「彼女」と「彼」の違い③
オシアンが首を振った。
「君にかかると、まるで我がよほど度量の大きな男のようで、面映ゆく、些か後ろめたい。……我は欲深く、その欲に忠実なだけなのだよ、愛しいヒルダ」
ヒルダは首を傾げた。
「そう言いながら、君は私に何もかも与えてくれるじゃないか。この妖精の国での立場も、君自身の温もりも、愛する人たちと笑って過ごす時間も。……そもそも君と出会わなかったら、私は今頃生きていなかった。忘れたとは言わせないぞ、アンバーコーブの魔女屋敷でのことは」
いつもその時の話をしようとすると、決まってオシアンがはぐらかすのを、ヒルダは常々不思議に思っていた。だから、この際思い切って踏み込んでみたのだ。
オシアンが苦笑した。
「……忘れるわけがない。あの時は本契約前だったとはいえ、あのような幼き魔女如きに手を焼いてしまい、我ながら情けない戦いぶりだった。魔女が張った魔法障壁の隙間から君の気配を感じたので、すっかり狼狽してしまったのだ。せっかく見つけた君を失ってしまう、と。あの時はまだ、君の名さえ知らなかったのだから」
ヒルダは片眉を上げてみせた。
「私が死んでも、私の魂を見つけるのは君にとって難しくないんだろう?」
ヒルダの言葉を聞くなり、オシアンは彼女の頭を胸に強く抱き寄せた。彼は静かに、しかし明らかに気持ちを昂らせていた。
「魔女は死者の魂を痛めつけることを好む。それが、奴らの持ち得ない、清らかで輝かしい魂ならなおのこと。だから余計に気が気ではなかった。……それに、我は他でもない、あのチョコレートショップで機転を利かせてくれた、目に強い光を宿した女性に、もう一度会いたくてたまらなかったのだよ」
何故か、ヒルダは捕食者に捕らえられた獲物になったような気がした。これまで、オシアンが彼女の前で、これほどの激情を見せたことはなかった。彼はいつも穏やかで優しくて、どこか余裕のある態度を崩したことなどなかったのに。
「……オシアン。それほどの想いを向けていてくれたのに、私は――」
オシアンの腕の力が少し緩み、いつもの優しい彼が戻ってきた。
「どうか謝らないでおくれ、愛しき我が紅玉。我は、君の側で、君が笑ったり喜んでいたりするのを見ているだけで幸せだった。それに君は今、こうして我が腕の中にいるのだから」
彼はヒルダの頰にそっと手を添えて上を向かせた。
彼の眼差しを浴びているのに耐えきれなくなったヒルダだが、オシアンの手が顔を逸らすのを許してくれないので、そっと目を閉じた。
オシアンが名残り惜しそうにヒルダの顔から自分の顔を離した。
「出来ることなら、もう少しこうしていたいのだが……。明日は『黒熊亭』で、我らが義弟フレッド・ジェームズ殿が、ハワード卿に敗れる様を見届けねばなるまい」
その言葉に、ヒルダは笑い声を上げた。
ヴィヴィアン・レイクに囚われていたフレッド・ジェームズ・ターナー氏は、ヒルダの亡き妹リディアの夫であり、ヒルダの姪ヴィーナス・モリー・ターナーの父親だ。邪悪な魔法が解けたことで記憶を取り戻したターナー氏は今日、愛娘のヴィーナス・モリー・ターナーと二十年ぶりに再会することが出来た。だが、その愛娘が結婚間際、しかも自分を追って来た亡霊から助けてくれた聖騎士団長のハワード卿が相手だと聞き、すっかり取り乱してしまった。
ターナー氏はハワード卿に、娘と結婚したければ自分が待つ「黒熊亭」で試練を受けるようにと言ったのだ。
「ハワードがフレッドに負けることは全く考えていないんだな」
ヒルダがそう言うと、オシアンはどこか誇らしげに頷いた。
「当然だろう。彼こそは君と我がモリー嬢の結婚相手に相応しいと見込んだ男なのだから」
「フレッドも気の毒に。まあ、あいつの骨は私たちで拾ってやろうか。一応、義理の弟なんだからな」
ヒルダが浮き浮きとした気持ちでそう言いながら歩き出すと、オシアンもそれに従いながら、楽しげに笑った。
「……ヒルダ。どうやら我は、自分でも思いがけないほど、君の周囲の人間たちを随分気に入っているようだ。君と出会わなければ、我は人間と過ごす楽しさをすっかり忘れていただろう」
ヒルダはオシアンの手をぎゅっと握った。
本当に、この猫型妖精の王ときたら、どれほどヒルダを夢中にさせれば気が済むのだろうか。ヒルダを独占したいと言いながら、ヒルダと彼女を取り巻く全てを丸ごと愛して、共に笑ってくれるのだから。
「ほら、あんな亡霊や怪物なんかと、全く似ても似つかないじゃないか、私のボンボンショコラは」
* *
翌日。フレッド・ジェームズ・ターナー氏は敢えなくハワード卿に屈することとなった。
その結果を見届けたヒルダとオシアンは、更に翌日、ようやく北部連邦の南隣にある国家、州連合に配置された聖騎士団第三隊駐屯地に戻って来た。
「お帰りなさい、隊長、オシアン公。お二方がいらっしゃらない間、州連合は平和そのものでしたよ」
隊長代行を務めていた第三隊所属二級守護者、ダイアナ・スミスと、その補佐をしていたアン・バーリーが、二人の顔を見て嬉しそうに出迎えてくれた。
「でも皆が弛まないように、近くの森で訓練をしていました。今日も皆、森に行っています」
アンがそう言い、はにかむように微笑んだ。
「見に行きましょう。隊長たちが来たら皆喜んでくれますよ!」
元気よくダイアナに手を引かれるヒルダの後を、オシアンとアンがついて行った。
森に着くと、魔法障壁が張られた一角があった。
「魔法障壁が張ってあるな。魔法を使った戦闘の訓練をしていたのか?」
ヒルダがそう尋ねると、ダイアナが首を振った。
「オシアン公はお見通しなんでしょうけど、隊長はきっと驚いてくれるって思ってます」
ダイアナが魔法障壁を解くと、聖騎士団第三隊の隊員たちが集まっていた。彼らは誇らしげに、新郎新婦の婚礼衣装とピクニックの用意をして整列していた。
「よし、一同、挨拶!」
ダイアナが号令をかけると、第三隊の隊員たちが一斉にこう言った。
「ヒルダ・マクユーアン第三隊長、オシアン公、ご結婚、おめでとうございます!」
「……驚いた。まさか我の衣装も用意されていたとは。しかも人間の姿の時の寸法ではないか」
目を瞠るオシアンに、アンが説明した。
「妖精の国で仲良くなったフィンさんが、協力してくれました」
ヒルダが大怪我の治療の為に妖精の国に滞在していた時、治癒魔法の中和のために妖精の国に招かれたアンは、側付きの猫型妖精の少女、フィンと親しくなった。そのフィンが、オシアンの衣装を手縫いで用意して、今朝持って来てくれたのだ、と。
「花嫁衣装は、私とアンの二人がかりで縫ったんですよ、マクユーアン隊長」
ダイアナが胸を張った。ちなみに、彼女がヒルダをマクユーアン隊長と呼んだのは、オシアンの姓が「マクユーアン」ということになっているからだ。大昔、オシアンは「オシアン、ユーアンの息子」と名乗っていたのだが、いつしか人間たちが「ユーアンの息子」をオシアンの姓だと解釈するようになったので。
「そういうわけで、お二方。よろしければこの衣装に着替えてください。私たちの手作りですけど、今ここで結婚式しちゃいましょう」
ヒルダは思わず涙ぐみ、オシアンは楽しげに笑った。彼が指を鳴らすと、新郎新婦の服は、ダイアナとアンとフィンの心尽くしの衣装に替わった。
「ヒルダ。我は、君を城に閉じ込めなくて良かったと思う。人間たちと付き合うのは本当に飽きないものだからね」
オシアンはヒルダにそう囁くと、そっとキスをした。
フィンは男子の名前を付けられてはいるのですが、勝ち気なケットシー女子なのです。
サプライズ結婚式は大成功でした。




