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12 お兄様の説教が、迷子です

 ジョルジュがナナリーの前に膝をついた。


「どこか、痛むところはないか」


「額。さっき扉にぶつけたの」


「そこは落雷と関係ないだろ。胸が苦しいとか、息がしづらいとかは」


「もう大丈夫。お腹は空いてたけど、少し食べたから」


 兄の視線が、料理の減ったティースタンドへ向いた。


「少し?」


「殿下の身体での、少し」


 ジョルジュは何か言いかけたが、シノンの方へ向き直った。


「殿下も、何か不調はございませんか」


「足が痛い。靴は脱いでもいいだろうか」


「もちろんです。どうぞ、ご無理をなさらず」


 ナナリーは口を開きかけた。


 自分が同じことを口にしたら、「もう少し我慢しなさい」と説教されるに決まっている。痛んでいる足はまったく同じ「ナナリーの足」だというのに、中身がシノンになっただけでこの手厚い神対応。なんとも解せない話である。


 微妙な表情になったナナリーを前に、シノンは靴を脱ぎ、ほっとした顔になった。ジョルジュもようやく空いているソファーへ座り、事故の経緯を聞き始める。


「それで、一体何があったんだ」


 ナナリーは瓶を拾ったことから説明した。蓋を開けたところは、少し早口で通り過ぎようとしたが、兄はそこだけ聞き直してきた。


「拾ったものを、勝手に開けたんだな?」


「少しだけ香りを」


「嗅いだんだな?」


「お兄様、同じ話を二度すると、二度叱られた気持ちになるわ」


「まだ一度も叱ってない」


 十分に叱られている気がしたが、兄の中では、これは確認の段階らしい。ナナリーは覚悟を決めて、庭へ逃げた理由と、シノンに助けを求めたことを話した。


 口づけの説明を飛ばそうとしたら、即座に指摘された。


「媚薬を嗅いだお前がどうして正気に戻れたんだ」


「それは……その、王家の秘術的な何かが働いたみたい」


 苦し紛れに嘘をでっち上げてみたが、兄の冷ややかな視線が「嘘をついたら承知しない」と語っていた。


「殿下が解毒の魔術をお使いになったのか?」


 ジョルジュの助け舟に乗りかけた瞬間、向かいの自分が淡々と口を開いた。


「解毒のために、要するに、彼女に口づけをした」


 シノンが事実をあっさりと口にすると、応接間に静寂が訪れた。ジョルジュは額に手を当て、妹の顔をした王子と、王子の顔をした妹を順番に見比べた後、この日一番の低い声を漏らした。


「……なるほど」


 ナナリーは、もはや余計なことは何も言うまいと、紅茶のカップを見つめて待った。カップの金の縁取りをこんなに熱心に観察したのは、生まれて初めてだった。


 それから、なんとか気力を回復させ、黒い翼と声、落雷、光る球の話まで終えると、ジョルジュはハンカチに包まれた瓶を見た。


「これは蓋を開けずに鑑定へ回します。ロザリー嬢のものかどうかは、別に確認する必要があるでしょう。結界の残留魔力も、僕の方で調べられる範囲を確認します」


「助かる」


 シノンの言葉にジョルジュは頷き、ナナリーに改めて向き直った。


「それで、お前はどうして拾った瓶を開け……殿下に申し上げているわけではなく、中にいらっしゃる妹に対してなのですが」


「分かってる。どうぞお続けになって、お兄様」


「なんで拾ったものを開けたんだよ。何が入っているかも分からないものを、いきなり嗅ぐな」


「はい」


「しかも、周りに人がいたのに、一人で庭へ走って。まず誰かに事情を話せば……いえ、殿下を頼ったこと自体は、間違いではございませんが」


「お兄様、今、誰に話しているの?」


 ジョルジュが黙った。ナナリーは膝へ目を落とし、笑わないように唇を結ぶ。


 兄の説教が、敬語と普段の口調の間で迷子になっていた。怒って顔を上げると王子がいて、礼儀を思い出す。妹だと思って話を続けると、また王子の顔が気になるらしい。


「殿下、大変申し訳ありません。妹には、少々言っておかなければならないことが」


「続けていい。自分の顔に向かって説教をする人を見るのは、俺も初めての経験で、実に興味深いから」


 シノンはそう言い、裸足のままソファーに座り直した。


 許可を得た兄は、もう一度こちらを向いた。しかし、途中から混乱を防ぐ打開策を発見したらしく、視線をナナリーの襟元へ固定した。


「好奇心があるのはいい。でも、危ないかもしれないものを確かめる時には、先に安全なやり方を考えろ。分からなければ聞けばいい。僕でも、学院の先生でも、誰かには聞けるだろ」


「はい」


「事故になって、お前も殿下も、目を覚まさなかったらどうするつもりだったんだ」


 ナナリーは顔を上げた。


 兄の髪には、まだ湿ったところがある。きっと二人が倒れたと知らされてから、整える余裕もなかったのだろう。


 庭で自分を探していた兄のことを思うと、さっきまで面白がっていたのが、少し申し訳なくなった。


「ごめんなさい。心配をかけました」


 ジョルジュは口を閉じ、短く息を吐いた。


「無事ならいい。二人とも目を覚ましたんだから、あとは戻す方法を考える」


 ようやく、いつもの兄の声になった。神妙な顔でナナリーが頷くと、ジョルジュはその顔を見て、また少し困った表情になる。


「ただ、その顔で素直に謝るのは、やめてくれ。叱っている僕の方が悪いことをした気になる」


「謝らなければ、それはそれで叱るじゃない」


「だから困ってるんだよ」


 ナナリーは紅茶を飲んだ。兄への説教対策としては、大変有効な顔を得てしまったらしい。


 ただし元の身体へ戻った後、まとめて叱り直される可能性があるので、使いどころは慎重に考えた方がよさそうだった。

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