12話 特別だから呼べない
ユーリスは、ふと真顔で言った。
「ユイカは……俺のこと、呼び捨てにしないのか?」
空気が、ぴしりと音を立てた気がした。
結花は瞬きを忘れる。
最近ようやく、彼の前でも普通に話せるようになったばかりだ。目も合わせられるようになったし、会話も途切れなくなった。
それなのに。
なぜ今、それを言う。
「サイガも呼ぶのに」
さらりと追撃。
「……不公平だ」
その赤い瞳が、まっすぐこちらを見ている。
期待が、隠しきれていない。
む、無理……!
結花の心臓が暴れ出す。
呼べるなら、とっくに呼んでいる。
けれど、好きな相手を呼び捨てにするのは、想像以上に難しい。
「で、でもですね……! ユーリスさんって呼ぶのに、もう慣れてしまって……!」
思いきりどもった。
自分でも分かる。説得力がない。
ユーリスは小さく眉を寄せる。
「慣れ、の問題か?」
「い、今さら変えなくてもいいんじゃないでしょうか!」
けど彼は引かない。
「……呼び捨てで呼んでくれ。
サイガだけ呼ぶのは……ずるい」
「ずるいって……」
まるで拗ねた子どもみたいだ。
普段なら、かわいい、なんて思えただろう。
今はもう……限界だった。
「無理です!」
「なぜだ?」
「そ、そんなの……っ」
顔が熱い。息が詰まる。
「急に呼び捨てなんて……できるわけないじゃないですか!」
「……なぜ、できない?」
低く、静かな声。
それが、余計に心臓に悪い。
「とにかく……無理です!」
言い逃げるように、結花は駆け出した。
風のように廊下を駆け抜ける。
残されたユーリスは、しばらくその場で動けなかった。
やがて背後から、くすくすと笑い声。
「振られた?」
「サイガ……聞いていたのか」
「たまたまね」
肩をすくめる。
「今回はちょっと厳しいかもね」
ユーリスはわずかに眉を寄せた。
「俺は……嫌われてるのか」
「本気で言ってる?」
呆れた声。
「ユイカがユーリスを嫌うとか、ありえないでしょ」
「……どういう意味だ」
サイガは小さく笑う。
「特別なんだよ、多分」
「特別?」
「自分で考えなよ。……そのうち、呼んでもらえる日も来るかもね」
言い残して去っていく。
一人残されたユーリスは、しばらく廊下の先を見つめていた。
そして小さく、息を吐く。
「……呼び捨てくらいで、こんなに難しいのか」
その頬は、わずかに赤かった。




