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戦しか知らない将軍に一目惚れした私。彼が私に本気になったら、誰にも止められませんでした  作者: *ほたる*


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32話 好きな人を、間違えられた日

 夜明けの空気は、まだ冷たい。

 裏の練習場に残る砂の匂いと、打ち込んだ足跡。

 結花はゆっくりと息を吐いた。


 最後の素振りを終え、肩の力を抜く。

 汗ばんだ額を拭いながら、館へ戻ろうと歩き出す。


 静かだ。

 ――静かすぎる。


 不意に、頭上で羽音がした。

 ばさり、と低く。


 結花は足を止める。

 視界の端を、黒い影が横切った。


「……カラス?」


 この館に、こんな近くまで降りてくることは珍しい。

 訝しみながら角を曲がった、その瞬間――

 影が落ちた。


「え――」


 視界が反転する。

 地面が遠ざかり、身体がふわりと浮いた。


「きゃっ……!?」


 腕の中だと気づくまで、一拍。

 硬い胸板。

 しなやかな腕。

 布越しに伝わる体温。


 低く、耳元に声が落ちる。


「悪いな、巻き込んだ」


 その声音に、はっとする。

 見上げた。


「……ケルヴィン?」


 橙の瞳がわずかに細められる。


「久しぶりだな」


「え、ちょ……なんで、こんな所に……?」


 抱えられたまま、視線を前へ向ける。

 石畳を蹴る足音。


 風が裂ける。

 ――ユーリス。


 その顔を見た瞬間、息が詰まった。

 必死の形相。

 赤い瞳が、獲物を射抜くようにこちらを捉えている。


 ……あれ、ちょっと待って。

 なんか、殺気出てない?


 空気が、ぴり、と震える。


「ちょっと紅の総大将に用があってな」


 耳元で、のんきな声。


「正規の手順踏んでる時間なくてさ。こっそり入ったら見つかっちまった」


「何やってるの?!」


 思わず叫ぶ。


 そりゃあ――

 ユーリスさんが怒るわけだ。


「ユイカを離せ!」


 低く、叩きつける声。

 空気が震えた。


 次の瞬間、地面が揺れる。

 ユーリスが踏み込む。


「やべ」


 ケルヴィンが小さく舌打ちする。

 角を曲がる。

 石壁に突き当たる。


 ――行き止まり。


 風が止まった。

 抱えていた腕がほどかれ、結花の足が地面に着く。


 間髪入れず、赤い殺気が迫る。

 結花は反射的に動いた。

 ケルヴィンの前へ、身体を滑り込ませる。


「待ってください! ユーリスさん!」


 両腕を広げる。

 ユーリスの足が、寸前で止まる。

 剣先が、行き場を失ったまま震えた。


「彼、悪い人じゃないんです!」


 赤い瞳が、結花を射抜く。

 背後で、ケルヴィンが息を吐いた。

 そして、耳元に落ちる小さな声。


「……もしかして、あいつがユイカの好きなやつか?」


「なっ――」


 熱が一気に頬へ上る。

 思わず振り向く。


 唇が開く。

 ――声が出ない。


 その一瞬。

 ユーリスの胸に、鋭い痛みが走った。


 今の反応。

 ――あいつだ。


 理解が、刃のように落ちる。


「い、今はそんなことどうでもいいじゃない!」


 頬を赤くしたまま、ケルヴィンを睨む。


「やっぱりそうか。ユイカは分かりやすいな」


「ケルヴィン!」


 その声を、低い響きが断ち切った。


「……ユイカの知り合いか?」


「ああ。前に下町の甘味屋でな。少し話した」


 けろりとした調子。

 その余裕が、かえって場違いだった。


「……それでも、不法侵入したことに変わりはない」


 温度の抜けた声。


「総大将のもとへ連れて行く」


 命令でも怒号でもない。

 事実の宣告。

 ケルヴィンは小さく息を吐き、肩をすくめた。


「ま、そうなるよな」


「ケルヴィン!」


 結花は思わず呼び止める。

 振り返った横顔を、見上げる。


「大丈夫だって。もともと会うつもりだったんだ」


 気負いのない声。


「巻き込んで悪かったな、ユイカ」


 ひら、と片手が上がる。

 その瞬間、黒い影が滑り降りた。


 ばさり、と羽音。

 ケルヴィンの肩に、鴉がとまる。

 黄金の瞳が結花を一瞥した。


「行くぞ、クロ」


 軽く言って、歩き出す。


 前を行くユーリスの背。

 それを、橙の瞳が静かに追う。


 やがて二人は角の向こうへ消えた。

 結花は、その場から動けなかった。




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