13 非常食です、食いしん坊ではありません
ジョルジュは瓶を脇へ寄せ、今度は二人の予定を尋ねた。
「殿下、明日は何がございますか」
「午前に家庭教師の講義が一つ。午後は魔術師団の報告を聞く予定がある。明後日は王妃のお茶会だ」
学院は新学期まで、まだ少し休みがあった。ナナリーはそれを心の支えにしていたのだが、王子には休暇中も別の勉強があるらしい。
「お休みなのに、講義?」
「学院の講義とは別だ」
「別のお勉強まで用意されているのですか」
ナナリーはカップを置いた。学校が休みになったら学校とは違う勉強をするなど、休暇の意味を根本から考え直したくなる。
「魔術師団の報告は、聞いているだけで大丈夫?」
「意見を求められることはある」
「お茶会は?」
「話しかけられる」
今すぐ元に戻してほしくなった。食事がいくらでも入る身体は魅力的だったが、それ以外の予定が、想像以上に重い。
「まずは落雷の影響で療養中として、明日の予定を減らしましょう。侍医も安静を勧めていますから、その指示に従うだけです。お茶会については、明日の具合を見て、改めてご相談する形に」
ジョルジュがまとめて、ナナリーは深く頷いた。
「安静にします。とても大人しくしています」
「そこだけ返事が早いな」
兄の指摘は聞こえなかったことにした。今回は勉強から逃げているのではなく、侍医の指示に従っている。正当な休養である。
「俺もこの格好で夜会に参加するのは遠慮したい」
苦い顔でドレスの襟元を気にしながら、シノンが続けた。
「それに、ナナリー嬢のことはあまり知らない。家族に何か聞かれても、俺が全部彼女らしく答えられるとは思えない」
「僕から両親へ伝えます。妹も療養中ということで。学院はまだ休暇中ですから、新学期までの間に、せめて外での振る舞いは整えたいですね」
「新学期に、このまま学院へ?」
ナナリーが尋ねると、二人ともこちらを見た。
誰も大丈夫だとは言ってくれない。休暇があと少ししか残っていないことが、急に頼りなく思えてきた。
「その前に戻す方法を探す。戻れなかった時のことも、同時に考える」
シノンの答えに頷き、ナナリーは家族のことを確認した。
「お父様とお母様には、入れ替わったことも話すの?」
「まだ言わない」
兄の返事は速かった。
「どうして?」
「母上に話したら、明日には誰かに相談してる。娘が婚活真っ只中の王子殿下と入れ替わったんだぞ。黙って一人で考えていられると思うか」
母は日頃から、まだ正式には決まっていない縁談まで、実によく知っている。娘を心配し、信頼できる人へ相談する姿も簡単に思い浮かんだ。
母が信頼する人にも、きっと信頼する相談相手がいる。その人にも親しい友人くらいいるだろう。全員が内緒にしてねと言いながら、社交界中に伝わる可能性があった。
「私の成績の噂より早く、社交界へ広まりそうね」
「そういうことだ。殿下が普段どおりに振る舞えないと知られるのもまずい。父上とヴィクトール兄上にも、今は療養中とだけ説明する」
「でも、私、普段どおりの殿下にはなれないと思う」
「だから予定を減らすんだ」
ジョルジュは言い聞かせるように答え、シノンへ向き直った。
「殿下が妹として屋敷へ戻られる時は、できるだけ僕が傍にいます。家のことは、その都度お伝えしますので」
「頼む。彼女の部屋の場所も分からないから」
「それはご心配なく。屋敷の中で、隠し込んだお菓子の甘い香りが漏れ出している部屋ですから、匂いを辿れば難なく行き着けます」
「お兄様」
「冗談だ」
この状況で、どこまでが冗談か分からない説明をしないでほしい。ナナリーは兄を睨む。ジョルジュは王子の顔に睨まれて、少し姿勢を正した。
そういうところだけ丁寧になられても、困る。
「私も、できる限り家のことはお知らせしておくわ。お兄様は、くれぐれも殿下に変なことを教えないでね」
食べかけのスコーンに手を伸ばしながら念を押しておく。
「それから、部屋の中にお菓子を隠していたとしても、食いしん坊なわけじゃないから。緊急時に備えているだけだから、お間違いのないように」
兄の視線が、ティースタンドへ向いた。シノンまで同じところを見る。
ナナリーは残ったスコーンへ伸ばしかけた手を、そっと膝に戻した。
まるで「食いしん坊」の証拠を押さえられたような空気になっているが、これは違う。今夜は色々あってお腹が空いていただけだ。部屋のお菓子だって、あくまで非常食である。
少なくとも、ナナリー本人はそのつもりだった。
「食卓では、どう振る舞えばいい?」
シノンが真面目な顔で尋ねてきた。ジョルジュが答える。
「普通に食べていただいて構いません。ただ、いつもより大人しいと、母が具合を心配するかもしれませんね」
「普段は、どれくらい喋る」
「料理によります」
「お兄様、それはどういう意味?」
「好物の日はよく喋る。苦手なものが出た日は、別の意味でよく喋る」
「つまり、よく喋るということか」
シノンが、覚えておこうという顔で頷いた。
ナナリーは両手をテーブルへ置いた。そこは覚えなくていい。何より、自分が少しも黙らない人間として紹介されているのが納得できなかった。
「私だって、食べている間は黙っているわ」
「さっきスコーンを食べながら、かなり話していたが」
シノンから指摘され、ナナリーは何も言えなくなる。今夜の自分は、今後の参考にしないでほしいと、改めてお願いする必要がありそうだった。
ジョルジュは立ち上がり、扉へ向かった。
「まず、今夜は二人とも休んでください。殿下の予定については、侍医の先生と係に相談してきます。ナナリー、お前もこれ以上、殿下の身体で妙なことをするな」
「してないし」
シノンが何か言いたそうにこちらを見た。ナナリーは、今は事情を共有する仲間なのだから、そこは黙っていてほしいという気持ちを込めて見返した。
「それと、父上と母上には言うな。特に母上には」
念を押して、ジョルジュが扉を開けた。廊下へ出ると、すぐによそ行きの声になる。
「殿下も妹も、まだ落雷の影響でお疲れのようです。明日のご予定について、侍医の先生へ相談させていただけますか」
扉が閉まり、ナナリーはソファーへ背を預けた。
兄に知られるのは怖かったが、家族への説明と明日の予定を引き受けてもらえたことで、ようやく一息つける。向かいのシノンも、紅茶を飲んで肩の力を抜いていた。
「君の兄は、頼りになるな」
「そうですね。ただ、私について教わる時は、半分くらいに受け取ってください」
「どの半分だ?」
「お菓子と食卓の辺りです」
シノンが残ったスコーンを見た。
ナナリーもつられて見てしまい、慌てて顔を戻す。だが、もう遅かった。彼は皿を少しこちらへ寄せた。
「食べていい。俺はもう十分だ」
「そういうところから、兄の説明が正しかったと思われるのが困るのですけど」
言い返しながら、ナナリーは皿を受け取った。
残してしまうのはもったいない。今夜は王子の身体を借りているのだから、食べきれそうな量を無理なく食べるのも、この身体を大切に扱う一環である。
向かいのシノンが何か言う前に、ナナリーはスコーンを割り、控えめなつもりでクリームを載せた。明日の朝までには、ジョルジュへ自分の取り扱いについて、いくつか訂正しておかなければならなかった。




