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戦しか知らない将軍に一目惚れした私。彼が私に本気になったら、誰にも止められませんでした  作者: *ほたる*


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19話 守ると決めた日

 先ほどまでの静けさが嘘のように、屋敷内は騒然としていた。


 怒号。

 悲鳴。

 駆ける足音。


 事態の深刻さが、否応なく伝わってくる。


 結花とマリナはしばらく立ち尽くしていたが、先に我に返ったのはマリナだった。


「そんな……。 今はヴァルガス様もいらっしゃらないのに……」


 血の気の引いた声。

 結花はまだ、悪夢の中にいるような感覚だった。


 そのとき、重い足音が廊下を震わせる。

 武装した壮年の男が、こちらへ歩み寄ってきた。


「……あなたがユイカ様ですね」


 鋭い目つき。だが、その奥に焦りが滲んでいる。


「私はガレスと申します。すぐにお逃げになる支度を。将軍の客分を危険に晒すわけには参りません」


 ――逃げる。


 一瞬、意味が分からなかった。

 ガレスの拳が、きしむ音を立てるほど握り締められていた。


「外門に敵の襲撃を確認。現在、食い止めておりますが、万一に備えていただきたいのです」


 怒りと悔しさが、声に滲む。


「なんという時に……! 将軍さえおられれば、あのような外道ども……!」


 叫びに、結花の肩が震えた。

 ガレスははっと我に返り、頭を下げる。


「取り乱しました。……とにかく、準備を。

 そちらも、すぐ動けるようにしておけ」


「は、はい……」


 マリナがかすれた声で答える。

 ガレスは踵を返し、足早に去っていった。


 残された廊下に、重い沈黙が落ちた。

 結花もマリナも、しばらく言葉を失っていた。


 やがて、胸の奥にじわりと現実が染み込んでくる。


 ――このままでは、屋敷が落ちる。


 屋敷の空気。

 ガレスの焦り。

 紅の國は、持たない。


 将軍たちが戻る頃には、町は踏み荒らされ、民は傷つき――

 それは、事実上の敗北を意味する。


 ……逃げるしか、ないのだろうか。


 ふいに、兄の声が蘇る。


『いいか。危険が迫ったら戦おうなんて思うな。生き延びることを最優先にしろ。逃げるのは恥じゃない。死んだら何も残らない』


 今なら帰れる。

 精神を集中させ、元の世界を思い浮かべればいい。


 知らず、両手を握り締めていた。


 ……帰ればいい。


 あの血の匂いも。

 あの、息が止まりそうな恐怖も。

 二度と、見なくて済む。


 そのとき。


『必ず帰る。……待っていてくれ』


 澄んだ赤い瞳が、脳裏に浮かぶ。

 約束した。

 信じて待つと、決めた。


『ここは任せたぞ』


『はい。お任せください』


 胸を張って答えたのは、自分だ。


 ……安全な場所へ、帰る?

 ――できない。


 気づけば、震えは止まっていた。

 視線が自然と左手の腕輪へ落ちる。


 ……私に、どこまでできるかは分からない。


 それでも。

 やれることは、やる。


 結花は顔を上げた。


「マリナさん。外門は、どこですか」


「え……?」


 落ち着いた声。

 さきほどまでの蒼白は消えていた。


「教えてください」


 その気迫に押され、マリナは位置を説明する。

 結花は短く礼を言い、踵を返した。


 着物では動けない。

 部屋へ向かう。

 制服に着替えなければ。


 ――ごめん、深兄。


 心の中でそう告げる。


 そして。

 結花は、この世界に来て初めて――

 感覚を【切り替えた】。


 ***


 一方その頃――境河原。


 戦は、すでに数日続いていた。

 銀の國が押せば、紅の國が押し返す。

 互いに一歩も退かぬ激突。


 その中心で刃を交えているのは、紅の國の総大将、ヴァルガスと、銀の國総大将、レイヴァン。


 銀の髪が風に揺れる。

 レイヴァンの長剣が鋭く閃いた。

 風を裂く突き。


 ヴァルガスは大剣を横薙ぎに振り、軌道を逸らす。


 息をつく間もない応酬。

 それでも――二人は、笑っていた。


「さすがだ、レイヴァン……!」


「衰えぬな、ヴァルガス」


 再び距離を取る。

 土煙の向こう、視線がぶつかる。


「――行く」


「来い」


 同時に、踏み込もうとした――その瞬間。


「ヴァルガス様――!!」


 空気を裂く悲鳴。

 ヴァルガスの眉が動く。


「何事じゃ」


 武器を構えたまま、視線だけを背後へ向ける。

 蒼白な顔の伝令が、駆け込んできた。

 息を切らし、膝をつきそうになりながら叫ぶ。


「館より急報にございます!

 外門が持ちません! 敵軍が押し寄せております!」


 一瞬で、紅の國の陣にざわめきが広がった。

 兵だけでなく、将や諜報官までもが息を呑む。

 ユーリスも、サイガも、表情を変えた。


 紅の國が襲われた。

 主力のほとんどは、ここにいる。

 館に残した兵は、決して多くない。


 ヴァルガスは目を細める。

 舌打ちひとつ、胸の奥に押し込めた。


 そして――

 戦場を震わせる声が響いた。


「ならば、ここで決めるまでよ。

 紅がそう易々と崩れると思うな。

 目の前の戦に、すべてを懸けよ!!」


 鬨の声が上がる。

 だが――


「その必要はない」


 静かな声が、戦場を横切った。

 レイヴァンの紫の瞳が、まっすぐヴァルガスを射抜く。


「これ以上の消耗は無益だ。双方、退く頃合いだろう」


 その一言で、空気が変わる。

 ヴァルガスはわずかに目を見張った。


「……借りができたな、レイヴァン」


「借りなどない。ただの合理だ」


 銀の軍勢が静かに陣を引く。

 背を向けることは、弱さではない。

 それは、信頼の証でもあった。


 やがてヴァルガスは振り返る。


「これより急ぎ帰還する。外門を守る」


「サイガ」


「はい」


「敵軍の規模と侵入経路を探れ。報告は逐一入れよ」


「了解」


「ユーリス」


「はっ」


「先行しろ。防衛線に合流せよ」


「……承知」


 次の瞬間、ユーリスは馬を蹴った。

 土煙が舞い上がる。

 その背が、戦場を離れていく。


 ――外門が襲撃されてから、数時間後のことだった。

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