『剣と魔法』2
リディアも、何度も挑戦した。やがてリディアの手の平から、ほんのかすかな風が生まれて、足もとの葉っぱが一枚ぴくりと動いた。
「今の見た!?」
「見た! 動いた!」
「動いたよね!?」
葉っぱ一枚に二人でぴょんぴょん跳ねて大騒ぎする。
何か特別なことをしているわけじゃない。ただできるようになったことを、試しているだけ。
それなのにどうしてこんなに楽しいんだろう。
「じゃあ僕はもっと大きくしてみる!」
「頑張って!」
「見てて!」
何度も魔力を使った。何度も魔法を出した。そのたびにリディアが笑ってくれて僕も笑った。
大樹の影がいつのまにか短くなっていた。時間が経つのも忘れていた。
だから。
「……あれ?」
足元が揺れた。
地面が波打ったみたいに。
「イルヴァ?」
身体に力が入らない。膝の糸がぷつりと切れたようだった。
「……なんか、変だ」
視界の端から色が滲んでいく。木の緑が溶けて空の青と混ざっていく。耳の奥で、ざあ、と砂が落ちるような音がした。
「イルヴァ!」
リディアの声が、水の底から聞こえるみたいに遠のいていく。
空が、傾いた。
「わっ……」
地面に倒れる――と思ったところで、腕を掴まれた。強い手だった。ぐいっと引き戻される。
「大丈夫!?」
「……うん」
大丈夫。そう言おうとしたのに、身体が鉛みたいに重い。手も足も力の入れ方を忘れてしまったみたいだった。
「……疲れたみたい」
そう言うとリディアは驚いた顔をして、それから少しだけ笑った。
「魔法って、結構疲れるんだね」
「……そうみたい」
「私、初めて使ったから知らなかった」
「僕も……」
昨日、お姉さんが「そのくらいにしておきな」と言った意味が、ようやく分かった気がした。魔力はまだまだ胸の奥に感じる。でも身体が言うことを聞かない。
魔法を使えるのが嬉しくて、夢中になって、身体がこんなに疲れるなんて、考えてもいなかった。
「じゃあ、休もっか」
「うん……」
リディアに支えられて大樹の下まで戻る。
大きな木陰は、昼なのにひんやりしていた。土と草の匂いがゆっくり肺に入ってくる。幹に背中を預けて座ると、それだけでずいぶん楽になった。
「……気持ちいい」
「疲れたね」
「うん」
目を閉じる。風が吹いて、葉っぱが揺れた。さらさらという音が、頭の上から降ってくる。
暫くすると。
「イルヴァ」
「ん?」
「横になったら?」
「うん」
「ほら、ここで」
リディアはそう言って、自分の太腿をぽんぽんと叩いた。
「ここ」
「……?」
「膝枕っていうらしいよ」
「ひざまくら?」
「うん」
「なんで?」
僕が聞くとリディアは少し考えてから答えた。
「前に、父さんが、母さんにしてもらってたから」
「おじさんが?」
「うん。疲れたときにしてもらうと、疲れが吹き飛ぶんだって」
「へえ……」
そういうものなんだろうか。
僕にはよく分からない。
「じゃあ、やってみる?」
「……うん」
言われるままそっと頭を預ける。
「どう?」
「……分からない」
「まだ?」
「うん」
暫くの間、風の音だけがあった。
「……でも」
「でも?」
「なんか、気持ちいい」
「でしょ?」
リディアが、小さく笑った。
僕は目を閉じる。柔らかい。日向の匂いがする。
さっきまで鉛みたいだった身体から少しずつ、少しずつ、力が解けていった。
葉の間から光が落ちてくる。瞼の裏が明るくなったり、暗くなったり。木漏れ日が風に合わせて揺れているのだと、目を閉じていても分かった。
「……本当に疲れがなくなるかも」
「よかった」
リディアの手が僕の髪に触れた。
ゆっくりと、撫でられる。
「……何してるの?」
「母さんがやってたから」
「そうなんだ」
よく分からない。
けれど嫌じゃなかった。むしろ、すごく落ち着く。
胸の真ん中に温かい水がゆっくり満ちていくみたいだった。遠くで村の方から、犬の吠える声が聞こえた。草の匂い。虫の声。髪を撫でる、小さな手。
「ねえ、リディア」
「なに?」
「魔法って、楽しいね」
「うん」
「もっと色々できるようになりたい」
「じゃあ、練習しないとね」
「うん」
僕は、目を閉じたまま答えた。
「強くなりたいんだ」
「……うん」
「もっと魔法が上手くなって、もっと強くなって……」
少しだけ間を置いた。
「リディアを守れるくらい」
髪に触れていた手が、ふっと止まった。
風の音だけが、頭の上を通り過ぎていく。
「……私を?」
いつもより、ほんの少しだけ声が小さかった気がした。
「うん」
「どうして?」
「だって、いつもリディアのほうが強いから」
「それは……」
リディアが少し笑う。
「イルヴァが弱いだけじゃない?」
「ひどい」
「ふふ」
僕も笑った。
でも本当のことだった。今の僕は弱い。今日、魔法で一回勝ったくらいで、それは変わらない。剣を持てば僕はきっとまた、リディアに負ける。
それでも。
「でも、いつか追いつくから」
「じゃあ、待ってる」
「絶対だからね」
「うん」
リディアの声はいつも通りに戻っていた。
静かで。迷いがなくて。止まっていた手が、またゆっくりと僕の髪を撫で始める。
「私も強くなる」
「剣で?」
「うん」
「じゃあ僕は魔法」
「競争だね」
「負けないよ」
「私も負けない」
目を開けると、逆さまになったリディアの顔が見えた。僕たちは顔を見合わせて、声を出さずに笑った。
大樹の葉が風に揺れている。木漏れ日が僕たちの上で、きらきらと揺れている。
昨日までの僕には、魔法なんてなかった。
今日の僕には魔法がある。リディアにもいつか魔法が使えるようになるかもしれない。
僕たちは、それぞれ違う道で強くなっていく。
剣と魔法。どっちが強いかなんてまだ分からない。
でもいつかもっと強くなって。そうして二人で、ずっと一緒にいられたら。それでいい。
髪を撫でる手の温度と、葉ずれの音がだんだん遠くなっていく。空の続きを思い描きながら、僕はいつの間にか眠っていた。




