〈番外編〉猫型妖精の王は、聖騎士団第三隊長に勝てない③
オシアンはヒルダをそっと抱きしめ返した。英雄とも女傑とも称される彼女だが、人間形態のオシアンなら、こうして腕の中に包み込んでしまえるほどの大きさでしかない。純粋な腕力もオシアンの方が上だ。
――しかし、オシアンは決して、ヒルダには勝てない。
「愛しい我が紅玉。我が君を想う半分でも君が我を愛してくれるのならば、我はそれだけで幸せだ」
オシアンがそう囁くと、ヒルダはくすっと笑った。
「私も負けないくらい、オシアンのことを愛しているつもりだよ。そうだな、……君が実は私に何をしたのかを知っても許してしまうくらいには」
そう囁き返した彼女の後半の言葉は、オシアンがぞくりとするほど妖艶な響きを孕んでいた。
虚を突かれたオシアンは、そのままヒルダにのし掛かられ、乱暴に寝台に押し倒された。
「君は、じっくりと時間をかけて、私を人間ではない存在に変えてしまったことを、一体いつ白状してくれるんだろうな?」
オシアンが何も答えられずにいると、ヒルダは彼の耳元に唇を寄せ、楓糖蜜よりも更に甘い声で囁いた。
「あまり見くびってくれるなよ、ボンボンショコラ」
彼女は馬乗りの体勢で身体を起こすと、オシアンを見下ろした。
「さて、君の言い分を聞こうじゃないか」
オシアンは起き上がることも出来ず、そのままの体勢で答えた。
「……そうでもしなければ、君が数年以内に死んでしまうと分かっていたからだ」
三十数年前、旧大陸での人狼及びヴァンパイア討伐で、ヒルダは内臓にも損傷を受けていた。当時聖騎士団に所属していた守護者がヒルダを病院に搬送する前に治癒魔法をかけたために即死は免れたが、当時のヒルダにかけられる程度の治癒魔法では、受けた傷を完治させることは出来なかった。
その後、たとえもし静かに療養に専念したとしても寿命を延ばせたかどうかは怪しい。だというのに、オシアンがヒルダと再会した時、彼女は無理をして聖騎士団員としての任務に参加していた。
アンバーコーブの魔女討伐の途中でヒルダと仮契約を結んだ時、オシアンは彼女の身体の状態を知ってぞっとした。
「幸い、我が申し出ると、君は疑いもせずに食事の用意を任せてくれた。だから、その日から君の食事に、ネクタルを種に使った酵母を通常の酵母に混ぜて焼いたパンを出すようにした。それからネクタル種の酵母の割合を徐々に増やし、今は更に水の代わりにネクタルを混ぜて捏ねたパンを出している。最初の食事の時、説明はしたはずだ。後遺症を軽減するためには食事から体質を改善する必要がある、と。……それは嘘ではなかっただろう?」
ヒルダは、ふ、と妖しく微笑んだ。
「なるほど、確かに嘘ではないな。それで、『体質改善』の結果、私が人間の範疇から外れることを長年黙っていた理由は?」
オシアンは観念した。これもあまり口にしたくない話題ではあったのだが。
「……二十八年前。君が、嵐の夜に、嵐の王が率いていた妖精騎士団の中にロバート殿の姿を見つけて、半狂乱になったことがあった」
嵐の王は、最期まで高潔な精神を保っていた戦死者を嘉し、その霊を妖精騎士に変えて臣下に加えることがある。ヒルダの前夫ロバート・ロイドは人狼に殺害され、肉体はヴァンパイアに変えられたが、その霊は嵐の王に招かれて妖精騎士となっていたのだ。
しかし、嵐の王は自らの臣下が生前の記憶を持つことを許さない。連合帝国の勢力圏を守護するためには一切の私情を廃さねばならないと信じているからだ。
かつての妻を一顧だにせず、妖精馬を駆って去って行くロバートを、嵐の中に飛び出して追おうとするヒルダ。オシアンは必死で彼女を取り押さえ、言い聞かせた。もはやロバートは以前の彼ではなく、今は嵐の王の所有物なのだ。その上、妖精の騎士が嵐の王の臣下ではなくなることは非常に不名誉なことだ。故に、ロバートを取り返そうとしてはならない、と。
「それで君は、その晩も泣きながら眠りに落ちた。以後、君は人間が妖精に変わる話に拒否反応を示すようになった。モリー嬢やアーセンに絵本を読み聞かせる時でさえ、人間が妖精に変わる場面になると決まって本を閉じるようになっていたのだよ。自分では気付いていないようだったがね。だから、打ち明ける気になれなかった。もし打ち明ければ、我を見る君の目に憎悪が浮かぶような気がして。……もしそのようなことになれば、とても耐えきれないと思っていた」
ヒルダはオシアンを見据えて尋ねた。
「それなのに『食事療法』を止めようとしなかった理由は?」
「……どうしても、君を失いたくなかった。人間のままでは、たとえ大怪我をしても、最上級の治癒魔法を使うことが出来ない。しかし、人間ではなくなれば、最上級の治癒魔法を使い、負傷による欠損部位でさえ取り戻すことが出来る。瀕死の状態から蘇生させることも可能だ。……それに、実際に君は去年、危うく左腕を失うところだった」
エリザベスタウンでの大規模討伐作戦の折、ヒルダは魔女に唆されたエリザベスタウン警邏隊の隊長から銃撃を受け、左腕を失いかけた。
彼はヒルダの左手を取った。
「作戦遂行のためには腕の一本くらい犠牲にしても構わないなどと、とんでもない。幾度となく我に触れた、君のこの指の一本一本が愛しいというのに。……だから、我が自らの欲のために君の望まぬことをしたというのなら、おそらくその通りなのだろう。君が我を罰することを望むのであれば、如何なる罰も受けるつもりだ」
ヒルダは少し拗ねたような顔で、オシアンの上に静かに倒れ込んだ。
「言ったはずだ、それについては許してるって。おかげで思ったよりも長く一緒にいられそうで嬉しいよ。……ただ、隠し事をされたのが気に食わないんだ。たとえ君の動機が、私を自分だけのものにするために、わざと人間の範疇から外して孤立させようとした、とかいう酷いものだったとしても許してしまえるくらいには、君のことを愛しているのに」
オシアンは首を振った。
「それは、もし君が許してくれたとしても、我の矜持が許さない。君が側にいなければ狂い死にしそうなくらい愛しているからこそ、卑怯な手段で君を手に入れたくはないと思っていたのだよ」
「頼むから、狂い死にするなよ。……あと、世界を滅ぼすのも禁止だ。私が死んでも、ちゃんと私の魂を見つけてくれるって約束したのは、オシアンなんだからな」
ぶっきらぼうにヒルダはそう言い、ゆっくりと身体を起こした。
「……いや、世界を滅ぼそうとまでは、流石に――」
やりかねないな、とオシアンは苦笑しながら起き上がった。
* *
昼過ぎに二人が銀の草原を散策していると、幼い猫型妖精の三人組、フィンとコナンとオスカーが嬉しそうに駆け寄って来た。
「国王陛下、女王陛下!」
オシアンがフィンに目を合わせ、婚礼衣装を用意してくれた礼を言うと、フィンは得意そうな顔になった。
「喜んで頂けて嬉しいです。本当は私だけではなく、城務めの皆やオスカーと一緒に作ったんですよ」
フィンがオスカーに目をやると、オスカーがもじもじと照れた。
「オスカーも、我のためにありがとう。あれは、とても素晴らしい衣装だった」
オシアンの言葉に、オスカーが照れながら、ふふっと笑った。
「僕たち、国王陛下と女王陛下のことが、大好きなんです。だから、頑張りました」
「僕はお裁縫が苦手なので、女王陛下のためにお花を集めました」
コナンもそう言って胸を張ったので、ヒルダが嬉しそうにコナンに目を合わせた。
「ありがとう、コナン。あの青い薔薇は一番好きな花なんだ」
くすぐったそうに笑う三人組。彼らに微笑みかけるヒルダの顔は、慈愛の女神のように美しかった。
これで、こちらはひとまず完結です。
普通の人間に最上級魔法を使うと死ぬか怪物化するかの二択なのですが、左腕を失うほどの怪我をして最上級魔法を使われたのに深刻な支障はなかったことで、流石にヒルダも「もしかして私、もう人間ではなくなってるんじゃないか?」と気付いてはいたのです。多分、オシアンが何かしたのだろうな、とも。
ただ、正攻法で聞いたとしてももオシアンも中々のタヌキですので、だいぶ手荒に不意打ちすることにしたようです。




