1-11 スペックじゃない。ソーダさんがいい
◎おこめの視点
ソーダさんと東京デートの相談をした次の日。
シンガポールの高級レストランにいた。
キャンドルが揺れるテーブルの上を、生演奏のピアノの旋律が静かに通り抜けていく。
眼下には南国の華やかな港が広がり、水面に反射したイルミネーションが躍っている。
これは、起業家アヤカとしての会食だ。
向かいに座る赤石は、絵に描いたようなエリートだった。
彼は、アヤカの会社に出資する大手ベンチャーキャピタルの担当者だ。むげに会食を断れない。
年齢は30代後半くらい。整った顔立ちに、仕立てのいいスーツ、超高級腕時計、傷ひとつない革靴。
頭の回転が速く、教養が豊かで、話も上手だ。
彼が優秀な人材であることは疑いようがない。
たぶん、世間一般でいうなら、かなりのハイスペック男性だ。
「今期の売上の伸びは計画以上です。それに業界では、御社がもうすぐ画期的な新製品を発表するんじゃないかと皆が注目していますよ」
自信に満ちた声。いかにも女性からモテそうだ。
だけど、ソーダさんと話しているときのような心地よさはない。
「チームのおかげです」
ビジネスライクに微笑んだ。
「最近、アメリカで注目されている競合製品はご存じですよね。今度、一緒に現地へ見に行きませんか。何か参考になるかもしれません」
内心、ため息をついた。
仕事の提案として、おかしくはない。でも、たぶん仕事だけでもない。
「ご提案ありがとうございます。検討させていただきます」
目の前に黒い瀟洒な楕円形のプレートが置かれた。
中央にクリーム色のスパゲティが美しい渦を巻いて盛られ、カニの甲羅が上品に飾られている。
美味しい。
ふと、ソーダさんの笑顔が浮かんだ。
ソーダさんはスパゲッティが好きだし、このお店に連れてきたら喜んでくれるかな?
いや、まだ呼べない。
ソーダさんをびっくりさせちゃうだろうから。
それが残念だった。
「ブランディングといえば、アヤカさんはインタビューや対外写真で、いつも仮面をつけてますよね」
食べながら頷く。
対外的には蝶の仮面で顔を隠し、社内や非公開の場面でしか素顔を見せていない。
『美人起業家』として自分を売り出したくないからだ。
「こんなに綺麗なんですから、美人起業家としてブランディングしても十分成功できると思うんですけど、なぜ仮面で隠すんですか?」
「世の中に女性は多いですけど、仮面をつける勇気のある人は少ないんです。だからこっちのほうが良いんですよ」
赤石は、一瞬だけ意表を突かれた顔をした。
「なるほど。美人で売るより、仮面で売ったほうが希少性が高い、と。確かに」
そのまま、少し前のめりになって続けてくる。
「私としても、アヤカさんの事業をもっと深く理解したいと思っていまして。もう少し定期的にお時間いただけませんか」
内心残念に思いながら頷く。
もう少し踏み込んでくれれば、公私混同の明確な証拠になるのに。
「もちろんです。前任の方とも定期的に会話していましたし、同じようにさせていただきたいです」
うんざりだった。
作り笑顔の裏側で、担当変更に向けた交渉の道筋を考える。タイミング、順番、ストーリー。
赤石は優秀だ。
顔も良い。お金もある。社会的な立場も申し分ない。
それでも、一緒にいたいとは思わない。
このお店自体は素晴らしい。上質な眺望と雰囲気、美しい盛り付け、非日常そのものといえる味と香り、過不足のないサービス。
いつか、また来たい。
ソーダさんと一緒に。
細川彩夏の全てを受け入れてくれた後に。
そんな日が来るのかは、自信が無かったけれど。
会食を切り上げて、エアタクシーに乗る。
摩天楼の上を飛びながらソーダさんの笑顔を思い出した。
次のデートは、ソーダさんがわざわざ東京に来てくれる。
魔法使いの城といえば星の廊下だ。
もしかして、ソーダさんも告白のことを考えてくれてるのかな。
もし告白されたら、どうしよう。
もちろん、答えは決まってる。
スペックじゃない。
私は、ソーダさんがいい。
つい、頬が緩んだ。
※答えを知らないのは、告白する本人だけです。




