『三年間』5
ある日、僕はリディアの訓練を少しだけ見ることになった。
その日はガルドさんが、僕にも簡単な接近戦を教えてくれる日だった。僕が森沿いの空き地に着いた時、リディアは丁度ガルドさんと向き合っているところだった。
「肩に力が入りすぎだ」
「はい!」
「足を見ろ。剣だけ見るな!」
「はい!」
「返事はいいな!」
ガルドさんが笑う。
「なら動け!」
リディアが走る。
木剣がぶつかる、乾いた音。
ガルドさんは、殆ど動いていなかった。足を肩幅に開いたまま、腕の小さな動きだけでリディアの剣をあしらうみたいに受けている。
それなのにリディアは、何度やっても届かない。
踏み込んだ足を、気づけば払われている。横から回り込もうとすると、その先に、もうガルドさんの剣がある。リディアの身体が、ごろりと土の上を転がった。
「もう一回!」
「はい!」
立ち上がって、また走る。額から落ちた汗が、土の上に黒い点を作っていた。
夜に聞いた「何回も倒された」は、こういうことなんだと思った。想像していたよりも、ずっと容赦がなくてずっと真剣だった。
「次はイルヴァだな」
「はい!」
ガルドさんがリディアの木剣を受け取って僕の方を向く。
「魔法師は剣士みたいに戦う必要はねぇ」
ガルドさんが言う。
「だがな」
軽く、押された。
押された、と思った次の瞬間には空が見えていた。背中が地面に当たって、息が、ぐっと詰まる。耳の奥で、どん、と鈍い音が鳴った。
何が起きたのか分からなかった。
「近づかれたら死ぬ、じゃ話にならねぇ」
僕は咳き込みながら立ち上がる。
もしガルドさんが魔物だったら。魔法を使う前に、距離を詰められていたら。……僕は術式の最初の一本の線も描けないまま、地面に転がっている。
あの日の影が背中の当たりを、冷たく撫でた気がした。
「魔法を使うための時間を作れ」
「はい」
「逃げてもいい」
「え?」
思わず、顔を上げた。
「逃げるのは負けじゃねぇ」
ガルドさんは、真剣な顔をしていた。
「生きてりゃ、また戦える」
その言葉は、妙に印象に残った。
あの日、僕は魔物の影の下で一度も「逃げる」ことを考えなかった。守りたいと思っただけで、頭が真っ白になって足が動かなかった。
逃げてもいい。生きてりゃ、また戦える。
その言葉を僕は胸の奥の、あまり人に見せない場所へそっと仕舞った。
*
それから僕たちの訓練は、少しずつ変わっていった。
セレナさんとの訓練は、魔法の基礎から始まって少しずつ広がっていった。
魔力を感じること。魔力を動かすこと。術式を組むこと。そこから属性を変換して形を作ること。
「同じ魔力でも、変換の仕方を変えれば、水にも火にも風にも土にもなる」
セレナさんが空中に術式を描く。淡い光の線が重なり合って、複雑な図形を作っていく。
「じゃあ、全部同じ魔力なんですか?」
「そう。ただし、扱い方は同じではないわ」
「難しいですね」
「だから面白いのよ」
そう言ってセレナさんは、少しだけ笑った。
火は、広がりたがる。手の平の上で小さな炎が少しでも魔力を注ぐと、じりじりと膨らんで熱が顔に迫る。抑えつける指に、力が要った。
水は、形を保つのが難しい。冷たい塊が、掌の上でずっと逃げ出そうとしている。
風は、見えない。肌を撫でる感覚と、草の揺れだけが頼りだった。
土は、重かった。地面の下で、ぐう、と何かが動く手応えがあって指先から身体の芯まで、ずしりと重みが伝わってくる。
僕は何度も術式を真似した。線を一本間違える。術式が消える。もう一度。また失敗する。それでも繰り返した。
魔法は力が多ければ使えるものじゃない。必要な場所へ、必要なだけ魔力を流す。必要な形に変えて、必要な時間だけ維持する。
そんな当たり前のことを、僕は少しずつ覚えていった。




