2-12 手をつなぐ気には、なれなかった
◇ ソーダの視点
おこめさんが手に持ったゴンダムフィギュアを見る。
欲しい、本当に欲しい。
だけど高い。これだけで、前回の新潟デート代を超える。それはフェアじゃないと思う。
欲望に揺らいだ自分が情けなかった。
「大丈夫だよ」
「でも……」
「本当に大丈夫だから。」
言い切った。
おこめさんが何かを言いかけて止めた。
僕は別のコーナーで手の届く値段のものを選び、それを買った。
おこめさんは、やっぱり何も言わなかった。
でも、スッキリした気持ちのどこかに、後味の悪さがあった。
夕方になって近くのロブスターレストランに入る。
入り口付近の水槽で、生きたロブスターが泳いでいた。
「わ! ロブスター。生きてるの初めて見た。おせちでしか見たことなかったよ……」
それも、半身になったグラタンだけだ。
「食べます?」
おこめさんがイタズラっぽく笑った。
「うん。食べたい!」
本当に食べてみたかった。
案内された席は窓際で、外にレインボーブリッジと東京タワーが綺麗に見える。
メニューを見た。高級食材というイメージはあったけど、やっぱり高い。
1匹の値段が僕の稼ぎ2日分近くする。
食べたくて入ったのは良いけど、いざ金額を見るとうっと来るものがある。
おこめさんがメニューを眺めながら「蒸しと焼きで食べ比べしてみるのは……」と言いかけて、止まった。
僕の顔を見ている。
「……一番小さいのを1尾、蒸しでお願いします」
気を使われてしまった。
おこめさんは他のメニューも適当に頼んでいく。金額を計算してるようには見えない。
僕の好みも聞いてもらったけど積み上がっていく値段に気が気じゃなかった。
やがて、スタッフさんがロブスターをお盆に載せて運んできた。
まだ生きていて、縛られたハサミで僕たちを威嚇した。
「触っても良いですか」
おこめさんは触りたそうにウズウズしている。
「良いですよ」
スタッフさんが笑顔で頷いてくれる。
おこめさんは、わーい、という感じでロブスターをツンツン触った。
ロブスターは嫌がっている。
僕も少し触った。
これから、この生き物を食べるんだな。
おせちに入っているものしか知らなかったから、不思議な感覚だった。
美味しかった。
ロブスターのお店を出る。
おこめさんは、いつの間にか支払いを済ませていた。
外はもうすっかり暗く、レインボーブリッジと東京タワーが海の向こうで光り輝いている。
「綺麗ですね」
おこめさんが言った。
「うん……」
確かに綺麗だ。でも、頭の中がモヤモヤしてる。
手をつないで、ゆっくり駅に向かって歩く。
歩きながら今日のことを振り返った。
優先チケット、ロブスター。それだけで、随分高い。
前回おこめさんが僕の地元に来たとき、僕が使った金額の4倍は軽く使ってる。
「ソーダさん、明日はスカイツリーで大丈夫ですか?」
おこめさんがデートプランの確認をしてきた。
「うん……、ちょっと待って」
僕は立ち止まった。
こんなに払ってもらうのは、どうしても居心地が悪い。
「え?」
おこめさんも立ち止まった。
「今日のこと、ちょっと、話したい……」
おこめさんが戸惑っている。
「やっぱり僕も払うよ。今日のロブスター代だけでも」
おこめさんが首を振った。
「でも今日のデートは、私が持つ約束です……」
だけど僕も、退きたくない。
「でも、おこめさんは払いすぎだよ」
「でも、ソーダさん、新潟で全部払ってくれてるじゃないですか。お土産だって買ってくれましたし」
「でも金額が違うよ! 僕なんか前回の新潟で安いご飯屋さんと、ちょっとしたお土産くらいしか払ってない……」
二人とも「でも」が止まらない。
おこめさんとの口論は、初めてだった。
「でも、大事なのは気持ちだと思うんです! 前回、私はすごく楽しかったですし、ソーダさんがいっぱい考えて準備してくれたのは良く分かってます。それが嬉しいんです。お金じゃないんです!」
「でもさ、おこめさんがたくさん払って、僕があまり払わないのは違うと思う。フェアじゃない」
エスカレートしてるのは、分かってる。
止めなきゃ、と思うのに止められない。
「そんなの良いじゃないですか! 私は、ソーダさんと楽しい時間を過ごしたい。それだけなんです! 準備する気持ちがバランス取れていれば良いじゃないですか……」
おこめさんに「そんなの良い!」と言われて心が痛んだ。
お金は大事だ。そんなの良くない。
「駄目じゃない! ありがたいよ。でも、限度があるじゃん。僕は、どうしてもお金を見ちゃう。それがしんどいんだ」
正直な気持ちが、僕の口から滑り出た。
「……しんどい」
おこめさんが呆然と、その言葉を繰り返した。
気まずい沈黙が二人を隔てる。
いつの間にか、つないだ手は外れていた。
しばらくして、おこめさんがポツンと言った。
「私は、ソーダさんと楽しいところに行きたいし、美味しいものも食べたいんです……」
「分かるよ」
言っていることは分かる。
それが高いということも。もしかすると今日よりも。
でも、おこめさんにとっては何でもない出費なんだろう。
それが、辛かった。
「……行こう」
おこめさんに声をかける。
「はい……」
並んで歩きだす。
でも手をつなぐ気には、なれなかった。
おこめさんと僕のモノレールは逆方向だ。
ホームで立ち止まる。
「今日、楽しかったですよ」
おこめさんの微笑みが、ぎこちない。
「……うん。僕も」
僕の顔も、ぎこちなかっただろう。
「おやすみなさい」
そう言って、おこめさんがモノレールに乗る。
「おやすみ」
僕は声をかけた。
おこめさんが悲しそうに頷く。
ごめん、とか、また明日、とか言えれば良かった。
でも言えなかった。
言えないまま扉が閉まり、モノレールが発車する。
すぐに、モノレールは見えなくなった。
俯いた。
僕って最悪だ。
おこめさんは、精一杯、楽しいデートにしようとしてくれただけだ。
それは分かってる。
僕も、モノレールに乗った。
座りながら窓の外を見る。
今日一日を思い返す。
朝の改札で僕を迎えてくれた嬉しそうなおこめさん。ミュージアムもたこ焼きも、どれも本当に楽しかった。
それなのに。
ゴンダムショップの袋が手の中にあった。自分で選んで、自分で払ったやつだ。
何がしたかったんだろうと思った。
僕のプライドは、そんなに高いのか。
僕たちの住んでる世界は違う。すごく違う。
でも、おこめさんは、それを知った上で僕に会いに来てくれた。
気持ちがグルグル回って、整理ができない。
窓の外で東京タワーが遠ざかっていく。
赤い灯りが暗い空にぽつんと残って、やがて見えなくなった。
曇り空の夏の夜だった。
◆◆◆
◎おこめの視点
自宅に戻った。
ショックのあまり、どうやって帰ってきたのか覚えていない。
頭の中は、ソーダさんの辛そうな顔でいっぱいだった。
「しんどいんだ」
ソーダさんの声がこだまする。
家事ロボットのゴンダムさんに荷物を渡し、椅子に崩れ落ちる。
どこで間違ってしまったのか。
予算超えのフィギュアか。
その後のロブスターもだ。いわゆる高級レストランじゃないけど、メニューを見たソーダさんの顔色が変わった。
そもそもソーダさんは、おこめが全額負担することを嫌がっていた。
それを押し通したのは自分だ。
ソーダさんの財布を考えだすと選択肢がとても限られてしまうから。
自分のせいで、ソーダさんにホテル代を負担させてしまったから。
でもそれが、ソーダさんの気持ちを踏みにじっていた。
涙が出てくる。
先ほどから心配そうに足元をグルグルしていた多腕型のケアロボット、タコちゃんがアームを伸ばしてハンカチで涙を拭いてくれた。
ゴンダムさんが気を利かせて、冷たい水の入ったコップを渡してくれる。
でも彼らが、想定機能を超えて私に触ってくることはない。
それは禁じられている。
水を一口飲んだ。
たくさんの良い思い出が脳裏に蘇る。
夕焼けに照らされて優しい笑みを浮かべるソーダさん、満員電車で守ってくれたソーダさん。照れながら、たこ焼きを「あーん」してくれたソーダさん。そして、優しくキスしてくれたソーダさん。
私はソーダさんのことが好きだ。
好きだから喜んでほしかった。それだけだったのに。
また明日、も言ってくれなかった。
スマホを見た。
ソーダさんからは、まだ何も連絡が来ていない。
もし怒って、今日で帰っちゃったらどうしよう。
『別れるんでしょ。』
彩夏が、冷静に囁いた。
おこめは『ソーダさんはそんなことしない!』と心のなかで叫んだ。
とても嫌な想像。ソーダさんが怒って帰る。別れる。この家を解約する。日本には帰ってこない。
良い想像。仲直りして明日は楽しく遊ぶ。そのうち、この家にも来てもらう。
どうすれば、また仲良くできるんだろう。
私が我慢すれば良いのかな。
でも、それって本当の私なんだろうか。
ソーダさんは、我慢している私しか愛してくれないんだろうか。
まだ涙が止まらない。
ゆきさんに助けてもらった後、どんなに辛いときも大変なときも、泣いたことなんて無かったのに。
なんとか体を動かして、シャワーを浴びる。
やっと涙が止まった。
シャワーから出て服を着た後、タコちゃんが一生懸命、目もとを冷やしてくれる。
仕事をしよう。
ソーダさんのことを考えないですむように。
パソコンを開いた。
画面が頭に入ってこない。
窓の外を見た。
曇り空が東京の明かりを反射して、外はぼんやり明るかった。
ソーダさんは、もうホテルに着いただろうか。
また泣きそうになってきた。




