3-5 エーリ=ワーソンという少女
確か、妖精の森に迷い込んだ所を助けた記憶がある。
一度目は、妖精の森と人間界の狭間。警備がろくにされていない辺境の川で。始めは人間ではなく妖精の子供だと思っていたが何度か会ううちに人間であることが判明し、急いで人間界に返したのだ。そして妖精の森と人間界との境に慌てて結界を張った記憶がある。
大体、十年程前だろうか。正直最近の出来事すぎて、彼女の容貌の変化にアルロフは驚いていた。
初めて会った時は、自分の腰ほどまでしかなかった彼女が今では目線程までの背になっている。
「あの、何か?」
「いえ。何でもありませんよ」
お名前を聞いても? とアルロフが少女に問うと彼女は素直に答えた。どうやら、彼女はアルロフの事を忘れているらしい。当たり前と言えば当たり前だ。彼女が五歳くらいの、まだ物心付く前の出来事なのだから。
「エーリ=ワーソンです」
やはり彼女だ。助けた彼女もエーリという名前を使っていたことを思い出す。
そして、彼女が妖精達を大切にしている事も知っている。彼女が、妖精を傷つける訳がない。
この子は助けなければ。この娘だけでも助けなければならない。
「エーリさんですね」
作業をするので首を服から出して頂いてもいいですか、と問うと彼女はグレーのパーカのフードをできるだけ首が見えるように下に引っ張る。
どうやら長い間……、人間界に行かない間に文明は大きく発展したようだ。アルロフがそんな事を考えて黙っていると、エーリはまだかと言わんばかりに視線をよこす。
「あのまだですか?」
だいぶ、しんどいんですけど、という彼女にアルロフは微笑み彼女の耳元に顔を近づける。
「声を出さずに聞いてください。分かったら頷いて」
その声に、エーリはコクコクと頷く。
「貴女をここから逃がします」
「?!」
「まずは、この王城から出ます」
少し待っててください、と言いアルロフは席を立ち上がる。
辺りを見回し、こちらに目を向けている妖精がいないか確認する。
「……」
どうやらいなそうだ。誰にも見られていないことを確認し、アルロフは仕事道具を革の鞄に再び詰め直した。
「十秒間、息を止めていてください」
出来ますね? というアルロフの問いにエーリは静かに頷く。その手は自身のフードを爪が掌に食い込んでしまうくらい握り込まれている。
「いい子ですね」
その声が聞こえるか否や、アルロフの姿はそこから消えた。
「?!」
突然消えた彼にエーリは声を出さずキョロキョロと辺りを見る。
「あまり身体を動かさないで」
自分の手を見てみて下さい、と言う声が頭上から降りてきた。
言われた通り、エーリが自分の手を見てみるとそこに手はなく床があった。手だけではない、身体もなかった。
どうやら透明になっているらしい。
「あの、どうして透明に?」
小声で恐る恐るエーリは見えないアルロフに聞いた。
「水滴を身体の周りに発生させ光を調整することで周りからは見えないようにしているんです」
ほら、見えないだけで触れることはできる、とアルロフはエーリの手をつかむ。
「気づかれる前に、ここを出ましょう」
「――はい」
アルロフに手を引かれるままエーリは立ち上がり、大部屋の出口へと向かう。
その時だった。
「アルロフ殿と彼の担当の人間が居なくなった!」
どこへ行った、とアルロフの隣の机で作業していた刻印屋が声を上げた。周囲がざわめき出す。
すると大部屋の入り口から慌てた様子で警備の妖精が入ってきた。
「最上階神殿に侵入者あり。妖精王陛下が感知なさった」
しかも紅い薔薇が置かれていた、と警備の妖精は大声で告げる。
「アルロフ殿、紅い薔薇を持っていなかったか?」
「もしかして逃げたのか?」
「これだからエルフは信用ならないんだ」
続いてあちこちから声が上がる。
一方、アルロフ達は大部屋の一歩手前で止まっていた。このまま入り口を通過したらぶつかって気づかれてしまう。
何か、何か妖精達の注意が引けるもの……。鞄の中を漁り、長年愛用していた金属製のペンを取り出す。
手放すのは惜しい品だが、背に腹は代えられない。
――カコン。
アルロフの机から少し離れたところで金属が床に落ちる大きな音が大部屋に響く。
ペンを転移させたのだ。
「何の音だ!」
「アルロフ殿が使っていたペンです!」
段々と妖精達が部屋の奥に集まりだす。
「今です。走りますよ」
小声でエーリに声を掛けたアルロフは彼女の手を引っ張り走り出す。
エーリもなんとか彼のスピードに追いつくように、しかし足音を立てないように走り、なんとか大部屋を出た。
【第3章 神殿奥の隠し部屋 • 終】
次回の更新は4月1日21時です。
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