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14 王子様の朝は、命がけです

 もはや永遠の眠りを誘う寝具。つまり、これは暗殺道具の一種なのでは?


 そんな疑いを抱くほど寝心地のよい寝台で、ナナリーはすっかり眠り込んでいた。


「殿下。お目覚めのお時間でございます」


 聞き慣れない声に眠りを妨げられたナナリーは、目を閉じたまま掛け布団を肩まで引き上げた。


「今日は、療養中なので」


「はい。本日はいつもより一時間、遅くお声がけしております」


 一時間も余分に寝ていたというのに、身体にはまだ寝る余地があった。昨夜あれだけ食べられたのだから、睡眠も多めに入る仕様なのかもしれない。いや、雲みたいにふわふわな枕のせいかもしれない。


「殿下、お目覚めのお時間です」


 寝台の傍で待つロランは、追加の睡眠を用意してくれる様子がない。


「朝のお支度の後、侍医の先生がいらっしゃいます。それから、ご朝食を」


 朝食という言葉に、ナナリーは片目を開けた。


「何が出るの?」


「お身体を考え、消化のよいものをと伺っております」


 その説明には魅力を感じない。このふんわり枕から離れる決定打には程遠かった。


「トーストしたパンは?」


「ございます」


「卵は?」


「お好みでしたら」


「フルーツ盛り合わせは?」


「必要とあらばご用意いたします」


「じゃあ、起きます」


 ロランが、ぱっと顔を輝かせた。それから懐から小さな手帳を取り出し、何かを素早く書きつける。ちらりと見えたページには、丁寧な字で「殿下の起こし方。卵、フルーツ」と記されていた。


「それ、何?」


「エルネット様から、殿下のお好みは全て記録するよう申しつかっております」


 王子を寝台から引き離す方法として、今後、フルーツを活用されては困る。シノン本人が好きかどうか知らないのに、この調子だと彼が戻った時、毎朝「フルーツも?」と囁かれる生活が始まりそうだった。


 それはまずいと思ったナナリーは、急いで付け足す。


「今日だけだから。卵とかフルーツが食べたいのは、落雷の影響だから」


「はい。『落雷の影響』と」


 書き足された。これでは、フルーツを食べたがる王子の記録に、原因が添えられただけだ。


 その後、ぬるま湯で顔を洗い、化粧水をつけた。これで完璧だと思ったのに、ロランから遠慮がちに、髭を剃ると告げられてしまった。


 どうやら男性には、髭が生えてくるものらしい。たとえ輝く金髪を持つ麗しい王子様であっても、例外ではないという事実に、なぜかショックを受ける。


「ロラン。君を信じていいんだよね?」


「ご安心ください。手早く済ませます」


 言葉とは裏腹に、こちらの口元を見つめる顔が真剣すぎて、不安になってくる。


「ロラン、君はこういうことに慣れているんだよね?」


「お城で殿下のお世話をするのは、まだ。先週、あがったばかりですので」


 刃物を喉元に当てられる恐怖に固まりながら、ナナリーは目の前の従者を凝視した。


 よく見れば、ぴしりと整えられた制服の袖口から覗く手首はまだ細く、真剣そのものの丸顔には、どこか幼さが残っている。


「ロラン、失礼だけど、お幾つだったっけ?」


「十四歳にございます! 殿下のお側仕えとして精一杯励むよう、父から言われてまいりました!」


 胸を張って答えるロランは、眩しいほどに張り切っていた。けれど、これから刃物を預ける側としては、その初々しさが少々心許なく映る。十四歳といえば、学院の初等科を卒業したばかりの年だ。そんな子に、今まさに自分の、正確には王子の首元へ、鋭利な刃を当ててもらおうとしている。


「ロラン。君の情熱と忠誠心は、大変素晴らしいと思う」


 ナナリーは声を震わせないよう気をつけながら、慎重に言葉を選んだ。


「だが、今日は落雷の影響で……そう、皮膚がたいへん繊細になっている気がするんだ」


「では、蒸しタオルをもう一本、用意いたします!」


「そういう問題じゃなくてね?」


 健気な十四歳の瞳を見つめ返しながら、内心で悲鳴を上げた。男の子というのは、朝からこんなに命がけの思いをしているのだろうか。


 恐怖に身を固くしながらも、髭剃りは無事に終わった。もう一度、化粧水と乳液で顔を整えてから、ナナリーは用意された服へ目を向ける。


「着替えは僕一人で平気だから」


「ですが、今日のお召し物は、少々お手伝いが必要かと」


「僕を誰だと思っているのかな?」


 笑顔で全てを誤魔化し、ロランを衝立の向こうへ追い出したまではよかった。


 三分後、ナナリーは複雑怪奇な王族の服ともつれ合い、半泣きになっていた。


「何なの、これ。どこを通すの? なんで紐がこんなところから生えてるわけ?」


 妙に数の多いボタンに、背中の留め具。どれも、一人で着ることを考えて用意されたとは思えない。結局、片袖を通したまま、情けない声で「ロラン、ちょっと」と助けを求めるはめになった。


 ようやく服を着替え、これで朝食だと思ったのに、次は侍医の診察だった。


「殿下、静養中でありながら、なおも思考を巡らせておられるのですね。その目元に宿る憂いの影は、まさに王家の義務を果たさんとする苦悩の表れ。ですがどうかこれ以上、お心を痛められますな」


 ナナリーの場合、目の下に影ができたら母に早く寝るよう言われる。シノンの場合は、それすら何か悩みを抱えているように見えるらしい。顔立ちの差というものは、疲労の扱いにまで影響するようだ。


 やたら心配してくれた侍医の診察を終え、朝食のテーブルへ着いた頃には、すっかり目が覚めていた。温かいパンと卵料理、野菜のスープにフルーツ盛り合わせが並び、窓の向こうには雨に洗われた庭が見える。


 昨日の雷が嘘のような晴天だった。自分の姿まで元に戻っていれば申し分のない朝なのに、パンへ伸ばした手は相変わらず大きい。


 そして、胃袋のサイズも大きかった。もちろんそれは大歓迎なことだった。


 本来ジョルジュの言う通り食いしん坊なナナリーではあったが、食は細い方だった。食べたい気持ちはあるのに、すぐお腹が膨れてしまう。とは言え、朝食のパンは三つはいける口だった。


 だが今日は三つとは言わず、いくらでも入りそうだった。


 二つ目のパンを食べ終えて籠が空になったので、ナナリーは何気なく籠を給仕へ差し出した。


「もう少し、いただけますか」


 給仕が籠を受け取ったまま、動かなくなった。やがて一礼して部屋を出ていくと、扉の向こうから、ひそひそ声が漏れ聞こえてきた。


「殿下が、おかわりを」


「パンを? 三つ目の?」


「落雷の影響だ……」


「料理長に伝えろ。昼から量を増やすように」


 昨夜、シノンが心配していたことが、早くも現実になりつつあった。ナナリーは届いた三つ目のパンを、せめて音を立てないように、静かに食べることにした。


 気まずい思いを抱えていても王城で出されるパンは熱々で、外はサクッと香ばしく、中は驚くほどもちもちだった。一口噛みしめれば、芳醇なバターの香りが口いっぱいに広がる。美味しいものに罪はないと思うと、ナナリーの罪悪感はあっさり霧散した。

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