24 私が、犯人でした
媚薬による強い感情。口づけによる魔力の接続。落雷。
自分がすっかり失敗したと思っていた術は、その間ずっと、宙に浮いたまま次の手順を待っていた。そして最悪の形で、その手順へ進んでしまったらしい。
改めて魔術の恐ろしさを思い知り、一人静かに反省する。
そんなナナリーとは違い、シノンはまだ納得していないようだった。クロの説明を頭の中で確かめるような顔で少し黙ったあと、腕を組む。
「だが、人間の魔術師同士で、一方的な使い魔契約は成立しないはずだ」
その声には、まだ警戒が残っていた。王子という肩書きを持つには、まず疑うことが必要なのかも知れない。
「人間は、それぞれの魂が、自分の魔力を動かしている。片方の命令へ勝手につなぎ替えることはできない」
「当然だ。だから、契約は成立しなかった」
シノンの意見に、ナナリーも大きく頷いた。
頷きながら、宿題を完成させてほしいとお願いして、シノンが素直に終わらせてくれるところを、うっかり想像しかけた。すぐに、今は絶対にそのようなことを考えてはいけないと、浮かんだ考えを打ち消す。
しかし、どうしても試してみたくなるほど、魅力的な考えではあった。
「ただし、成立しなかったからって、止まってくれるわけじゃない。雷の魔力は、もう流れ込んだ後だったからな」
クロの言葉に、シノンが顔を上げた。
「契約の成立は拒まれても、つないだ魔力は行き先を求めた。結果、魂の接続先だけが交換された、ということか」
「話が早い」
クロは感心したように鳴いた。
「それが、今のお前らの状態だ」
ナナリーは自分の手を見た。
大きな指。剣の練習で硬くなった手のひら。その向こうには、自分の小さな手を膝へ置いたシノンがいる。
鏡を見た時には、夢だと思った。夢ではないと分かってからも、どうしてこんなことになったのか、考えても答えは出なかった。
今、ようやく、そこへ道筋がつながった。
「私が、始めた術だったんですね」
さっきまで主張していた、まだ別の話だという言葉が、胸の内へ戻ってきた。
別ではなかった。香水瓶を開けたことも、助けを求めたことも、その前に始めていた召喚術へつながっていた。
もう認めるしかなかった。ナナリーは神妙な顔でシノンへ顔を向けた。
「ごめんなさい。私のしたことで、殿下まで巻き込んでしまいました」
今度は、どう叱られるかを考えずに言えた。
「殿下のお身体だけでなく、毎日のご予定も、ご家族とのことも。私が、全部変えてしまったんですね」
シノンは本へ目を落とし、それからこちらを見た。
「ようやく、何が起きたか分かったな」
静かな声だった。
「君の術が原因だったことも分かった。だが、俺は、君が困っていると知って、自分で魔力を渡すことを選んだ。そのことまで、君に謝らせるつもりはない」
「でも、こんなことになるとは」
「知らなかった。それは、二人とも同じだ」
ナナリーは膝の上で手を揃え直す。
二人とも同じだと言ってくれたが、最初のきっかけを作ったのは自分だ。そもそも、表紙の魔術陣が格好いいというだけで、あの本を買った時から始まっていたのかもしれない。
シノンは、クロへ向き直る。
「元に戻す方法を教えてくれ」
「残っている仮契約を、申請した側が取り消す。もちろん正しい方法で」
「正しい方法って、まさかその欠けたページのこと?」
クロが本の後ろをつついた。
「どんな魔術も、最後には術を閉じる決まり文句と、境界を分かつ処置がいる。最後の部分がごっそりなくなってる以上、このままじゃ終わりようがないだろ」
クロは呆れたように羽をすぼめた。
「つまり……その破られたページを取り戻すか、そこに書かれていた終了術式を解き明かさなければ、俺たちは元に戻れないということか」
シノンは爪痕のように破れた本の綴じ目を見つめた。ナナリーも同じように、本の綴じ目に視線を向けた。初めて読んだ時からページはなかった。傷んだ本だから、その程度の欠けは仕方がないと思った。
なくなったのは、本の最後の数枚だけ。しかし、その数枚がなければ、自分たちは戻れない。
「あなたが戻してくれるわけではないのね」
「俺が、未完成の契約を自由に書き換えられると思うな。終了の術式を確かめ、申請者が取り消す必要がある」
「申請者って、私?」
「他に誰がいるんだよ」
ナナリーは、迷わずシノンを見た。
彼は本を引き寄せ、残っている術式へ指を置いた。
「俺が組み直して、代わりに術を使うことは?」
「調べるのは構わない。だが、取り消しを行うことができるのは、申請をした魂だ。身体が変わっても、そこは変わらない」
ナナリーは、ソファの背へもたれかけていた身体を起こした。
王子の身体なら、魔力は十分にあるのかもしれない。けれど、その身体に収まっている自分の頭は、万年最下位をウロウロする、残念な頭だ。
「私が覚えて、使うんですね」
「そうなる」
クロの答えに、喉が少し詰まった。
始めるところだけ勝手にして、困った後は、誰かに終わらせてもらうなんて、都合の良いことはできないらしい。
「分かりました。今度は、ちゃんと自分で終わらせる方法を探しますし、術が使えるように勉強も頑張ります」
シノンが、閉じかけていた本を、そのまま二人の間へ置いた。
「最後に術を使うのは君だ。だが、調査も勉強も、一人で抱える必要はないよ」
「私が、原因なのに?」
「元に戻りたい気持ちは君と変わらない。君だけに任せて、何もせず待っているつもりはない」
ナナリーが顔を上げると、彼は少しだけ眉を緩めた。
「分からないところは聞いてくれ。今度は、途中で勝手に判断しないで」
「はい」
その時、ソファの端で、低いうめき声がした。
「……ん」
ジョルジュがゆっくりと身体を起こし、こめかみを押さえた。焦点の合わない目で、部屋の中を見回している。
「僕は、何を……」
「お兄様! 大丈夫?」
「急に、眠くなって……殿下の御前で、とんだ失態を」
「失態ではない。説明すると長くなるから、要点だけ伝える」
シノンは、クロのことと、入れ替わりの仕組みを手短に話した。申請、媚薬、口づけ、雷。そして、元に戻すにはナナリー本人が終了の術式を使わなければならないこと。
聞いているうちに、兄の顔から眠気が消えていった。最後まで聞き終えると、ジョルジュは無言で上着の内側から手帳を取り出した。
「ナナリー。この本を買った店を教えろ」
ジョルジュが手帳をこちらへ向けた。
「この写しが、どこから来たのか調べる。原本が見つかれば、欠けた部分も確認できるはずだ」
ナナリーは頷き、店の名前と場所を伝えた。兄が書き留め、シノンが本の表紙を確かめる。
自分がしなければならないことは、なくならなかった。けれど、その前に必要なことを、二人が一緒に考えてくれている。
テーブルの端で、クロが羽を整え始めた。
「話が済んだなら、何か食べるものはないか」
ナナリーは、思わずカラスを見た。
「食べるの?」
「この姿では、腹も減る」
小説の使い魔も、確かに食事をしていた。けれど、相棒のフクロウは、大事な説明の後に、もっと励みになることを言っていたはずだ。
ナナリーは皿に残った焼き菓子を一つ取り、小さく割って、テーブルの端へ置いた。
ジョルジュの手が、ぴたりと止まった。
「ナナリー。誰に菓子を出している」
「クロに」
「……殿下。妹が、見えないものに名前をつけて、餌付けを始めましたが、とうとう……」
「見えないだけで、本当にいる。名前をつけるのは止めたんだが」
シノンが真面目な顔で答えた。
兄は何もない空間と、菓子の欠片と、妹の顔を順番に見た。それから、黙って手帳に何かを書き足した。何を書いたのかは、知りたくなかった。
せっかく出てきた使い魔のようなものに、ご機嫌を取る必要が出てきた。しかも、使い魔の候補へ勝手にされたシノンにも、説明をするたび気を遣わなければならない。おまけに、クロの姿が見えない兄には、正気を疑われている。
勉強を手伝ってくれる相棒が一人欲しかっただけなのに、どうしてこうも、話す相手が増えてしまったのだろう。
そんな不満を口に出す代わりに、ナナリーは新しい紙を一枚もらった。今聞いたことを忘れないよう、まず「終了の術式」と書き、その下へ大きく線を引いた。




