79 どおりで、礼儀正しかった
翌朝、王城の小応接間には、ずいぶん奇妙な顔ぶれが揃っていた。
窓際の長椅子には、国王と王妃。向かいには、ドラクロワ伯爵夫妻。その間に置かれた椅子へ、ナナリーとシノンが並んで座っている。ジョルジュだけは、なぜか壁際に立っていた。誰に命じられたわけでもなく、自分からそこへ進み出て、背筋を伸ばしたのだ。叱られる前から叱られる場所を選ぶあたり、さすが兄だった。
窓の外では、建国祭の翌日の王都が、まだ眠たげに朝日を浴びていた。大通りの旗は夜露に濡れて重たげに垂れ、遠くでは片づけの荷車が石畳を鳴らしている。
ナナリーは、テーブルの焼き菓子をさりげなく数えた。十二個。戻ってきた自分の胃袋は、朝から空腹を訴えていた。昨日の昼に入れてもらえたのがスープ半分だったと知って以来、この身体には、もう少し親切にしてやりたいと思っている。けれど、この席で真っ先に菓子へ手を伸ばす勇気はなかった。
膝の上で手を重ね直すと、見慣れた細い指が目に入った。椅子に深く座れば、足は床に届くかどうかで、隣のシノンを見るには、また顔を上げなければならない。
元に戻ったのだから当たり前なのに、何もかもが少しずつ違って感じられた。自分の身体は、思っていたより小さい。緊張すれば指先が冷え、背中まで縮こまりそうになる。王子の姿で両親の前に立った時には、どうにか客人らしく振る舞えたのに、今はすっかり、叱られる前の娘だった。
「さて」
口火を切ったのは、シノンだった。本来の身体へ戻った彼は、この一か月ナナリーが着ていた上着を、ずっと自然に着こなしている。
「これからお話しすることは、にわかには信じがたいと思います。ですが、すべて事実です」
それから彼は、驚くほど簡潔に説明した。
古い召喚書と、終わらせずに残っていた申請。夜会の東屋で起きたこと。媚薬と魔力の接続と落雷が重なって、二人の魂の接続先が入れ替わったこと。そして昨夜、ナナリーが自分の手で術を解いたこと。
シルヴァンなら三日は話していられそうな内容を、シノンは十分足らずで話し終えた。
応接間が、しんと静まり返った。ナナリーは焼き菓子からも目を逸らし、両親の返事を待った。
最初に動いたのは、父だった。何度か瞬きをし、娘とシノンを交互に見てから深く頷く。
「どおりで、礼儀正しいと思った」
ナナリーは、椅子の上で小さく縮んだ。
「この一か月、屋敷で朝食を取る時には、一度もおかわりをしなかった。お辞儀は完璧だったし、私の話を最後まで聞いてくれた。落雷のあとから変わったとは思っていたが、王妃様にお預けして、すっかり大人になったのだと」
父は、懐からハンカチを取り出した。
「嬉しくて、三回ほど泣いたのに」
「お父様、それは全部、殿下です」
「そうだな。今、四回目を泣くかどうか迷っている」
隣で、母がゆっくりと扇子を閉じた。ぱちん、という音に、ナナリーの背筋が伸びる。
「つまり」
マリアナの声は、静かだった。静かすぎて、何を聞かれるのか分からないまま、とりあえず謝りたくなる。
「私があの子の手を握って、王妃殿下のところでよく頑張っているわねと褒めたのは」
「僕です」
シノンが、まっすぐに答えた。
「あの時は、ありがとうございました。とても嬉しかったです」
マリアナは口を開けたまま固まり、それから、みるみる頬を赤くした。王子に手を握ってくれた礼を言われる機会など、伯爵夫人にもそう何度もある機会ではなさそうだった。
「人間を、使い魔に」
母は、扇子を胸へ押し当てた。
「使い魔権侵害どころではないわ。これは、王子権侵害よ」
「そのような権利が、あるのですか?」
シノンが真面目に尋ねると、マリアナは扇子を開き、顔の半分を隠した。
「今、私が作りましたの」
「お母様、作らないで」
ナナリーが呟くと、王妃が扇子の陰で笑い声を漏らした。
その声に、国王がはっとしたように顔を上げた。それまで黙って二人を見比べていたのだが、急に身を乗り出す。
「待て。では、あの日、王家の食卓でグリンピースを食べたのは」
「私です、陛下」
ナナリーは、小さく手を挙げた。
「全部で二十三粒、いただきました」
国王は眉間に皺を寄せ、しばらく黙り込んだ。叱られるのだろうか。王家の食卓で正体を偽り、王子の好き嫌いまで勝手に変えてしまったことを怒られるのだろうか。
ナナリーが身構えた時、国王はぱっと顔を輝かせ、膝を打った。
「つまり、私の見立ては正しかったのだな!」
「え?」
つい、間抜けな声がもれる。
「私はあの日、グリンピースを食べるほどシノンを変えた娘こそ、伴侶にふさわしいと思った。そして今、食べたのはドラクロワ嬢本人だったと分かった。すなわち、私が気に入ったのは、最初からドラクロワ嬢その人だったということだ!」
「父上、論理が」
「完璧であろう」
シノンが、額を押さえた。王妃は扇子で顔を隠したまま、肩を震わせている。
ナナリーはどこから訂正すべきか考えたが、途中で諦めた。国王の中では、グリンピースが恋の証拠として、すっかり定着しているらしかったからだ。
やがて部屋中の視線が、ゆっくりと壁際へ向かった。ジョルジュが、さらに姿勢を正す。
「ジョルジュ」
母の声に、兄の肩が跳ねた。




