?」
「前の家は日当たりが悪くて……」
おこめさんはカタログから顔を上げて僕を見た。
「もうちょっと明るいところが良いなと思ったんです。朝、気持ちいいんですよ」
朝の光の中のおこめさん。想像して、胸のどこかがぽっと温かくなった。
「いいね、それ」
「ソーダさんも今度、遊びに来てください」
おこめさんは、さらっと言った。
そしてカタログを棚に戻す。
来ていいんだ。そっか。
え!?それってつまり……。
おこめさんを見たけど、おこめさんは洗濯機コーナーに向かおうとしていた。
それ以上は何も言えなくて、二人でまた歩き出す。
家電を見たあと、本屋などをブラブラする。
外が暗くなってきたところで、夕食を食べた。
特別なことは何もしていないのに、一緒にいて楽しかった。
夕食のあと、車で、おこめさんが泊まるいつものホテルへ向かう。
ホテルの車寄せに着いた。
おこめさんのトートバッグを持って、運転席から出る。
エスコートするつもりで反対側にまわると、ちょうど、おこめさんも助手席から出てきた。
「今日は、ありがとう」
声をかけた。
内心、ドキドキしている。
今日のデートは、すごく良い雰囲気だった。
もしかしたら、もしかするかもしれない。
今日こそは。
「私も。楽しかったです」
おこめさんは微笑んだ。
「あの、おこめさん……」
「はい……」
二人で見つめあう。
どちらともなくキスをした。
おこめさんを抱きしめる。
きついくらい、しっかりと抱きしめ返してくれた。
長いキスのあと、顔を離す。
おこめさんが潤んだ瞳で僕を見る。
僕のジャケットの袖をそっとつかんだ。
「もし良かったらですけど……」
おこめさんがホテルの入り口をチラッと見た。
「今夜は、もっと一緒にいませんか」
おこめさんの顔がほんのり赤かった。
そういう、ことだよね。
「……うん」
僕の顔も熱くなってきた。
でも、車はどうしよう。
「私が先にチェックインしてきますので、その間に駐車をお願いしても良いですか」
おこめさんの言葉で我に返る。
「分かった!」
運転席に戻る。
足が震えてて、運転がちょっと怖かった。
いつもより慎重に駐車したあと、急いでエントランスに戻る。
すると、貫禄のある初老の男性が、おこめさんに丁寧に挨拶していた。他のお客さんは、カウンターで待っている。
これが特別な対応だということは分かる。
「ソーダさん、行きましょう」
おこめさんに呼ばれた。
初老の男性が僕にも挨拶してくれる。このホテルの支配人さんらしい。
ポーターさんが僕のバックパックを持ってくれた。
支配人さんに先導されて、4人でぞろぞろと歩く。
エレベーターに乗ったところで、最上階のボタンが押された。
「こちらでございます」
支配人さんはそう言って、部屋の扉を開けてくれた。
入り口から見えるところだけでも、僕が東京で泊まったホテルより広かった。
ベッドもトイレも見えない。
正面の大きな窓には綺麗な夜景が広がっている。
分厚い雲の下で街の灯りがひときわ明るく輝き、水面にキラキラと反射している。
この街で生まれ育ったけど、こんなに綺麗な夜景は初めてだった。
僕がぼーっと見ている間に、支配人さん達が深いお辞儀をして出ていった。
「おこめさん、あの、この部屋っ……!」
声がうまく出なかった。
「あの、私じゃないです。本当です」
おこめさんが慌てた様子でパタパタ手を振った。
「誤解しないでほしいんですけど、私はもっと安い部屋をお願いしてたんです。アップグレードですっ」
おこめさんは普段から早口だけど、もっと早口になってる。
「出張でここの系列はよく使うんですけど、普段はもっと普通の部屋ですよ」
必死に説明するおこめさんを見たら、本当におこめさんはこの部屋を選んでないんだな、と思った。
もしおこめさんが本気で筋書きを描いたら、僕は疑問にすら思わない。そんな気がする。
「でも記念日だって伝えたら張り切って、予想以上にアップグレードしてくれちゃったんです……」
気になる単語が出てきた。
「記念日?」
「はい。記念日だから、夜景が綺麗なお部屋でお願いします、って……」
おこめさんが恥ずかしそうにしている。
記念日。
最初からそのつもりで来てくれたんだ。
胸がジンとした。




