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17 つむじは、右巻きでした

 午後の再診のために王城へ来る予定だったシノンとジョルジュは、ナナリーが急いで出した連絡を受けて、少し早めに到着した。


 迎えに出たナナリーは、半日ぶりに見る自分を見下ろして驚いた。思っていたより小さい。うぐいす色の頭のてっぺんに、つむじが見える。


 自分のつむじを上から眺めるのは、生まれて初めてだった。右巻きだった。どうでもいい発見ほど、なぜか一生忘れられない気がする。


「何を見ている」


「つむじです」


「見るな」


 ナナリー姿のシノンは、昨日とは違う、踵の低い靴を履いていた。ナナリーがその足元を見ると、彼は小さく頷いた。


「すまない。勝手に借りた。こちらの方が、ずっと歩きやすかったから」


「私のお気に入りです。大切に履いてくれれば構いません」


「履いているだけで、足を傷つけられる靴よりは、大切にできそうだ」


 ジョルジュが咳払いをしたので、靴の話はそこまでにした。


 応接間へ入り、昨夜と同じように会話を遮る術をシノンが置く。


 同席したエルネットは、ジョルジュの説明を聞き、二人の顔を交互に見た。


「つまり、お身体と中にいらっしゃる方が、入れ替わったと」


「魔術による検査でも、通常ではない反応を確認しています。今は、元に戻る方法を探しているところです」


 ジョルジュの答えに、侍女長はしばらく黙った。


 ナナリーは、自分が冗談みたいな事実を受け入れるまでにかかった時間を思い出し、エルネットが納得するにも、それなりの時間がかかるだろうと腹をくくる。


 最悪、また左肩にある小さな傷を見せることになるかもしれない。しかし、着るのに苦労した服を脱ぐのも面倒だった。できれば服を脱ぐような証明は避けたい。


「では、こちらが殿下で」


 エルネットが、ナナリーになったシノンへ向き直る。


「私の後ろにございます書棚の、一番下の引き出しには、何が入っておりますか」


「子どもの頃、ヘンリエッタが持ってきた石。本人は宝石だと言っているから、捨てないでくれ」


 エルネットの口元が、ほんの少し緩んだ。


「承知いたしました」


 王子の本人確認には、兄の苺タルトより随分可愛らしい話が使われた。ナナリーはジョルジュを見る。兄は何も言わず、スッと視線を逸らした。


「ナナリー様も、昨夜からさぞお困りでしたでしょう」


 初めて今の姿で自分の名前を呼ばれ、ナナリーは肩の力が抜けた。


「はい。殿下になるのって、大変ですね」


 エルネットは深く頭を下げた。


「事情を存じ上げず、行き届かないこともございました。今後は、私から先にご説明いたします」


「こちらこそ、秘密にしていて申し訳ございません。それに、勝手なことばかり言ってしまって、ご迷惑をおかけしました」


 ナナリーもエルネット以上に深く頭を下げた。二人の頭が近づいたところで、ジョルジュがまた咳払いをする。


「ナナリー。殿下の姿で、それほど深くお辞儀をするな」


「今は、事情を知っている人しかいないでしょう」


「癖になると、外でもするだろう」


「あー、たしかに」


 ナナリーが納得すると、シノンが隣で笑った。


「俺はジョルジュに、君の家で礼儀正しくしすぎないように言われた。それと、朝食でパンを一つしか食べなかったら、母君が侍医を呼ぼうとしたぞ」


「私、朝のパンは三つが基本ですから」


「四つの日もある」


 ジョルジュが付け足した。


 それはそれで、失礼な話だった。ナナリーが抗議しようとすると、エルネットが卓上の書類へ目を向けた。


「ではこれで、本日届いたお返事も、殿下とご相談しながら進められますね」


 今からこの手紙の山と向き合うことになるらしい。シノンがさっそく一通を取り上げたので、ナナリーも中身を覗き込むように身を寄せる。


 午前中、自分が迷った返事を、彼は一つずつ確認していく。見舞いへの礼は伝えるが、訪問の約束はしない。延期する相手には、次にいつ連絡するかを知らせる。青バラの件は、ほかの見舞いの品と同じように、花と気遣いへの感謝を簡潔に述べるだけに留められた。青バラだからと特に褒めることもなく、どの家にも肩入れしない文面だった。今朝エルネットに教わったばかりの落とし穴は、あっという間に埋められていった。


 途中で、シノンの手がぴたりと止まった。


 書類の中に、ナナリーが午前中に署名の試し書きをした紙が挟まったままだったらしい。


 シノンはその紙を持ち上げ、じっと見つめた。そこには、丸みを帯びた文字で「シノン」と書かれ、最後の払いには丁寧に小さなお花マークまで描かれている。


「この署名の先についているのは、何だ」


「お花です。可愛くありたいと願った結果です」


「俺の名前に咲かせるな」


「今後は、格好いいを目指します」


「余計な配慮をするな」


「御意」


 何か言いたげな表情になったシノンだったが、すぐに次の手紙に視線を落とす。


 てきぱきと采配していく自分の姿は、賢い令嬢に見えて悪い気はしなかった。この調子で新学期も自分の代わりに試験を受けてくれたらいいのにと思う。でもすぐに、自分がシノンの代わりに試験を受ける羽目になることに気づき、ナナリーは青ざめた。


 万年最下層付近を泳ぐ深海魚のようなナナリーは、陽の光に満ちた水面近くを優雅に泳ぐシノンとは棲んでいる世界が違う。王子の姿で試験に臨み、もし最下位の点数を叩き出そうものなら、王家の威信を揺るがす大事件になってしまう。最悪の場合、王位継承権の剥奪だってありうる。


 絶対に……絶対に新学期までに元に戻らなければ!


 背筋を冷や汗が伝う。ナナリーは思わず両手を組み、天井を仰いだ。何としてでも入れ替わり事件を解決するという強い決意を、密かに固める。


「どうしたんだよ」


 シノンが手紙から目を離さずに問いかけてくる。


「いえ……殿下の頭脳に泥を塗らないよう、女神様に祈っていただけです」


「祈る暇があるなら、ちゃんと覚えておいてくれ。今後、見舞いの面会は、家族以外は全部断ること。会えば、それだけで意味が生まれてしまうから」


「え、会うだけでも、そんなに意味があるの?」


 ナナリーが尋ねると、シノンは手紙を置いた。


「誰か一人に長く時間を取れば、ほかの人は、どうしてその相手だけなのかと考える。見舞いの花を受け取っただけでも、本人は親しくなれたと思うかもしれない」


「じゃあ、ロザリー様をお通ししたのも、あまり良くなかったのか……」


「嘘だろ?」


 ナナリーの呟きを拾ったシノンが、唖然とした表情で固まった。

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