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1-6 不穏な雲

 アルロフが手に持ったペンは既に下書きがされているかのようにサラサラと迷いなくアウネのシャベルのさじ部分を走る。ペンが通った軌跡には星の欠片が混じったような瑞々しい若葉のインクが残っていた。インクはペン先をインク液に着けることで補充していっている。小瓶の液体の減り具合とペンのインク持ちを見るにどうやらペン先から大量のインクを吸っているらしい。

 正直、掘るというよりは描いているらしい。字を書くそれとはどうやら違うようだ。

「本当に手で描いてるんだ……」

 ここに来てやっと口を開いたアウネの言葉に、ライネも同調し、そうねぇ、と感嘆の声を漏らた。


 アルロフのペンさばきを見ているうちに、あっという間に刻印の作業は終わった。

「ありがとうございました! こんなにキラキラした体験、生まれてはじめてです!」

 作業道具を片付ける彼にアウネは、まだ冷めそうにない興奮の熱を放出し続けるかのように礼を言った。

「私も、三十年くらい生きてるけど刻印を描いてるのは初めて見ました」

 ライネも言葉にならない思いに羽を少し揺らしている。

「喜んでいただけたようで、刻印屋冥利に着きます」

 仕事道具お返しますね、と丁寧に袋に入れられたシャベルをアウネに手渡した。

「私、次に刻印してもらう時もアルロフさんにお願いします!」

 元気よく、ありがとうございます、とアルロフに言いながらアウネは渡されたシャベルを直ぐに取り出して刻印部分を確認する。そこには仄かに輝いている若葉色の刻印があった。

「それと、余りのインクと刻印の原案。私がいない時は、別の刻印屋さんにこれを持っていくと刻印を掘って貰えますよ」

 失くさないでくださいね、とアルロフは念を押して革袋に入れたそれをライネの方に手渡した。


「今日は毎度ありがとうございました。次のご来店、お待ちしております」

 凛とした声で店のドアの前で見送ってくれたアルロフに向かって、こちらこそありがとうございました、と手を振りながら店を後にするアウネとライネは何度も何度もアルロフの店を振り返った。

 周りの店の雰囲気と大して違う所はないはずなのに、今では店の周りだけ柔らかな光で包まれているような気がした。

「母さん、本当に凄かったね」

「そうね、もう母さんビックリして腰抜かしちゃうかと思ったわ」

 アウネとライネの足取りは来た時に比べて軽く、軽快な足音が賑やかな専門店街入り口に響く。

「母さん、私お仕事頑張ってこのシャベルを使い倒すから」

 そう言って、また手元の袋を少し開けてシャベルの刻印を確認する。刻印からは仄かにスノードロップの密の香りがした。

「あらあら、楽しみねぇ」

 ライネはニコニコと笑顔を浮かべながら娘の背中をドンッと叩いた。

「っ危ないよ〜」

 そして押されたアウネは転びかける。アウネの笑い半分の非難にライネも笑いながら、ごめんごめん、と謝った。


 二週間後には、春の郷の花畑の真ん中で毎年恒例の英霊祭が開かれる。他の郷も同時期に英霊祭が行われる。そして、それに先駆けてアウネと同様に多く妖精の子どもたちが仕事道具を手に入れ刻印を施すためにこの専門店街を訪れる。今、この専門店街は妖精達で溢れていた。


 彼らを祝福するかのように空は群青の素顔を出し、太陽は微笑むように陽の光を広げている。


 しかしそんな空の西側から雨の匂いを纏った暗雲が妖精の森の中心部に向かっていることは、まだ誰も知らなかった。


【第 1 章 刻印屋の青年 • 終】

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