3-4 人間
ねっとりとした甘い香りとツンと鼻を刺す腐臭が混ざり合い、今にも気が触れそうな匂いが神殿奥の部屋に充満している。
「なんなんだ一体」
今、妖精の森には何が起こっているんだ。半ば怒鳴るように息を吐き、アルロフは鼻を摘みながら一步、また一步と後退していく。
男と女の身体は大体腰の辺りでY字に黒く太い糸で無造作に繋ぎ合わされていた。
接合部分はまるで溶け落ちている最中かのように赤黒くかたまっている。接合部分の一部は化膿しているとも腐っているともいえる状況で、どうやらこれが腐臭の源らしい。
通常ではあり得ないが、固まっているはずの接合部分からゆらゆらと生暖かい湯気がうっすら立ち昇っていた。
どちらかというと繋ぎ合わされているというよりは、男の体を女の体にくっつけたような感じである。
しかし女には右腕がない。まるで斧できり落とされたようにバッサリと右肩から先がなかった。
腕以外にも、異様な切傷というよりは切開後に無理やり閉じられたものと思われる傷が男女それぞれの首元や項、胸元、腕、腹にいくつか刻まれている。まるで、いたずらに人体解剖をした後のようである。
目を背けたい。だが、このままではあまりにも気の毒である。
そう思い、先程床に落とした掛け布団を屈んで手に取る。
「うぁ?!」
二つの白く濁った目とアルロフは目が合った。
女の腰にあったそれは子どもの顔のようだった。
断定は出来ない。その顔があまりにも人間のそれからは懸け離れた風貌でほぼ女と一体化していたからだ。
一度溶け落ちたものをどうにかしてくっつけたかのように歯が口内の至るところからバラバラと生えた口は歪に歪んで、馬車馬に引かれたように鼻や頰は潰れている。
改めて三人の首元を見ると、妖精王家の刻印があった。
「!」
それが、アルロフ達刻印屋が召集された理由を全て物語っていた。
「人間達をただこうする為だけに俺達は呼ばれたのか……?」
口に出した言葉を噛み砕いて理解するまで、そう時間は掛からなかった。
止めなければ。
一刻も早く。次の犠牲が出る前に。
これ以上、妖精達が道を踏み外す前に――。
アルロフは掛け布団を丁寧に掛け、気休め程度に彼らに浄化魔法を掛けた。しかし右手から放出された光の波は直ぐに室内の暗闇に飲まれてしまう。
「クッ」
アルロフは走った。
いつも運動をしていないせいで、走り慣れない足を叩きどうにか足を前へ前へと動かす。神殿を出るまでの通路は、長く歩いたのがウソに思えるほど短かった。
「早く、早く人間達を逃さないと――」
階層が下がるごとに妖精との接触が増えていく。異様に思われないように段々と足を動かすスピードを下げていく。
元いた大部屋に着いた時にはアルロフは肩で息をするので精一杯だった。
大部屋の中は静かだ。刻印屋達が既に作業を始め黙々と刻印を人間の体に描いている。
「間に、合わ……なかった」
しかしまだ刻印されていない人間もいる。
まだ間に合う。
せめて、まだ大丈夫な人々だけでも逃さなければ。
取り敢えず大部屋を見回す。部屋の入り口、そして室内の柱があるごとに見張りの戦闘妖精が立っていた。ざっと二十人弱。
「無理か……」
大勢を連れて逃げ切れるほど、アルロフは優秀じゃないし器用でもない。
しかしどうすれば――。
「アルロフ殿、お戻りになられましたか」
作業の方をよろしくお願いします、と全体の作業の監督をする妖精がキョロキョロしているアルロフに近づき声を掛けてきた。
「あ、はい」
分かりました、とアルロフは答え案内されるままに席に着く。
「この者の首元に描いてください」
そう言って監督の妖精は王家の刻印が描かれた紙をアルロフに渡し、元いた部屋の入り口へと戻っていった。
ここまで来たらやるしかないのか? 正直泣きたい。
取り敢えず怪しまれないように自分で持参した革の鞄から使い慣れたインクとペンを取り出し机の上に並べる。
さてどうしたものか……。
仕事道具を出したものの、アルロフには刻印をする気などさらさらない。
再び鞄を持ち上げて中をいじってみる。せめてもの時間稼ぎだ。
こんなもの時間稼ぎにすらならないだろう。
「……あの。すいません」
そんな、どうしようもない事ばかりを考えながら鞄を漁っていると頭上から怯えた小鳥の鳴き声のような震えた声が聞こえた。
「はい?」
その声にアルロフは反射的に顔を上げる。
そこには一人の人間の少女が立っていた。
どうやら一人の刻印屋に対して一人の人間を担当するらしい。
「私、刻印? ってものをされるんですよね?」
いまいち状況を飲み込めていない彼女は軽く首を傾げる。
すると彼女のうねった金色の髪と空のように青い瞳がランタンの光を反射してキラリと輝いた。
「!? え、あぁ」
それが仕事ですからね、言葉に詰まりながらもアルロフは客と話すときのように丁寧に対応する。
しかし驚いた。危うく声を出すところだった。
その少女の幼い頃に、アルロフは彼女を助けたことがあったのだ。




