1話 恋に落ちた日
「……うそ……」
結花が目を開いて最初に見たのは、赤だった。
ただの赤ではない。土と草に混じり、どす黒く濁った色。
血の色だと理解するまで、ほんの一瞬の間があった。
首のない身体。
踏みつけられ、形を失った人だったもの。
それらが、当たり前のように地面を覆っている。
「……なに……これ……」
さっきまで、学校の屋上にいたはずだった。
落ちた――確かに落ちた。
でもその先が……こんな光景であるはずがない。
悪夢だ。
そう思おうとして――できなかった。
鼻を突く、むせ返るような匂い。
鉄と土が混じった、重たい空気。
映画や映像で知っている“血”とは、あまりにも違う。
「……っ」
胃の奥が、ひっくり返る。
思わずその場にしゃがみ込み、口元を押さえた。
吐き気と一緒に、涙が込み上げてくる。
分かってしまったのだ。
ここにあるものが、作り物ではないこと。
これは夢ではなく、現実だということを。
――なんで。
――どうして、私が。
答えの出ない問いが頭を巡った、そのとき。
「……む。なんだ、お前」
低い声が、すぐ近くから降ってきた。
「女か? 奇妙な格好をしているな」
びくりと、結花の肩が跳ねる。
この場に、自分以外の“生きている人間”がいる。
その事実だけで、背筋が凍った。
恐る恐る、顔を上げる。
ぎらついた目の男が、そこに立っていた。
時代錯誤としか言いようのない鎧を身につけ、
手には――血に濡れた刀を、当然のように握っている。
結花の喉が、ひくりと鳴った。
「貴様、間者か。紅の國は諜報を使うと聞く」
間者?
紅の國?
言葉の意味を理解する前に、男は刀をゆっくりと持ち上げた。
「死ね」
「いやああああああ!」
鈍い音が、短く響いた。
次の瞬間、男の身体が、ゆっくりと崩れ落ちた。
「……あ……」
結花は、その場にしゃがみ込んだまま動けなかった。
理解がまったく追いつかない。
――なにが、起きたの。
「……君は……」
目の前で倒れた男の背後――
その先に、別の男が立っていた。
「……ひっ」
服は血に染まり、手には刀。
さっきの男と同じ、戦場の住人だ。
「い、いやああ! 殺さないで……!」
半狂乱のまま後ずさる。
しゃがみ込んだ体勢のままでは、逃げることもできない。
「来ないで……! 死にたくない……死にたくない……!」
「待て。落ち着いてくれ。……殺したりしない」
穏やかな声だった。
敵意のない、静かな声音。
ゆっくりと顔を上げる。
夕陽に照らされた茶色の髪。
血と土に塗れた戦場の中で、そこだけが不思議と柔らかく見えた。
「俺は武器を持たない女性に手はあげない。
……安心していい」
そう言ってかすかに微笑んだ青年の――赤い瞳と目が合った瞬間、
結花の胸の奥で、何かが強く跳ねた。
――あ。
『結花って、高三でまだ初恋してないんだ。逆にすごいよね』
友人に何度も笑われた言葉が、ふと脳裏をよぎる。
……でも。
それも、もう返上かもしれない。
こんな意味の分からない世界で、
こんな最悪の出会い方で。
結花は、その青年に――
一目で、心を奪われてしまったらしかった。




