28話 ――奪うと決めた
翌日。
結花は、館の裏手から裏山へ続く道を歩いていた。
昨日の兄の来訪。
そして、あの問い。
思い出すだけで、胸の奥がざわつく。
……一度、頭を冷やさないと。
裏山で鍛錬でもすれば、少しは落ち着くかもしれない。
そう思って足を進めた、そのとき。
「ユイカ?」
低い声に、びくりと肩が跳ねる。
振り向けば、そこにユーリスが立っていた。
心臓が、どくん、と音を立てる。
「どこへ行くんだ」
「……ちょっと、裏山のほうへ」
ほんの一瞬、沈黙が落ちる。
「……一人か」
「はい」
「……送る」
「え? いえ、大丈夫です」
「山道は滑る」
短く言い切ると、ユーリスはすでに隣に並んでいた。
止める隙もない。
……ちょっと待って。
頭を冷やしに行くはずだったのに、
どうして余計に熱くなる状況になるの?
胸の鼓動を誤魔化すように、結花は小さく息を吐く。
――もう、仕方ない。
二人は並んで歩き出す。
山へ入ると、
道は思っていたより狭く、
自然とユーリスが後ろにつく形になった。
斜面は急で、木の根や小石が足元に転がり、歩きづらい。
……山道って、意外と大変なんだ。
そんなことを思った次の瞬間。
足が、ずるりと滑った。
「わっ――」
体勢を崩しかけたそのとき、後ろから腕を引かれる。
どん、と硬いものにぶつかった。
……ユーリスの胸だった。
「……大丈夫か?」
耳元に、低い声が落ちる。
一気に頬が熱を帯びる。
「だ、大丈夫です!」
慌てて距離を取る。
「すみません。気をつけます」
……なんで転ぶの、私。
本当に、心臓に悪い……
胸の鼓動をごまかすように、前だけを見て歩き出す。
だが――
背後の足音が、一定の距離で続く。
近い。――近すぎる。
意識しないようにしているのに、どうしても気配が離れない。
無言のまま、山道を登る。
やがて斜面がゆるみ、視界が少し開けた。
息を整えようと足を止めた、そのときだった。
ひゅ、と風が変わる。
木々のざわめきが、さっきより低い。
空を見上げると、いつの間にか雲が厚く重なっていた。
「……降るな」
ユーリスが呟いた瞬間。
ぽつ。
頬に、冷たいものが当たる。
次の瞬間、ざあっと音を立てて雨が落ちてきた。
「え、ちょ――」
あっという間に視界が白くなる。
夏の夕立のような、勢いのある雨だった。
「こっちだ」
ユーリスが手首を掴む。
強くはない。
だが迷いのない力で引かれ、結花は小走りになる。
岩肌がむき出しになった場所が、すぐ先にあった。
その一部がえぐれ、半円状のくぼみを作っている。
二人はそこへ駆け込んだ。
雨脚は強い。
だが岩の庇がしっかりと遮ってくれている。
ふたりは、岩陰の奥へ身を寄せる。
一瞬、肩が触れた。
――狭い。
結花の鼓動は、ずっと速いままだった。
どうしよう……心臓、もたない。
聞こえてないよね……?
じわりと、外側の肩が雨に濡れていく。
それに気づいた瞬間――
ぐい、と腕が引かれた。
息が止まる。
ユーリスの、腕の中。
雨は激しく岩を打っているのに、音が遠い。
肩に回された手が、離れない。
抱き寄せられている。
それを理解した途端、耳まで熱くなる。
動けない。
逃げられない。
――逃げたく、ない。
小さく震える結花を、ユーリスは見下ろしていた。
濡れると思った。
それだけのつもりだった。
なのに。
腕の中で真っ赤になる彼女から、目が離せない。
……少しは、期待していいのか。
深夜の言葉がよぎる。
“惚れた相手がいるから、残ることにしたんだろ?”
――誰だ。
胸が、静かに熱を帯びる。
……誰を想っていてもいい。
それが彼女の選んだ想いなら、
尊重するべきだ。
――本来なら。
だが。
腕の中でこんな顔をして。
自分の贈った簪を差して。
こんなにも震えているのに。
他の誰かを、想っているのなら……
胸の奥が、じわりと焼ける。
……無理だ。
赤い瞳が、わずかに細まる。
まだ、両想いじゃないなら。
――奪う。
雨が岩を打ち続ける中。
ユーリスは、静かに決めた。
必ず。
――振り向かせる。




