表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦しか知らない将軍に一目惚れした私。彼が私に本気になったら、誰にも止められませんでした  作者: *ほたる*


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/38

16話 帰れない理由

「なあ、結花。まだ帰る方法は分からないのか?」


「うーん……なんとなくは分かりそうなんだけど、はっきりしなくて」


 昼下がりの自室。

 結花は兄の深夜と通話していた。


 二人は定期的に連絡を取り合っている。このやり取りは、もはや定番だった。

 いつもなら深夜は「そうか」とだけ言い、話題を変える。


 だが、今日は違った。


「……もう二か月だ。本当に分かっていないのか?」


 胸の奥がひやりと冷える。

 帰り方は、もう分かっている。


 半月以上前から、方法は結花の中で形になっていた。

 ――戻ろうと思えば、戻れる。


 ……でも。

 まだ、決められていない。


「本当だよ。分からないものは仕方ないでしょ」


 少し強い口調になる。

 それでも深夜は引かなかった。


「父さんから聞いた。従兄も界渡りができるらしいな。

 一か月で帰還したそうだ。個人差はあるだろうが、お前もそろそろ分かる頃じゃないのか」


「知らないよ。分からないって言ってるでしょ!」


 思わず声を荒げる。

 沈黙。


 やがて、低く静かな声が落ちた。


「……結花。もしかしてお前、帰りたくないんじゃないのか」


 息が止まる。


「まさか、向こうに好きなや――」


 反射的に通話を切っていた。

 数秒遅れて、自分の行動に気づく。


 ……最悪。


 肯定したようなものだ。


 再び着信が鳴る。

 結花はそれをマナーモードにし、机の上に伏せた。


 逃げるように部屋を出る。


 ⸻


 行くあてもなく廊下を歩く。

 胸の奥のもやは、帰り方を理解したあの日から消えない。


 初めて方法が明確になったとき、感じたのは喜びではなかった。


 強烈な――喪失の予感。


 家族には会いたい。

 けれど、今ここで帰れば、この場所での暮らしは終わる。


 ヴァルガスの豪快な笑い声。

 サイガの軽口。

 そして、ユーリス。


 自分の作った菓子を大事そうに口にする姿。

 甘味処でのぎこちない会話。

 不意に贈られた簪。


 思い出すだけで胸が締めつけられる。


 ここにいられるのは、自分の力が不完全だからこその偶然だ。

 いずれは選ばなければならない。


 それを分かっているからこそ、深夜の言葉は痛い。


 甘えているのかもしれない。

 それでも。


 ――今は、まだ。

 答えを出せなかった。


 ふいに、廊下の向こうから、どたばたと慌ただしい足音が近づいてきた。

 館の空気が、どこかざわついている。


 不審に思いながら曲がり角を曲がると、ちょうど侍女のマリナと出くわした。


「マリナさん、こんにちは」


 声をかけると、マリナははっとしたように顔を上げ、緊張した表情をわずかに和らげた。


「ユイカさん。どうされたんです?」


「何かあったんですか? 急に館が慌ただしくて……」


 一瞬の沈黙のあと、マリナは小さく息を呑んだ。


「……とうとう、戦が始まるようなんです」


「い……くさ……?」


 その言葉を、結花はゆっくりと反芻する。


 この二か月、穏やかな日々に身を置いていたせいで、忘れかけていた。


 ここが――戦のある世界だということを。


 胸の奥に、冷たいものが落ちる。

 そのまま呼び出しを受け、結花は広間へと向かった。


「おお、ユイカ。待たせたな」


「いいえ。今来たところです」


 一瞬躊躇う。


「……戦のこと、ですか?」


 ヴァルガスはゆっくりと頷いた。


「知っているなら話は早い」


 一拍置き、低い声で告げる。


「明後日、紅を発つ。境河原にて、銀と刃を交える」


「境河原……」


 その名を、結花は小さく繰り返す。


「長年、国境を巡って争いが続いておる。今度こそ決着をつけねばならん」


 明後日。

 あまりに早い。

 ユーリスも、サイガも――皆、向かうのだろう。


「ユイカよ」


「は、はいっ」


 思わず声が裏返る。

 ヴァルガスはわずかに笑った。


「案ずるな。儂も、サイガも、ユーリスも、そう簡単には倒れぬ」


 その視線は、揺らがない。


「銀の國の総大将、レイヴァンとは幾度も相対してきた。互いに力量は知れておる」


「ユイカはこの館で、いつも通りにしておれ。侍女とも上手くやっているようだしな」


「……はい」


 うまく笑えたかは、自分でも分からなかった。


 ヴァルガスと別れたあと、結花は中庭へ出た。


 大木の幹にもたれ、そのまま腰を下ろす。

 自室へ戻る気にはなれなかった。


 屋敷内は、すでに戦支度の気配に満ちている。

 兵糧の運搬、兵の出入り、低く交わされる指示の声。


 少しだけ、ひとりになりたかった。


「あさって……か」


 気づけば声が漏れていた。

 思っていた以上に、胸が重い。


 ……帰らないままなら、ここでの暮らしは続く――

 どこかで、そんな都合のいい考えを抱いていた。


「……ばかみたい」


 小さく、そう呟いた。

 ここへ来た日の光景は、忘れていないはずなのに。


 倒れ伏した兵。

 血の匂い。

 土に沈む身体。


 それでも、紅の國の人々の温かさの中で、

 “戦”という言葉を遠ざけていた。


 けれど今、屋敷は静かな緊張に包まれている。


 しばらくぼんやりと考え込んでいると、

 ふと、近くで風を裂く音がした。

 規則正しく、鋭い。


 顔を上げる。

 庭の一角で、誰かが鍛錬をしている。

 風を切る音の先に、茶色の髪が揺れた。


 ――ユーリス。


 彼は一心に刀を振っていた。


 素振りから技へ。

 動きに無駄はなく、呼吸も乱れない。


 真剣な横顔。


 結花はそのまま動けなかった。

 目が、離れない。


 瞬きをするのさえ惜しいほど、

 ただ、その姿を見つめていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ