〈番外編〉猫型妖精の王は、聖騎士団第三隊長に勝てない①
オシアンは、ヒルダの使い魔になったばかりの頃の夢を見ていた。
「貴女もまだ若いのだし、亡くなったご主人のことは思い出として、早く新しい家庭を持つべきですよ」
茶会に招待されて大伯母の屋敷に赴いたヒルダは、その席で、大伯母やその友人たちから再婚を強く勧められていた。
彼女たちが勧める相手は、数年前に妻と死別したという四十代の男性。名門と言ってよい家柄の出身で、少なからぬ資産を持っているということだった。
「しかし、私は……」
ヒルダが言い淀むと、大伯母は解っている、と言わんばかりに優しく微笑んだ。
「貴女の身体のことは先方もご存知で、むしろその方が良いと仰るのよ。既に跡取りがいるそうですからね。貴女は『家庭の天使』としての役割を務めさえすれば良いの」
その言葉に重ねるように、大伯母の友人の一人も言った。
「確かに聖騎士団の団員というのは素晴らしいお役目ですよ。けれどももう、貴女は充分に使命を果たしたではありませんか」
また別の老婦人が言葉を重ねた。
「これからは家庭に入って、穏やかな生活を送るべきですよ、貴女の妹のリディアのように。きっと貴女の亡きお父様、お母様もそれを望んでいらっしゃるわ」
善意というものは恐ろしい。相手は自分がどれほど酷なことを言っているのか、自覚がないのだから。
その時オシアンは、使い魔だからという理由で猫の姿でヒルダについて行き、その膝の上で大人しくしていた。しかし老婦人たちから言葉を掛けられる毎にヒルダの手に汗が滲んで、やがて冷たく強ばっていくのを見過ごせず、彼女の膝の上から静かに下りた。
それから彼はその場から少し離れて若い聖騎士団員の姿に変わると、如何にも慌てているふうを装って、茶会の席に駆け込んだ。
「ここにいらっしゃいましたか、フォスター殿。休暇中に申し訳ありませんが、本部から至急連絡せよとのことです」
「……わかった。すぐに行く。大伯母様、ご婦人方、申し訳ありませんが、本日はこれで失礼いたします」
ヒルダは聖騎士団流に敬礼すると、オシアンの後に続いて退出した。
辻馬車を拾って乗り込んだ後も、ヒルダの顔色は青いままだった。
「……助かった。感謝する」
一言そう告げて、ヒルダは黙り込んでしまった。
広過ぎるフォスター家の屋敷に戻って来たヒルダは、オシアンが作った食事を義務的に食べた後、やはり強ばった表情のまま、自室に戻った。
――彼女が、一人で泣いている。
人間形態で厨房を片付けていたオシアンは、猫の姿になると、ヒルダの部屋に急いだ。彼女はオシアンがいつでも入れるよう、少しドアを開けている。いつもなら淑女たる自覚が足りないと嗜めるところだが、その夜ばかりはそれがありがたかった。
寝台に腰掛けたヒルダは、やはり声を殺して泣いていた。……そのようなことをしなくても、オシアンの耳には届くと言うのに。
「我が麗しき女主人よ。貴女の下命あらば、我はすぐにも、黴臭き幻想に包まれたあの婦人たちに現実を突きつけ、二度と貴女にお為ごかしなど申せぬようにして来よう」
ヒルダは顔を上げ、オシアンに言った。
「……『ヒルダ』と呼ぶように言ったはずだぞ、相棒」
その抗議の声の弱々しさに、オシアンの心は更に痛んだ。
「それではヒルダ。どうか我に命令を」
ヒルダは首を振った。
「……必要ない。あの人たちに悪気はないんだから」
「我に、何か貴女の心を晴らす術があれば良いのだが」
オシアンは寝台の上に飛び乗り、ヒルダにそっと身を寄せた。
ヒルダの手が、オシアンの頭に伸びてきて、ゆっくりと彼を撫でた。
「……それなら、思う存分撫でさせてくれないか、ボンボンショコラ」
オシアンはヒルダの膝に乗り、前足を身体の下にしまい込むように座り込んだ。
「貴女の心のままに」
オシアンを撫でながら、ヒルダはぽつりと零した。
「……誰も彼も、ロバートを忘れるべきだ、さっさと再婚しろと言うんだ。どうしてそんなことを言われなきゃならないのか、分からないよ」
「我にも分からぬ。少なくとも、今日の茶会で婦人たちが勧めて来た男は、ささやかな屋敷と小金を持つだけの、碌でもない人間だ。亡きロバート殿の足元にも及ばぬどころか影さえ踏めまい。にも関わらず、貴女の手と心を望むとは身の程知らずにも程がある」
オシアンは率直かつ公平な意見を述べたつもりだったが、最後に本音が漏れてしまった。
「ボンボンショコラは、随分私を買ってくれるんだな」
「当然だ。輝かしき紅玉の如き貴女こそ、猫型妖精の王たる我の主に相応しい――」
「……そんなこと、ないよ」
ヒルダはオシアンの背に涙を零した。
「……私は、弱い。だから、大人しくロバートの帰りを、待てなかったんだ。その結果、一番に守るべきだった小さな命を、守れなかった。……今でも、そのことが悔やまれて、悲しくて。……前になんて、進めない……。ちっとも強くなんてないんだ」
オシアンは、するりとヒルダの膝から下りると「ドアは開けてあるから問題ない」と自分に言い聞かせ、それから人間の姿になった。
「貴女の子なら、ここにいる」
オシアンはヒルダの前に跪くと、彼女の肩の上を優しく掬うようにした。すると、小さな金剛石に似た魂が、彼の掌に乗った。その掌を、ヒルダに見せながら、オシアンは優しく言った。
「貴女の目にも見えるようにしてあげよう。この子はずっと、貴女の側にいたのだよ」
小さな金剛石は、赤ん坊の姿になった。月齢でいえば、六ヶ月前後くらいの、ふっくらと愛らしい赤ん坊に。
ヒルダは息を飲み、目を丸くして赤ん坊を見つめた。
「……フォスター家の血を引く人間は亡霊にはならないのだと聞いていたのに」
「確かに、フォスター家の血を引く人間は破魔の力が強くて亡霊にはならないのだろうが、この子は恨みを抱えた亡霊などではなく、純粋無垢な魂だ。それに貴女の破魔の力が強かったから、悪しきモノに喰われることもなく、ずっと側にいられたのだろう。……ほら御覧。この通り、無傷で強く輝いている。如何にも貴女の子らしい」
――たぁたん。
そう言って赤ん坊は笑い、ヒルダに向かって手を伸ばした。
「抱きしめる素振りをすると良い。この子が貴女の腕の中に、自分から飛び込んで来るから」
生きた赤ん坊ならではの、温もりや重さや匂いは感じられないかもしれない。それでも……。
オシアンに促され、ヒルダは抱きしめる真似をした。赤ん坊は、ヒルダの腕の中で嬉しそうに笑った。
――たぁたん、ちゅき。
壊れやすい宝物を抱えるような体勢のまま、ヒルダは声を上げて泣いた。泣きながら、そうっと、赤ん坊の頰に自分の頰を擦り寄せた。
「分かるだろう、この子が貴女のことを恨んでも憎んでもいないことが。それどころか、一心に貴女を愛していることが」
「……私は何もしてあげられなかったのに」
オシアンはヒルダの肩をさすった。
「この子を悪しきモノから守っていたのは、紛れもなく貴女の力だ。……それに、我と共に、この子を次の生に送り出すことは出来る。いつまでも魂のまま、この世に留まっているのは流石に良くないからね」
オシアンは、赤ん坊に尋ねた。
「坊や。坊やもきちんとした身体を得て、お母さんと手を繋いで歩いたり、遊んだりしたいだろう。だから、おじさんが坊やをお母さんの近くに生まれ変わらせてあげよう。どのような子どもに生まれ変わりたいかね?」
赤ん坊はオシアンを見つめ、にっこり笑った。
――おいたん、にゃんにゃん、いい。
オシアンには、赤ん坊の言いたいことがすぐに伝わった。
「承知した。坊やを、誇り高き我が一族、猫型妖精の新たな子どもとして迎えよう」




