21 犯人扱いされています
王城のサロンの窓から差し込む日差しが、テーブルに置かれた一冊の古い本を照らしていた。
革張りの表紙はすっかり色褪せ、角も擦り切れている。中央に刻まれた金箔の魔術陣までかすれており、いかにも古い魔術書らしい怪しげな雰囲気があった。
ナナリーはその本を見て、自分の部屋にある小花と小鳥が彫られた可愛らしい机を思い出した。学院の教本の下へ差し込み、さらにその上に小説を載せておいたはずの本だったからだ。
隠していたのには理由がある。以前この本を持っていることが母に知られ、早口で叱られたからだ。
『主従契約だなんて、要するに魔術の力で生き物を従わせる奴隷制でしょう? 言葉が通じないのをいいことに労働を強いるなんて、そんな動物権侵害……いえ、使い魔権侵害かしら? とにかく、怪しい術に手を出すのは絶対に認めません』
その時、あっさり取り上げられた本を、母の部屋へ忍び込んでひっそりと回収した。それが今、明るい王城のサロンで、兄と王子の前へ堂々と置かれている。
隠す場所を選ぶ努力が、少しも報われていない。しかも二人がナナリーへ向ける視線は、鋭く冷たかった。
新しい魔道具が好きなジョルジュが、使い魔を必要としないのは理解できる。けれど、王子まで同じ意見だとは思わなかった。
「まさか、シノン殿下も使い魔反対派だったなんて……」
ぼそりと呟くと、シノンが問いかけてきた。
「これは、君の本だな」
「はい」
「ここに書いたのも、君か?」
開かれたページの余白には、見覚えのある字が並んでいた。
「ここ長い」「これも覚えるの?」
自分で書いたものなのに、こうして人の前へ出されると、随分やる気のない感想に見える。せめて「解読に時間を要する」とか「記憶すべき範囲を確認」と書いておけば、もう少し真面目で賢そうな研究の跡になったかもしれない。
だが、もう遅い。晒されてしまったのだから、ここは素直に認めるしかなさそうだった。
「そうです」
「何を試したのか、初めから話してくれ」
ジョルジュも向かいで待っていた。いつも口うるさく説教をしてくる時より静かな顔をしているのが、かえって落ち着かない。
ナナリーは膝の上で手を揃えた。
「試験前に、使い魔を召喚しようとしました」
「何のために」
一流の魔術師の隣には、使い魔がいるものだから。そう思ったのは、今読んでいる推理小説で、主人公の相棒を務めるフクロウの使い魔が、あまりにも格好良かったからだ。
だたし、殺伐とした空気の中、そんな理由は口が裂けても言えそうにない。
しかも、どうしても使い魔が欲しかったわけではなかった。試験勉強をしていると、なぜか掃除をしたくなる。あの不思議な現象と似たような気持ちで、召喚を試してみたくなっただけだ。
ちらりと本から視線を上げ、向かいのソファに座る二人を見る。どちらも、そんな説明を受け入れてくれそうな顔ではなかった。
「勉強を、手伝ってもらおうと思って」
苦し紛れに答えると、シノンの目が本からこちらへ戻った。
非難がましく感じられる視線を受けて、ナナリーは慌てて続きを足す。
「代わりに試験を受けてもらおうとしたわけではありません。分からないところを教えてもらったり、覚えるところを整理してもらったり。そういう、健全なお手伝いを」
「健全かどうかは、術式を確かめてからだ」
「はい」
健全という言葉をつければ印象がよくなるかと思ったが、王子は説明の中身まで確認する人だった。
ナナリーは、本を買った店から話し始めた。
試験前、参考書を探して入った古書店で、使い魔の召喚について書かれた本を見つけた。店主には、古い本の写しで、傷みもあると言われた。それでも、学院の教材より安かったし、表紙に刻まれた金箔の魔術陣が何となく格好良く思えた。
だが、まるで犯人を問い詰めるような雰囲気の中で、そんなノリと勢いで買ったとは言えない。
「古代魔術の一つである使い魔の召喚術を紐解くことは、勉強になるかなと思って」
「お前に必要なのは、まず今、学院から与えられている教本を開くことだろう」
兄の指摘は、いつも通り正しかった。
正しいことを言われるほど、こちらから付け足せる説明が減っていく。黙り込むと、シノンがまた問いかけてきた。
「どんな儀式を行ったんだ。術式はどう組んだ?」
「儀式というほど、大袈裟なものではなくて……」
身を縮めながら、ナナリーは記憶を掘り返した。
「教本に載っている『知識伝達の簡略陣』を土台にして、この本に書かれていた召喚術を組み合わせたんです」
そこから、行ったことを一つずつ話した。部屋の床へチョークで魔術陣を描き、印の上へ自分の魔力を流した。分からない言葉は調べ、読めるところまで声に出した。
「途中で、終わりの説明がないのに気づいたんです。でも、召喚するところまでは書いてあったので、そこまでなら大丈夫だと思って」
シノンの指が、欠けたページの綴じ目へ触れた。
「何も出てこなかったから、失敗したと思いました。床も片づけたし、それで終わったものだと」
「片づけたのは、何を?」
「描いた魔術陣を、モップで拭きました」
「術を終了させる手順は?」
ナナリーは口を閉じた。
床から魔術陣は消した。使った道具も戻した。母にも侍女にも見つからなかったので、後始末としては申し分ないと思っていた。
だが、聞かれているのは掃除の話ではない。
「分からなかったので、していません」
言葉にすると、その判断がひどく頼りなく聞こえた。
「申請だけ出して、返事も待たずに寝たわけだ」
シノンが大きく息を吐いた。呆れたというより、「やはりな」と言いたげな顔だった。
「それは、失敗したんじゃない。術を起動させたまま、途中で投げ出しただけだ」
「起動させたまま?」
「ああ。チョークで描いた魔術陣を水で拭き取っても、開いた召喚の経路まで閉じるわけではない。術の終了処理を行っていないのだからな」
ナナリーは思わず息を呑んだ。部屋が綺麗になってよかったと思っていたが、そもそも、そういう問題ではなかったらしい。
「ナナリー。終わらせる方法も分からない術を、始めるな」
ジョルジュが静かに言った。いつもの口うるさい説教とは違い、声を荒らげない分、その言葉が深く胸へ刺さる。
「すみません」
「最後の説明が欠けていると分かった時点で、誰かに聞くべきだった。何も現れなかったからといって、何も起きていないとは限らない」
また同じことを兄に言われてしまった。
分からないものを、勝手に確かめるな。分からなかったら、周囲に聞く。香水瓶の蓋だけではなかった。その前から、同じことをしていたのだ。
「勉強を楽にするために、何が起きるかも確かめず術を使うのは軽率だ。初等科の、それも最初に習う注意点だろう」
シノンの正論に返せる言葉は、一つも思い浮かばなかった。ナナリーは小さくなるしかない。ただ、借りている身体は背が高く、手足も長い。縮こまっているつもりでも、まったく隠れきれていない気がした。
「反省しています」
「反省で済むなら、騎士団も魔術師団もいらない」
ぴしゃりと言われ、ナナリーは膝の上で指を握り込んだ。
散々叱られているが、どうにも腑に落ちないところがある。
「私が使い魔の召喚を間違えたことは、理解したわ。でも、現に使い魔はいないし、どうしてここまで叱られるのか、分からないんだけど」
目の前の二人が固まった。
項垂れて反省していると思われていたのかもしれない。確かに、今まで小さくなってはいた。けれど、納得できないところまで、黙って頷くつもりはなかった。
ナナリーは不死鳥のごとく復活し、背筋を伸ばして、二人の返事を待った。




