23 王子様を、注文した覚えはありません
突如現れた、喋るカラス。
「口の減らない鳥だな」
シノンは、倒れ込んだジョルジュの呼吸が穏やかなことを確認すると、低くため息を吐いてソファへ戻った。ドレス姿で背もたれへ身を預け、脚を組む。
「で? お前は、どうして入れ替わったかを知っているような口ぶりだが」
「人間のくせに、口の利き方がなってないようだな。じゃ、俺、帰るわ」
カラスがばさばさと翼を広げ、窓へ向かって飛び立とうとした。
「あっ、待って待って!」
ナナリーは慌てて大きな手足をばたつかせ、進行方向を遮るように立ちふさがった。シノンの恵まれた体格のせいで、迫力だけは無駄にありそうだった。
「帰らないで! 私、使い魔の召喚なんて初めてだったし、失礼なことを言ったなら謝るから!」
「謝るなら、そっちの態度がでかい方だろ」
カラスはカーテンレールの上へ飛び乗り、きらりと光る琥珀色の目でシノンを見下ろした。
「おい、偽ナナリー。お前、自分が今、どんな状況か分かってんのか? 俺が帰ったら、身体を元に戻す方法は、自力で探すしかないんだぞ」
シノンは脚を組んだまま、忌々しそうに眉根を寄せた。それから、ゆっくりと両足を床へ戻す。姿勢を正してカラスを見上げる顔には、まだ不満が残っていた。
「悪かったな。俺も少々、気が立っていた」
「まあ、見た目は可憐な女の子だから、許してやるか」
「え、今、なんて?」
ナナリーは、つい反応してしまった。
「見た目が可憐だと言ったんだ。お前のことだぞ。喜べ、ナナリー」
カラスは満足そうに嘴を鳴らし、再びテーブルの古本の上へ舞い戻ってきた。
「分かりやすく、単純そうな方に取り入ろうとしているだけだろ」
シノンが複雑そうな顔で呟いたが、カラスは取り合わず、羽をひと振るいした。
「では、カラス様。まず、あなた様のお名前を教えていただけますか」
気をよくしたナナリーが丁寧に尋ねると、カラスは首を傾げた。
「名前?」
「ないのですか?」
「人間が呼ぶ名前は、まだないな」
「じゃあ、クロでどうでしょう」
「ナナリー嬢」
シノンが、鋭く呼んだ。
「正体も分からないものへ、勝手に名前を与えない方がいい」
ナナリーは口を閉じた。また何か、始めてしまったのだろうか。
クロは黒い羽を少し膨らませた。
「呼び名くらいで、契約は変わらない。いちいち怯えるな。というか、あいつ、うざいな。やっぱり俺は帰ろっかな」
「待って待って、帰らないで! シノン殿下は、入れ替わりで気が動転して、ちょっと用心深くなっているだけなんです! 本当は国民一人ひとりの晩ごはんのメニューまで気にする心優しい王子なんです!」
ナナリーは慌てて両手を広げた。引き留めるためとはいえ、王子の身体でカラスにすがっている。
自分の姿でこちらを見つめるシノンの視線が痛い。
だからこれ以上、情けない仕草を増やす前に、どうか落ち着いてほしかった。
シノンはナナリーへ冷ややかな目を向けているものの、一度短く息を吐き、カラスへ視線を戻した。
「失礼した。正体の分からない存在を警戒するのは、王族として身についた習慣だ。だが、今は君の知恵が必要なことに違いない。呼び名についても、便宜上のものとしてなら異存はない」
「ふん。最初から素直に頼めばいいんだよ」
クロと呼ばれることになったカラスは、満足そうに羽を整え直した。
「で、さっきの続きだ。お前らが知りたいのは、なんでそんなあべこべになっているのか、だろ?」
クロは古本の、ちょうどページが欠けている綴じ目を、爪先でとんとんと叩いた。
その姿を眺めながら、ナナリーはソファへ腰を落ち着けた。ここまででさえ、帰る帰らないの話が二度もあった。肝心の説明も、長くなりそうだと思ったからだ。
「まず、俺は使い魔調停官をしている」
「使い魔調停官ですか?」
初めて聞くような言葉に首を傾げると、シノンが補足した。
「使い魔の申請を受け、候補を探し、契約を取り次ぐ役目だ。古代魔術の授業で習ったことがある。まさか、カラスだとは思わなかったけど」
最後だけ声が小さくなった。ナナリーは、その説明を聞いて「あ」と思い当たる。
「そういえば、教本の下の方に、小さな注釈で載っていた気がします。かなり古い制度で、人間のせいで作られたって」
「そうだ。昔は人間どもが好き勝手に召喚術を乱発するから、使い魔組合から不満が出た。そこで、俺たちみたいな調停官が間に入って、安全な契約を取り仕切る仕組みができたんだ」
クロは胸を張り、琥珀色の目を二人へ向けた。
「で、今回は、この娘が古い形式で申請を出した。補助する存在を求める、と。だが、候補が決まる前に呼びかけをやめた。それで未処理の申請が残ったってわけだ」
「申請というのは、私が魔術陣を描いて、言葉を読んだことですか?」
「そうだ」
「床は拭いたのに」
「ポストの口を塞いだからって、投函した手紙が消えるわけじゃないだろ」
ナナリーは膝へ手を置いた。
今まで聞いた説明の中で、一番分かりやすかった。その分、自分のした後始末が何の役にも立っていなかったことまで、しっかり理解できてしまった。
「では、君は彼女の使い魔ではないんだな」
シノンが確かめた。
「そうだ。彼女の申請に対して、正式に契約した使い魔はまだいない。俺は仮契約について話をするために、この姿で来ているだけだ」
ナナリーはクロを眺めた。
小説のフクロウとは、少し違う。思い描いていた相棒は、もっと思慮深く、主人を尊重するものだった。少なくとも初対面で、窓を開けろとは言わなかったし、すぐ帰ろうともしなかった。
ただし、「可憐な」という素敵な言葉も、口にしてはいなかったけれど。
「お前の申請には、頼りになり、近くにいて、自分を補助してくれて、できれば見た目がいい使い魔を希望する、とあった。間違いないよな?」
クロに確かめられ、ナナリーは大きく頷いた。
「ええ。私はそう願いました」
「いくら何でも、欲張りすぎだ」
シノンが冷たい視線を向けてきた。けれど、見慣れた丸顔で睨まれても、王子本来の顔ほどの迫力は感じない。
「願うのは自由だし、欲張っては駄目とも書いてなかったし」
ナナリーは悪びれずに返した。
「そう。願うのは自由だ。普通なら、その条件に合う候補を俺が探して、本人と話をつけてから契約を取り次ぐ」
クロはそこで、羽を一度ばさりと鳴らした。
「ところが今回は、俺が探しに出る前に、候補の方が勝手に決まっちまった」
「勝手に?」
「古い形式の申請は、乱暴なんだよ。宙に浮いたまま、術者が強く求めた相手を見つけると、そいつを候補として拾っちまう。条件に当てはまってさえいれば、相手が何者かなんて確かめもしない」
ものすごく嫌な予感がした。
「あの夜、お前が一番強く求めた相手は、誰だった?」
ナナリーは、ゆっくりとシノンを見た。自分の姿で腕を組むシノンを見て、それからクロへ視線を戻す。
「まさか、殿下ですか?」
「中身の方な。身体は今、あべこべだから紛らわしいが」
「私、さすがに王子様を使い魔に頼んだ覚えはありません」
思わず声が大きくなった。ここはきちんと否定しておかなければならない。不敬罪にでも問われたら、人生が終わる。
「待て。俺が使い魔の候補だった?」
唖然とした声を出すシノンに、クロは頷いた。
自分の顔に、今まで見たことのない表情が浮かぶ。シノンは、笑顔を用意する余裕も、礼儀を整える余裕もないらしい。
「俺を、彼女の使い魔にするつもりだったのか?」
「俺はするつもりなんかなかったさ。術が勝手に拾ったんだ。ただ、条件には合っていた。頼りになって、近くにいて、見た目もいい」
「人間だし、王子だぞ?」
「申請に、人間や王子を除外するとは書いていない」
「普通は除外すると思いますけど」
遠慮がちに言って、ナナリーは頭を抱えた。
小鳥か、フクロウか、猫。もしくはクロのようなカラス。その辺りを想定していた。条件へ「王家の方は不可」と書き添えなければならないなんて、誰が考えるだろう。
「でも、どうして殿下なんですか。人間なら、お兄様でもよかったと思います」
一応、条件には当てはまる。何より、シノンより頼み事はしやすい。むしろ使い魔になってもらい、妹だからと甘んじてきたあれこれの仕返しに、こき使ってみたい気もする。
想像して、つい口元が緩んだ。
「全くもって、よくないと思う」
シノンが寝ているジョルジュの代わりに冷静に指摘した。
「俺に文句を言うな。拾ったのは術で、選んだのはお前の気持ちだ」
ピシリとクロが言い放った。
「私の、気持ち」
呟いて、ナナリーは顔を上げた。
「もしかして、媚薬で?」
「理由が薬でも、術は区別しない。強く求めた相手として拾う」
クロは爪先でテーブルの古本の角をトントンと叩いた。
「お前がどんなに『薬のせいだ』と言い張ったところで、あの瞬間、お前の魂が一番激しく求めたのがその男だったって事実は消えねぇんだよ」
「う……っ」
痛いところを突かれ、ナナリーは言葉に詰まり、シノンの端正な顔を真っ赤にしてうつむいた。
確かに、媚薬に惑わされていたあの時は、シノンを好きだという気持ちが頭の中へ溢れていた。
「でも、私が使い魔の召喚をしたのは試験前です。少なくとも、あの夜会の一か月前です」
「だから、未処理の申請として宙に浮いていたんだ。そこへ、あの夜、特定の相手への強い感情が向けられた。それが候補を確定する引き金になった」
クロは羽をすぼめ、心底うんざりしたように首を振った。
「候補が決まると、調停官の俺に知らせが来る。慌てて飛んでいったら、相手は人間で、しかも王子だ。前代未聞だよ」
「それで、東屋にいたのか」
シノンが目を細めた。
「『楽しませてもらおうか』と言ったのも、お前だな」
「候補者に面会する時の決まり文句だ。格好いいだろ」
「悪役の台詞にしか聞こえませんでした」
「調停官の伝統を馬鹿にするな」
クロは不満そうに嘴を鳴らし、琥珀色の目を光らせて説明を続けた。
「本来なら、そこで俺が候補と話をつける。ところが、お前ら二人は、俺が口を挟む前に魔力をつないだ」
その言葉に、ナナリーは本へ視線を固定した。
「口づけだな」
シノンがはっきり口にしたせいで、頬が熱くなる。
真面目な話をしていることは分かっている。けれど、本人から改めて言われると、あの時の唇の温かさまで思い出してしまうのだからタチが悪い。
「まあ、あれは、事故というか、仕方がなかったというか」
「照れている場合か」
シノンは視線を逸らし、短く咳払いをした。その仕草が、ナナリーには、気まずさを誤魔化しているように見えた。
「殿下だって、照れてるじゃないですか」
「だから、その話をするな」
「でも」
言い合いになりかけたところで、クロが「カー」と鳴いた。
急に聞こえた拍子抜けする鳴き声に、ナナリーはクロに顔を向けた。
「話を続けていいか? それとも、口づけについて深掘りしたいのか?」
「しない! 絶対にしないでください!」
ナナリーは必死に手を横へ振った。王子の顔で、今、どんな表情をしているのかは考えたくない。とにかく、その話だけは終わらせる必要があった。
「要するに、ナナリー嬢が放置していた申請が、媚薬のせいで俺を候補として拾い、口づけで俺たちの魔力がつながった。そういうことなんだな」
シノンは眉根を寄せ、ドレスの膝の上で拳を一つ握りしめた。
「大体合ってるぞ、王子。ただし、最後のきっかけが抜けている」
クロは、どこか面白がるように首を傾げた。
「候補者と申請者の接続ができたところへ、雷で強い魔力が流れ込んだ」
「それで契約が、動いたのか?」
「未完成のままな」
クロは満足そうに嘴を鳴らした。




