2-2 仕事に向き合う僕も、女神にとっては素敵らしい
◇ソーダの視点
次の水曜日。
おこめさんが今週末に来てくれる。
僕の彼女が、会いに来てくれる。
考えるだけでウキウキした。
車を運転して、青々と茂る田んぼの脇を通り抜ける。
勤め先の工場に着く。
車を降りると、夏の太陽が照りつけた。
ロッカーに靴を入れながら、ニヤつくのを全力で抑える。
マスクをつけるまでは我慢しないと……。
着替え終わり、現場に入る。
夏の工場は、外との温度差が体にこたえる。
冷えた空気に揚げ油の匂い。パチパチという揚げる音と、コンベアの唸りにも慣れた。
パックをひとつひとつ検品しながら、少しぼーっとしていた。
おこめさんのことを考えていたわけじゃない。本当に。
気づいたのは完全に偶然だった。
左側のガイドレールのせいで、パックが少し斜めに流れてくる。
先端にカマボコ板みたいな小さな板を足せば、真っ直ぐ流れるんじゃないか。
現場の手間も減る。
……いや、僕なんかの素人考えかもしれない。
現場の先輩達が気づかないわけがないし、何か理由があるのかも。
そう思ったけど、どうしても気になって、衛生エリア専用のメモ帳に書き込んだ。
休憩室で何度かためらった末に佐藤さんに声をかける。
佐藤さんは現場のことを良く知っていて、僕にいろいろ指導してくれる。佐藤さんほどのベテランなら、何か分かるかもしれない。
「佐藤さん、あの、僕たちのラインに流れてくるコンベアのガイドなんですけど……。あそこにカマボコ板みたいなものを一枚足すだけで、パックの向きが真っ直ぐになるような気がするんですけっ……」
言い終わるかどうか、というタイミングで佐藤さんがフンッと鼻で笑い、面倒くさそうに息を吐いた。
「何言ってんのよ」
これだから素人は、と後に続きそうな雰囲気だ。
「良い? 板を足すってことは、部品を追加するってことでしょ? 設備の改造は現場のパートの権限じゃないのよ。異物混入のリスクだってあるんだから設備部門が動かないといけないし。これだから素人は……」
本当に言った。
佐藤さんに相談しちゃったことを後悔する。
「こっちだって、ラインの改修になったら検証とか付き合わされるのよ。思いつきで余計なことを言わないでよ」
思いつき。余計なこと。
そう言われて落ち込んだ。
「な、なるほど……。すみません」
「慣れれば早いのよ。余計なこと考えないで、まず今のやり方に慣れなさい。こないだもパックについた汚れを見落としてたでしょ」
お説教が始まってしまった。
「分かりました、すみません、気をつけます」と頭を下げて引き下がる。
他の人のミスまで怒られたりとか、理不尽な内容もあって腹は立ったけど、ぐっと堪える。
今日は定例の日で、おこめさんとおしゃべりできる。今週末は、おこめさんとデートだ。それだけを考えた。
でも、お腹に溜まるものはある。
その日の夕食で、僕は佐藤さんの愚痴をこぼしてしまった。
「佐藤さんにまた怒られたよ」
「佐藤さんって、パートの先輩だっけ?」
母さんが反応した。
「そう。ベテランのおばちゃん」
「なんで怒られたの?」
「余計な改善提案しないで目の前の仕事に集中しろ、だって。他にも色々怒られた。あの人と一緒に働きたくないー」
僕は頭を抱えた。
「颯太。佐藤さんには色々教えてもらってるじゃない。何か考えがあったんじゃないかしら」
母さんが優しく言った。
「それに他の人は変えられないのよ。だから自分が変えられるところを変えていかないとね」
「……うん。僕が気にしすぎなんだと思う」
そうだよね。佐藤さんは変えられない。
僕の動き方を変えるしかないんだ……。
定例の時間になった。
おこめさんに通話をかける。
今夜も、おこめさんは着信音が鳴る前に取ってくれた。
「こんばんは」
今日のおこめさんは白いカッターシャツだ。
アイスブルーのラインがネクタイのように走っている。シゴデキな女性、という感じ。
耳元で揺れる金色のイヤリングが華やかだ。
おこめさんは、いつもオシャレだから服を見るのも楽しい。
「ごめん、もしかして仕事中なの?」
夜9時だけど。
「大丈夫ですよ。着替える余裕がなくて。私も、ソーダさんとおしゃべりしたいんです」
おこめさんは、にっこり笑った。
僕はホッとする。さすがに仕事はしてないよね。
話題が色々飛ぶなかで、工場ラインのガイドの話になった。
「佐藤さんに余計な思いつきって鼻で笑われちゃった……。僕ってやっぱりバカだよね。まあ素人の浅知恵だから、しょうがないけど」
と、自嘲気味に笑い話として終わらせるつもりだったのに、おこめさんが不自然に静かになった。
「ソーダさんの提案を、ちゃんと教えてください」
おこめさんの声が少しヒンヤリしている。ちょっと怒っている?
……いや、僕に怒っているんじゃない。
真剣に理解しようとしてくれているんだ。
もしかして、仕事モードに入ってる?
気づいたきっかけ、現場の業務、考えたことを説明する。おこめさんは僕の下手な説明をちゃんと聞いて、質問もしてくれた。
「分かりました。ありがとうございます。ひとつ、言って良いですか?」
「うん、もちろん」
おこめさんは真剣な顔だ。何を言われるんだろう。
「ソーダさんは、バカじゃないです。ソーダさんの提案は、思いつきなんかじゃない」
おこめさんから褒められて驚いた。
「私も専門家じゃないので分からないですけど、ソーダさんの提案が、ちゃんと考えられたものなのは分かります」
褒められるのに慣れてないから照れる。
「班長さんには言ってみました?」
「言ってないよ。佐藤さんに言ったら『思いつきで余計な提案するな!』って、怒られたし」
「さっきの話だと、佐藤さんは、役職なしのパートですよね。却下する権限はないはずです」
言い方が柔らかいのに、きっぱりしていた。
「ソーダさんの提案を判断するのは、班長さんの仕事です。佐藤さんが否定したからって諦める話じゃないですよ」
「でもラインの変更って、すごく手間がかかるみたいだし……。僕なんかが言っても皆の迷惑になるだけじゃ……」
おこめさんが首を振った。
「その手間も含めて、稟議にかけるか判断するのは班長さんです。ソーダさんは言えばいいだけ」
言えばいいだけ、か。でも怖い。
「言って、もし班長さんにもまた思いつきだって笑われたら?」
「大丈夫です。あの内容ならソーダさんが真面目に考えたことは伝わります。でも言わなかったら確実に何も変わらない」
言わなかったら、確実に何も変わらない。
その言葉を反芻する。
言うだけだ。それだけ。
少し勇気が出てきた。
「……言ってみる。うまくいくか分からないけど」
「頑張ってください」
少し間があって、おこめさんの声がふわりと柔らかくなった。
「仕事に向き合ってるソーダさんも、素敵ですよ。自信持ってください」
キュンっとハートを撃ち抜かれた。顔が熱い。
自分の中で、何かのスイッチが入った気がする。
次の日の退勤前。班長の木村さんの姿を見つけた。佐藤さんは近くにいない。
緊張する。また笑われるかもしれない。呆れられるかもしれない。
3回深呼吸して、勇気を振り絞る。
「あの……お忙しいところすみません」
「ん?どうした?」
声が少し裏返った。しどろもどろになりながら、ガイドの改善について説明した。
説明するのは3回目だからか、前よりもうまく説明できた気がする。
木村さんは最後まで黙って聞いてくれた。
そして「ちょっとここで待ってて」と言って、ラインの方に向かう。
ドキドキしながら戻るのを待った。
「これ、確かに部品を足せばいけそうだね。食品対応樹脂とかで板を作れるか、設備部門に申請出してみる。ありがとう、田中くん」
「えっ……あの、採用されるかどうかは……」
「採用されるかどうかは、向こうの予算と審査次第だね。だけど、こういう現場の視点は言ってもらわないと気づきにくいから。助かるよ。これからもお願いね」
助かるよ。これからもお願いね。
この言葉が、耳に残る。泣きそうになった。
真面目さ以外で、初めて仕事で褒められた。
乾ききった田んぼのようだった僕の心に、ほんの少し水が入った気がした。
退勤後、おこめさんに報告する。
おこめ: 良かったです! さすがソーダさん♡
すぐに返事が来た。
僕以上に喜んでくれている気がして、嬉しかった。
金曜日の夜。
シャワーを浴びながら、明日のデートを考えた。
明日は、おこめさんが新潟に来てくれる。そのまま泊まって、日曜日も一緒に遊ぶ。
……お泊り。
いや。
おこめさんのペースは大切にしたい。
でもそのうち。
おこめさんとキスをして、一緒にベッドの上に……。
そんな想像がふと頭をよぎる。
ドキドキと不安の両方がふくらむ。
知識としては、知ってる。でも自分のこととなると、どうすれば良いか、イメージがつかない。
それにひきかえ、おこめさんは僕より四つ上で、きれいな大人の女性だ。
僕は、おこめさんの過去は知らない。でも、そういう経験も当然あるんだろうな……。
中学生みたいに初めて同士が良いなんてことは、もう全くない。
ないけど。胸がじわっとした。
窓の外で夏の虫がキリキリキリ、と鳴いている。
僕は、おこめさんと先に進みたい。
だって、おこめさんの恋人は、僕だから。
もっと、おこめさんのことを知りたい。
どんなところに住んでいるかすら、まだよく分からない。




