2-4 浴衣の彼女と、僕のホームグラウンド
◇ソーダの視点
お盆直前の土曜日になった。
おこめさんが来る日だ。朝からミンミンゼミが喧しい。
公園の広場には、ぐるりと提灯が吊り下げられ、町会の法被を着た人が慌ただしく動きまわっている。
この「祭りだぞ!」という雰囲気は、僕も好きだ。町会が運営するお祭り会場の設営で、朝から力仕事に駆け回る。
ここでちゃんと手伝っておかないと、冬の雪かきが大変なことになる。
やっと終わった。
まだ11時だ。大丈夫。
早く家に帰って午後に備えないと。
「颯太、お疲れ。そんなに急いでどこ行く」
車に向かって早足で歩いていたら、古谷のおじさんに声をかけられた。
おじさんは、僕が子供の頃から町会長だ。
80近い年齢だけどまだまだ元気で、こういうイベントになると張り切って仕切る。
「友達が東京から来るんです」
「友達か」
おじさんが目を細めた。
「楽しんで来いよ!」
深いことは聞かない人だ。ありがたい。
急いで家に戻った。
シャワーを浴びてランチを食べる。
冷房の効いた室内でゆっくりしたら、体力が戻ってきた。
ヒゲを剃り直して浴衣に着替える。
髪型も大丈夫か、鏡で確認。
念のため両親にもチェックしてもらった。
おこめさんが僕の彼女になってから、初めてのデートだ。
しかも、浴衣で来てくれる。
期待に胸が高鳴った。
早めに家を出て新幹線の改札で待つ。
いつもより圧倒的に混んでいる。お盆直前の連休初日だ。
祭りを見に、他県から遊びに来る人もいる。
新幹線が着いたらしい。
改札から大波のように人が出てくる。
だいたい皆、大きな荷物を持って長旅と人混みに疲れた顔をしている。
だんだん人の流れが落ち着いてきたとき、浴衣姿のおこめさんが来た。
涼しげな顔と身軽な姿。ひとりだけ違う時間にいるみたいだった。
思わず笑顔になる。
おこめさんの浴衣には、白地に爽やかな藍と若草色の細かい草花が描かれている。帯は深い紺だ。
荷物は藍色の小さな巾着がひとつと、白い日傘だけ。
まさに立てば芍薬、歩く姿は百合の花、という感じだ。
改札を出てきた男の人が二度見して、連れの女性に腕を引っ張られていた。
手を振る。笑顔で手を振り返してくれる。
浴衣の袖から白い前腕がチラッと見えて、ドキッとした。
「ようこそ!」
「ソーダさん、浴衣、素敵ですね」
ニッコリと先制攻撃された。
「う、うん。ありがとう」
照れる。
「おこめさんも綺麗だよ。青い髪飾りも、よく似合ってる!」
「本当に? 嬉しいです!」
おこめさんは嬉しそうな顔で、耳元につけた髪飾りを見せてくれた。
明るいショートボブに、柔らかく折られた和紙のアサガオが小さく揺れている。
白くて綺麗なうなじに、またドキッとした。
ドキドキしすぎだな。僕。
「おこめさん、荷物は大丈夫?」
おこめさんは1泊するはずなのに、ほぼ手ぶらだ。一瞬、自走式トランクかなとも思ったけど、それらしいトランクは見当たらない。
「あ、大丈夫です。ホテルに直送してあるので」
サラッと言った。
そっかー……。
その発想はなかった。
「そんなに高くないですよ。普通の宅配便で送るくらいです」
おこめさんが、そう言ってパタパタ手を振った。
驚いたけど考えてみれば、浴衣を着ているのに荷物を1泊分持ってくるのは大変そうだ。
おこめさんらしい。
「だからホテルとかに寄らなくて大丈夫です。このまま行きましょう」
「分かった!」
歩き出すと、おこめさんが自然に僕の手を取った。指と指が絡む。
恋人つなぎだ。
おこめさんの指は、やっぱり細くてスベスベしてる。
今日は、おこめさんが彼女になってから初めてのデートなんだよね。
頬が緩んだ。
自動運転バスで古い町並みのエリアに向かう。
今日は祭りで大渋滞するから、僕の車は最寄り駅に置いてある。
祭り初日の商店街は、準備の熱気と観光客の賑わいが混ざり合っている。
昔は金曜から3日がかりの祭りだったけど、数年前から週末2日間になった。
その分、人の密度も上がった気がする。
あちこちで観光客らしい人たちが地図を見ながら歩いていたり、老舗の甘味屋の前に列ができていたりした。
軒先には、ずらりと提灯がぶら下がっている。
おこめさんは、目をキラキラさせてキョロキョロしている。
見るだけじゃなくて、古い黒塀に触ってみたり、腰を落として地面の何かを観察したり。
水族館のときも思ったけど、小さい子みたいで普段とは違う可愛さがある。
悪くいえば挙動不審。
「この建物、すごく古いですね」
古びた木の壁を触りながら、おこめさんが呟いた。
僕も頷く。
「このあたりは、旧花街で、江戸時代から続く旧家や古いお茶屋さんが並ぶエリアなんだよ」
「素敵ですね。こういう場所、あまり来たことなくて」
「でしょ。まあ地元だと見慣れすぎて、あんまりすごいと思わないんだけど」
「それはもったいないです! 想像してみてください。ここをお侍さんが刀を持って歩いてたとか、芸妓さんが行き交ってたとか。楽しくないですか」
おこめさんは、本気で楽しそうだった。
そう思ってあたりを見ると、どこか新鮮に見えてくる気がする。
行列の甘味屋を横目に過ぎて路地を一本入る。
古い喫茶店が佇んでいる。禁煙マークが大きく描かれたドアを押した。
ドアを開けた瞬間、ひんやりとした空気と煎りたてのコーヒーの良い香りに包まれる。ここは相変わらずだ。
僕が大学生のとき、よく通っていた。
「コーヒーを2杯、お願いします」
白髪のマスターが無言のまま頷いて、コーヒーを淹れてくれる。地元の人間しか知らない店だ。
実は、表通りの甘味屋と仲が良くて、人気の和菓子もここで食べられる。
「これ、さっき行列ができてたお店のですよね!」
「そう! 食べる?」
「はい!」
おこめさんの目が輝いた。
落ち着いた店内で少し休憩する。
そういえば、おこめさんは、こういう古い町並みに来たことがないと言っていた。
「おこめさんは、京都とかの古い町に行ったことないの? すごい旅慣れてる雰囲気だけど」
「ないですね。弾丸出張は多いんですけど、こういう観光は殆どしたことなくて……。一人で行く気にもならないですし」
それは意外だった。
「ソーダさんは、いかがですか。旅行、行きます?」
「僕は年1回くらい、家族と旅行に行ってたよ。国内だけだけど。お姉ちゃんが大学に行きだした後は、なんだかんだ余裕なくなっちゃったなー」
「旅行は、お好きですか?」
「好き! だとは思うけど、お金が……。今のところ、東京への旅費で精一杯って感じ」
「そうですか……。次の東京デートも楽しみです。ソーダさんと一緒なら、どこでも楽しいと思います!」
おこめさんは微笑んだ。
次の話題に移っていくなかで、ふと思う。
おこめさんは旅行に行きたいのかな。
スキマバイトも始めようか考える。
国内旅行代くらいなら貯まるだろうから。
やがて、窓の外で遠くから太鼓の練習音が聞こえ始めた。
十分に涼んだ僕たちは、お店を出て、まち歩きを再開した。
舟形の山車が通りの向こうから来たとき、おこめさんは大興奮だった。
カラフルな甘酒を一緒に楽しんでるときのこと。
おこめさんが僕のオレンジ色の甘酒をじっと見てるのに気づいた。
「こっちも飲む?」
「はい」
交換して飲んだ。
「……間接キスですね。ドキドキします」
「普通にキスしたことあるのに?」
「それとこれは別です」
思わず笑った。
おこめさんからもらった甘酒に、もう一度口をつける。
……僕も、ちょっとドキドキした。
ファンシーなアイテムを集めた雑貨屋さんに入ったとき、個性的なぬいぐるみ達を前におこめさんは大喜びだった。
店内を見て回っていたおこめさんが、白鳥のぬいぐるみの前で足を止めた。
「気に入った?」
「ええ。このとぼけた雰囲気がソーダさんに似てるなって」
「ちょっ、どういうことー!?」
おこめさんが吹き出した。
「大好きです」
そう言って、腕をギュッとされる。
せっかくなので、そのぬいぐるみをプレゼントする。
「ありがとうございます!」
そう言って大切そうにぬいぐるみを抱きしめるおこめさんの笑顔が、何よりも愛しい。
早めの夕食を食べて外に出ると、通りに人が溢れていた。
三味線の音が聞こえる。
提灯の光が増して、夕暮れの古町が橙色に染まっている。
空高くには、三日月よりも少し太い月が、優しい笑顔を見せていた。
これから、祭りのメインイベントだ。




