〈番外編〉エズメとブラック氏
クマ祭り後夜祭企画最終日に間に合いませんでした。
流石に急過ぎだ、とエズメ・ロイド教授は苦笑した。アーケイディア単科大学での講義が終わり、論文執筆のために自分に与えられた研究室に入った途端、床に妖精の輪が現れ、そこから花嫁衣装を着た親友が出て来たのだ。
ここから何百マイルも離れた州連合南西部にいるはずの彼女は、慌てた様子でヒルダに手を伸ばした。
「エズメ、急に結婚式になったんだ。とにかく来てくれ!」
エズメはヒルダの手を取った。聞きたいことは、歩きながらでも聞けるから。
妖精の輪に入って妖精の国を歩き、州連合に続く妖精の輪まで歩きながら、エズメは尋ねた。
「結婚式って、貴女、去年結婚したわよね?」
エズメが長年見守ってきた親友は、彼女の過去も含めて愛してくれる男性とめでたく結ばれたばかりだった。……相手の男性は人間ではなく、猫型妖精、それも猫型妖精の王だが。
ヒルダは少し照れくさそうに答えた。
「そうなんだけどさ。私は再婚だし、式は挙げてなかっただろう。そうしたら、ダイアナたち第三隊のメンバーと、私付きの猫型妖精の女の子がこっそり結婚式を用意してくれていたんだよ」
エズメはくすっと笑った。大事な親友が皆から慕われているのが、とても嬉しくて。
「素敵なサプライズね」
ヒルダは真っ赤になりながら頷いた。
「うん、とても有り難いんだけどさ、エズメもモリーもいない結婚式なんて寂しいじゃないか」
「それで花嫁自ら呼びに来てくれたのね」
モリーとハワード卿はヒルダの夫であるオシアンが迎えに行ったと聞き、エズメは思った。猫型妖精の王であり、連合帝国の公爵でもあるオシアンだが、ヒルダの願いを叶えるためには骨惜しみをしないところが、如何にも彼らしい、と。
冬の森の中、少し開けた場所に寒さ避けの魔法障壁を張った手作りの式場は、屋外でも快適に過ごせるよう、膝掛けや複数の屋外用ストーブが用意されていた。
エズメが点在するピクニックブランケットの一つに座り、ホットワインでもてなされていると、やがてヒルダの姪のモリー、ヒルダの教え子でもあるハワード卿が到着し、同じピクニックブランケットに座った。
「やあ、エズメちゃん」
ホットワイン片手に穏和な笑顔を浮かべたベア・ブラック氏に声をかけられ、エズメは驚いた。
「まあ。ベア兄さんまで」
「うん、僕は今回は新郎の友人としての参加なんだ。マクユーアン先生とは、お互いに若い頃からの付き合いだからね」
エズメは驚いた。何となく彼が生粋の人間ではないのは察していたのだが、亡き兄と同年代だとばかり思っていたのだ。
「あらまあ、それなら『ベア兄さん』ではなく、『ベア小父様』とお呼びするべきでしたわね」
ブラック氏は苦笑した。
「僕としては、出来れば今後も『兄さん』と呼んでもらった方が嬉しいかな」
「ええ、勿論、貴方がそれでよろしければ」
婚礼衣装を纏った人間姿のオシアンが、周囲に点在するピクニックブランケットに座った皆が見守る中、婚礼衣装を纏ったヒルダにキスをした。
「とうとう、オシアン公にヒルダを取られてしまったわねぇ」
エズメはそう呟いた。ヒルダの幸福が何より嬉しいのだが、何故か少し寂しい。このような思いは、ヒルダの最初の結婚式には味わうことがなかったのに。
「大丈夫だよ、エズメちゃん。マクユーアン先生にとっても、エズメちゃんは信頼する友だちだもの。彼は絶対に、友だちが大切にしているものを取り上げたりはしない」
ブラック氏の言葉に、エズメは淑女らしく微笑んだ。
「ええ、勿論分かっていてよ。……でも何故かしらね、一昨日から昨日までのフレッドの気持ちが、今日はよく分かる気がするの。だから、彼に一言申してくるわね」
「え、何を言う気なの?」
ブラック氏が少し狼狽えている間に、ピクニックブランケットから立ち上がったエズメは、颯爽と新郎新婦の前に進み出ると、見事な膝折礼を披露した。
「オシアン公、この度はご結婚、おめでとうございます。どうか、私の親友をよろしくお願いいたします。……もしもヒルダを泣かせたならば、たとえ貴方が相手でも許しませんからね」
泣きそうな笑顔でそう述べるエズメに対し、オシアンは真剣な表情で胸に手を当て、頭を下げた。
「我にヒルダを託してくれたこと、感謝申し上げる。我が父ユーアンの名にかけて、エズメ嬢の亡き兄上の分までヒルダを護り、幸せにすると誓う」
「ありがとうございます、オシアン公」
ヒルダは再び一礼し、それからヒルダに向かって微笑んだ。
「おめでとう、ヒルダ。今日の貴女は、私が見てきた中で、一番綺麗よ。……貴女には幸せばかりが訪れるように祈っているわ。昔も、今も、これからも」
「エズメ……」
ヒルダがエズメに抱きつき、泣き出した。その背中を優しく撫でながら、今度こそエズメも涙を流した。
* *
「二日連続で弾くことになっちゃったなぁ。でも、おめでたいから良いや」
ブラック氏がギターを取り出して歌い始めると、オシアンとヒルダが曲に合わせて踊り始めた。やがてハワード卿とモリーがそれに続き、ダイアナとアンも他の隊員たちと踊り始めた。
ブラック氏が疲れると、代わりにダイアナが笛を吹き始め、それに合わせて、先住民族の血を弾く青年が太鼓を叩き始めた。
「こうしていると、ずっと昔、神として皆と暮らしていた時のことを思い出すなぁ……」
太古の昔、熊の神として人間たちと暮らしていた記憶が、ベア・ブラック氏の脳裏をかすめた。
あの頃の人間たちの血統は途絶え、彼の神としての力も、当時とは比べるべくもなく弱ってしまったけれども。
「生きることはやめられないよね、こんなに楽しくて、幸せな時間があるんだから。君もそうでしょう、オシアン・マクユーアン先生」
彼は花嫁と踊る友の姿を見ながら、そう独りごちた。
ブラック氏とオシアンの付き合いは長い。だからブラック氏は、今でも覚えている。人間たちの国の宮廷で冷徹に当時の主人の政敵を蹴落としていた頃のオシアンを。傾きかけていた猫型妖精の王国を、王として必死で立て直そうとしていた頃のオシアンを。数百年前に末弟を失って以降、心から笑わなくなったオシアンを。
「ヒルダちゃんと出会った頃からだったよね、先生がまた、笑うようになったのは」
友であるオシアンが、ようやく自分の幸せを見つけたことが嬉しい。
ふふっと笑うベア・ブラック氏。そんな彼にエズメが歩み寄って手を差し伸べ、次の踊りの輪の中に誘った。




