5話 同じ馬に乗った日
「何? ――馬に乗れぬ、と?」
「は、はい……」
紅の國の兵士たちは、すでに出立の準備を着々と進めている。
せっかくユーリスさんが手配してくれたのに、申し訳なさが胸に広がった。
でも馬に乗った経験なんて、小さい頃に牧場の体験コースで一度きり。
一人で馬に乗るなんて……どう考えても、無理だ。
「すみません……準備までしてもらったのに」
「ふむ。誰かの後ろに乗るしかあるまい。
……わしと一緒に乗るか?」
「と、とんでもないですっ!」
慌てて首を振った。
総大将の馬に同乗だなんて、畏れ多いにもほどがある。
絶対に注目されるし、心臓がもたない。
「じゃ、じゃあ……サイガの後ろとかって、だめですか?」
将軍ほどの重圧はないし、
さすがにいきなり落とされたりはしないだろう――たぶん。
「んー、ごめんね、ユイカ。
俺、馬ってあんまり使わないんだよね。
仕事柄、目立つ移動は避けてるからさ」
「仕事柄……?」
「俺、情報収集を主にやってるんだ」
改めてサイガを見る。
確かに、戦場だというのに、彼だけ兵士の格好をしていない。
鎧も着ていなければ、目立つ意匠もない。
人混みに紛れたら、きっとすぐ見失ってしまいそうな――
そんな、普通の服装だ。
「……そう、なんですね」
結花は一度、思案するように視線を伏せた。
「それなら……申し訳ないんですけど、
ヴァルガス将軍の部下で、
相乗りさせてもらえる方を紹介していただけますか?」
すると、サイガが一瞬だけ間を置いて――
悪戯っぽく笑った。
「何言ってるの。
ここに最適な人、いるでしょ?」
そう言って、視線と指先が向けられた先。
――ユーリス。
「ええ!?」
「な、何を……?!」
思わず、二人同時に声が上がった。
というかサイガ、絶対わざとだ。
「そ、そんな……悪いです。
ユーリスさんには、ただでさえお世話になってるのに、
これ以上ご迷惑なんて……」
胸の鼓動が、さっきからおかしい。
これ以上速くなったら、本当に倒れてしまいそうだった。
「女性と相乗りなんて……
俺には無理だ」
「なんで?」
サイガがにやりと笑う。
「い、いえ! ほんとに大丈夫ですから……!」
改めて抗議しようとした、そのとき――
「――馬鹿者」
低く、腹に響く声が場を止めた。
ヴァルガスの茶色の瞳が、ユーリスを真っ直ぐ射抜いている。
「目の前に困っている娘がいる。それを助けずして何が将か」
「……っ」
ユーリスが言葉を詰まらせる。
「そなたが最適だ。違うか?」
沈黙。
そして――
「……承知、しました」
ぎこちなくそう答える。
……ユーリスさん、さっきから顔、赤くない?
視線を向けると、ばちりと目が合った。
彼は一瞬だけ目を見開き、
すぐに視線を逸らす。
その横顔がわずかに固い。
後ろでサイガが、あからさまな溜め息をついた。
その空気を断ち切るように――
「紅へ戻る。出立の支度を整えよ」
ヴァルガスの声が静かに響く。
「……ユイカ。俺の後ろに」
どうやら、もう逃げ場はないらしい。
顔から火が出そうな勢いのまま、どうにか頷いた。
⸻
「大丈夫か、ユイカ」
「は、はい……なんとか」
気づけば、見慣れぬ大きな建物の前に差しかかっていた。
高い石垣も、重厚な城壁もない。
けれど広く、堂々と構えられたその建物は、どこか温かみがある。
「立派なお屋敷ですね」
「そうだろう?」
ユーリスが、わずかに誇らしげに赤の瞳を細める。
「将軍は城に籠もらない。
民の声が届く場所にいる」
確かに、威圧するための城というより、
人を迎え入れるための館、という印象だった。
馬がゆっくりと止まる。
地に足を下ろした瞬間、どっと力が抜ける。
馬に乗るのって、こんなに体力を使うんだ。
揺れは絶え間なく続くし、慣れないせいで全身が強張る。
安定を求めて、ほとんど無意識のままユーリスさんの服を掴んでいた。
周囲の景色を見る余裕なんて、まったくなかった。
息を整えながら、それでもきちんと頭を下げる。
「ありがとうございました。本当に助かりました」
「……ああ」
ユーリスは視線を逸らす。
耳のあたりが、ほんのり赤い。
馬の揺れに、思わず強く掴んでしまったからだろうか。
そのたびに、彼の体が一瞬だけ固くなっていたのを思い出す。
……やっぱり、すごく真面目な人なんだ。
「取り込み中、悪いね」
「わっ!?」
背後から声がした。
振り向くと、いつのまにかサイガが立っている。
「ユーリス。ユイカも、将軍が呼んでる。
早めに来てってさ。俺、先戻るね」
言い終わるより早く、彼の姿はすっと人波の中に紛れた。
……今、どうやって現れたんだろう。
「行こう、ユイカ」
低い声が、すぐ隣から落ちてくる。
はっとして頷く。
ついに説明するときが来たらしい。
小さく息を吸い、ヴァルガスのもとへ向かった。




