『ラーディア王国騎士団』4
三人が村に来てから数日が過ぎた。
セレナさんとロベックさんは、毎朝早くに村を出ていった。何をしているのかは、僕たちには分からない。森の方へ向かう日もあれば、別の道へ歩いていく日もあった。帰ってくるのは夕方頃。二人共、何かを低い声で話しながら宿へ入っていく。その内容までは僕には聞こえなかった。
一方でガルドさんは、村に残っていることが多かった。
そしてなぜか、復興作業まで手伝っていた。
「そこ、持ち上げるぞ!」
「おう!」
壊れた家の柱を運んだり、木材を切ったり。重いものを運ぶときには、村の男たちに混じって汗を流している。鎧は脱いで袖をまくり上げて。腕にはいくつも古い傷跡が走っていた。
「騎士様に、そんなことまでさせていいんですか?」
村人が申し訳なさそうに尋ねると、
「別に構わねぇよ。俺は暇なんだからな」
ガルドさんは、笑っていた。
そんな調子だから村の子どもたちとも、すぐに仲良くなった。
「おじさん、これ持てる?」
「余裕だ」
子どもが持ってきた薪の束を、ガルドさんは片手で軽々と持ち上げる。
「すげー!」
「だろ?」
「じゃあ、これ!」
「おいおい、調子に乗るな」
そんなやり取りをしているうちに、いつの間にか子どもたちがガルドさんの周りに集まるようになっていた。
最初は怖そうな人だと思っていた。でもこうして見ていると、意外と話しやすい人なのかもしれない。
僕とリディアも、何度かガルドさんと目が合うようになった。でもまだ、特別に話しかけたりはしなかった。
僕たちには、僕たちの日常があったからだ。朝は、家の手伝いをする。昼を過ぎれば、大樹へ向かう。そこでリディアは剣を振って、僕は魔法を練習する。
そんな日々を、僕たちは繰り返していた。
そして――その何日目かのことだった。
*
その日も僕たちはいつものように、大樹の下へ向かった。
リディアは木剣を持ち、僕は少し離れた場所に立つ。
「準備できた?」
「うん」
「じゃあ、始めよう」
「いつでもいいよ」
魔力を集める。術式を組む。
この数日で水の塊を作る時間は、ずいぶん短くなった。手の平の前に、水の塊が、ぽん、と生まれる。
リディアの足運びも、前よりずっと軽かった。水が飛ぶより早く、身体が動き出す。
一発。二発。三発。避ける。受ける。跳ぶ。
僕はリディアの癖を、少しずつ覚えてきていた。右へ避けたあとは、必ず左足で地面を蹴る。木剣で受けたあとは一瞬、剣先が下がる。その隙へ、次の弾を滑り込ませる。
けれどリディアも、同じように僕を見ていた。腕を振る前の肩の動き。目線の先。
最後の一発が、リディアの肩で弾けた。
水が散る。
リディアは濡れた肩を見て、悔しそうに顔を顰めた。
「……今のは避けられた」
「そうだな」
突然、声が聞こえた。
「え?」
僕たちは、同時に振り返った。
そこに立っていたのは、ガルドさんだった。
腕を組んでいつから見ていたのか分からないけれど、僕たちをじっと見ている。
「今のは避けられた」
ガルドさんは、リディアを見る。
「身体はちゃんと動いてる。反応も悪くねぇ。だが、避けることに集中しすぎて、次の攻撃を見てねぇな」
「……」
リディアが、黙る。
「それと――」
ガルドさんは、今度は僕を見る。
「僕?」
「魔法のことは詳しくねぇから、細かいところまでは分からん。だが、お前は魔法に頼りすぎだ」
僕は、首を傾げた。
「撃つことに集中して、足が止まってる」
僕は自分の足を見る。確かに、さっきからほとんど動いていなかった。足の裏が地面に張りついたみたいに、同じ場所にある。
「それに、攻撃することばかり考えてる。もし相手が今みたいに避けるだけじゃなくて、お前に向かって走ってきたらどうする?」
「……えっと」
答えられない。
頭の中に黄色い目が浮かんだ。近づかれて影が覆いかぶさってきた、あの瞬間。
ガルドさんは少し笑った。
「だろ?」
そして僕たち二人を見回した。
「でも、悪くはねぇ」
「……悪くない?」
「ああ。少なくとも、お前らがただ遊んでるわけじゃねぇってのは分かった」
ガルドさんの目が、少しだけ真剣になる。
「ちゃんと相手を見て、自分で考えて、何度もやり直してる」
僕はリディアを見る。リディアも僕を見る。
「いつもこんなことしてんのか?」
「毎日です」
僕が答えた。
「毎日?」
「はい」
ガルドさんが、少し驚いた顔をした。
「何のために?」
僕とリディアは、顔を見合わせた。
僕が答えるより先に、リディアが口を開いた。
「強くなりたいからです」
「なんで強くなりたい?」
リディアは少しだけ黙った。
木剣を握り直す。
「……守りたい人がいるから」
ガルドさんの目が、わずかに細くなる。
「誰を?」
「……」
リディアは僕を見た。
「イルヴァを」
「え?」
思わず声が出た。
「ちょっと、リディア……」
「だって本当でしょ」
「それは……そうだけど」
耳のあたりが熱くなった。嬉しいのと恥ずかしいのが、一緒くたになってうまく顔の置き場所が分からない。
ガルドさんが笑った。
「なるほどな」
それから僕を見る。
「お前は?」
「僕も……」
僕はリディアを見る。
「リディアを守りたいです」
ガルドさんは、しばらく何も言わなかった。
やがて僕たちが使っていた木剣と、地面に残った魔法の跡を見る。濡れた草。弾けた水の跡。土に刻まれた足の跡。
「本気なんだな」
「はい」
二人で答えた。
ガルドさんは、少しだけ考えた。
「なら、一つ聞く」
「はい」
「強くなるってのは、剣を上手く振ることか?」
リディアが首を傾げる。
「……違うんですか?」
「それだけじゃねぇ」
ガルドさんは自分の胸を軽く叩いた。
「相手に勝つことだけが強さじゃない。攻撃を受けない。逃げる。隠れる。相手の動きを読む。生き残る」
僕は黙って聞いていた。
「魔物と戦うなら、なおさらだ」
ガルドさんは僕を見る。
「お前は魔法を使うんだろ?」
「はい」
「なら、近づかれたらどうする?」
「……魔法で攻撃します」
「近すぎて、術式を組む暇がなかったら?」
「……」
答えられなかった。
「そのとき、お前は死ぬ」
言葉は厳しかった。
でも怖がらせるために言っているわけじゃないことは分かった。
「魔法使いが剣士みたいに戦う必要はねぇ。だが、自分の身を守る方法くらいは知っておいた方がいい」
今度はリディアを見る。
「お前も同じだ」
「私も?」
「ああ。剣が上手くても、相手が自分より速かったらどうする?」
「……」
「力で勝てない相手だったら?」
リディアは黙って考え込んだ。
ガルドさんはそんなリディアを見て、少しだけ笑った。
「だから、強くなりたいってんなら、ただ剣を振ってりゃいいってわけじゃねぇ」
そして腰の剣に手を添えた。
「俺に教えられることなら、教えてやる」
「……え?」
僕とリディアが同時に顔を上げる。
「本当に?」
「ああ」
ガルドさんは頷いた。
「ただし、楽じゃねぇぞ」
リディアの目が輝いた。
「お願いします!」
「返事が早ぇな」
ガルドさんが豪快に笑う。
「イルヴァ、お前もか?」
「はい!」
僕も頷いた。
するとガルドさんは僕の肩を軽く叩いた。
「よし。じゃあ明日からだ」
「明日から?」
「嫌なら今からでもいいぞ」
「やります!」
「ははっ。元気だな」
ガルドさんは笑った。
そして僕たちを見ながら、少しだけ真剣な顔になる。
「ただ、覚えとけ」
「はい」
風が止んだ気がした。
大樹の葉の音も、遠くの槌の音も、どこかへ引いていく。聞こえるのは自分の心臓の音と、ガルドさんの低い声だけ。
「強くなるってのは、強い奴になることじゃねぇ」
僕たちは黙って聞いた。
濡れた草の匂いと午後の光の中で、リディアが木剣の柄をぎゅっと握るのが見えた。
「――生きて帰れる奴になることだ」
その言葉は暫くの間、僕たちの上に静かに留まっていた。
その言葉の意味を。その時の僕はまだ深く考えていなかった。
ただ。あの日、黄色い目の前で何もできなかった僕たちがもし「生きて帰れる」ようになれるのなら。
明日からもっと強くなれる。
そのことが少し嬉しかった。
この日から僕たちの訓練には、新しい先生が加わることになった。




