『ラーディア王国騎士団』3
それから更に時間が経った。
村は少しずつ、元の姿を取り戻しつつあった。
壊れた家は建て直され、焼け落ちた場所には新しい木材が運び込まれる。完全に元通りになるには、まだ時間がかかる。それでも人は生きていかなければならない。
朝になれば、畑へ出る。昼になれば、仕事をする。夜になれば、家へ帰る。
朝の霧。昼の槌の音。夕方の煙。夜の灯り。日々は同じ形を繰り返しながら、少しずつ前へ進んでいった。
そんなある日の昼過ぎ。
「馬車だ!」
村の入口から、子どもの声が響いた。
僕はちょうど薪を運んでいるところだった。
「馬車?」
顔を上げる。
村の入口の向こうで、土煙がゆっくりと立ちのぼっていた。
蹄の音。車輪の軋む音。遠くから少しずつ、近づいてくる。畑にいた大人たちが鍬を止めて、振り返った。子どもたちが、わっと集まって走り出す。窓から顔を出す人。道端に出てくる人。村全体が息を吸い込んだみたいに静かになった。
土煙の向こうから、一台の馬車が姿を現した。
荷台には木箱や大きな布袋が積まれている。馬車の前には二頭の馬。そして、人影が三つ。
「誰だろう」
隣でリディアが呟いた。
いつの間にか薪の束を抱えたまま、僕のそばに来ていた。
「さあ……」
僕たちは、顔を見合わせた。
何かが来た。期待とほんの少しの警戒が、胸の中で混ざり合う。魔獣の日を思い出したのか、リディアの指が剣の柄を探すように、ほんの少しだけ動いたのを僕は見た。
馬車が止まる。最初に降りてきたのは、大柄な男だった。
僕たちよりずっと年上で、肩幅が広い。日に焼けた顔には、いくつか古い傷跡があった。短く刈った黒髪の下で、鋭い目が村の周囲を素早く見回している。
鎧は立派だったけれど、飾り立てた騎士のものではなかった。肩当てには擦り傷があって、手袋にも靴にも使い込まれた跡がある。腰の剣も見せるためではなく、いつでも抜けるように整えられていた。
男は村の入口に立つと、まず家々を見た。次に道を見た。最後に森の方へ視線を向ける。
村の人じゃなくて、敵の位置を確かめているみたいだった。
「……ここが例の村か」
低くよく通る声だった。
怖そう、と思った。
続いて馬車から女の人が降りてきた。
銀灰色の長い髪を腰の辺りまで伸ばして、後ろでゆるくまとめている。濃紺のローブは動きやすそうに仕立てられていて、胸元には王国魔術師の徽章が小さく光っていた。
彼女は大柄な男とは対照的に、すぐには村を見回さなかった。
まず足元の土へ目を落とす。次に焼け跡の壁へ。それから風の向きや、木々の揺れまで確かめるように静かに顔を上げた。
表情の変化は少ない。けれど何かを見つける度に、青灰色の瞳がほんのわずかに細くなる。村を眺めているというより、目に見えないものを読み取ろうとしているみたいだった。
最後に、もう一人の男の人が降りてきた。
眼鏡をかけた細身の人だった。髪は几帳面に整えられていて、服装は騎士や魔術師のように目立つものではなく、丈夫そうな外套と革の鞄。
彼は馬車から降りるなり、周りの人たちではなく荷台の木箱へ向かった。蓋を開けて、紙束、羽根ペン、細い測定器具を次々に取り出していく。
「被害から二か月……」
独り言みたいに呟きながら、焼け跡の位置を確認して紙に何かを書き込む。村人たちの視線に気づいているはずなのに顔を上げなかった。
すると村長が三人のところへ歩いていく。
「王国から来られた方々ですかな?」
「あぁ」
大柄な男が答えた。
声はぶっきらぼうだったけれど、村長を見下ろすような態度ではなかった。
「俺はラーディア王国騎士団第五部隊、ガルド・アルベルルだ」
ガルドさんは、胸に手を当てて簡単に頭を下げた。粗雑に見える動作なのに、不思議と無駄がなかった。
「こちらはセレナ・ヴァルディス。同じく第五部隊の魔術師だ」
「よろしくお願いします」
セレナさんが、丁寧に頭を下げる。声は穏やかで落ち着いていた。けれど挨拶をしながらも、その視線は村の周囲を離れていなかった。
最後に眼鏡の男の人が、ようやく顔を上げた。
「私は王立魔物生態研究院の研究員、ロベックです。今回、この周辺に生息する魔物について調査するために派遣されました」
名乗り方までどこか事務的だった。
村長が頷く。
「魔物の調査、ですか」
「はい」
研究者は紙束を胸元で揃えながら答えた。
「今回の魔獣襲撃を受け、この地域に生息する魔物の種類、生息域、行動範囲、個体数などを調べる必要があると判断されました」
「なるほど……」
「調査には暫く時間がかかります。その間、我々はこの村に滞在させていただきます」
村人たちが、ざわめく。
王国から人が来る。それだけでも僕たちのような小さな村では、珍しいことだった。
けれど僕は少し不安になった。
研究者の人は、村の人たちを見ていない。焼け跡や、森や、道ばかりを見ている。僕たちまで調べられる「もの」の一部みたいに思えて背中が、すうっと冷えた。
リディアも同じことを思ったのか、僕の袖を小さく引いた。
「ねえ。あの人、ずっと何か書いてる」
「うん」
「私たちのことも書くのかな」
「分からない」
その時、ガルドさんが村の周囲を見回した。
視線が魔獣に襲われた跡へ向く。
焼けた家。補修された壁。新しく積まれた木材。
ガルドさんは、暫く黙っていた。さっきまでの警戒するような目つきが、少しずつ変わっていく。
「……結構やられたな」
低い声で呟いた。
村長が頷く。
「ええ。幸い、この村には戦える者が多いものですから。特に、元王国騎士団のご夫婦が、魔獣から守ってくださったのです」
「元王国騎士団の……。その方々が魔獣を?」
「えぇ。最後まで勇敢に戦ってくれました」
ガルドさんの眉が、わずかに動いた。
「その夫妻はどこに? ぜひとも話がしてみたいんだが」
村長は、少し間を置いた。
「……残念ですが、その命と引き換えとなってしまいました」
隣でリディアの肩が、ぴくりと動いた。
僕はリディアの手をそっと探した。でもリディアは前を向いたまま、動かなかった。
「そうか……」
ガルドさんは俯いた。
大きな身体がほんの少しだけ、縮んだように見えた。
それから焼け跡の方へ向き直る。手を胸元に添えて、目を閉じた。
ほんの数秒だった。その間、槌の音も、風の音も、一瞬だけ遠くなったような気がした。
形だけの黙祷じゃなかった。そこにはちゃんと敬意があった。
僕はさっきまで「怖そう」と思っていたガルドさんのことを、少しだけ違う目で見るようになった。
一方セレナさんは、馬車を一周しながら周囲を調べていた。
焼け跡に近づくと、しゃがみ込んで地面へ手をかざす。指先は触れていない。それでも何かを感じ取っているようだった。
彼女の瞳の奥に、淡い光が浮かぶ。
僕は思わず息を止めた。
空気がわずかに揺れた気がした。目には見えないものが、彼女の指先から地面の下へ、細い糸みたいに降りていく。その糸が何かに触れて、震えて、戻ってくる――そんな感覚だった。
光はすぐに消えた。
セレナさんは顔を上げた。
「……魔力の濃度が、少し高いですね」
「分かるんですか?」
村長が驚く。
「ええ」
セレナさんは立ち上がって、焼け跡と森を交互に見た。
「周辺の地形や、魔物の活動による影響もあるでしょうが……通常より、残留量が多い。発生源を確認した方がよさそうです」
ロベックさんが慌てて紙に何かを書き込む。
「残留魔力の濃度、通常値より高い……発生源の候補は焼失家屋周辺、あるいは森の南側……」
「まだ断定はしないでください」
セレナさんが、静かに遮った。
「測定が足りません。推測と事実は分けて記録するべきです」
「失礼。ですが、仮説としては――」
「仮説なら、仮説と明記してください」
ロベックさんは、一瞬だけ口を閉じた。
それから眼鏡を押し上げて、素直に紙へ書き足した。
「……了解しました」
僕は二人を見比べた。
セレナさんは魔法のことになると、普段より少しだけ言葉が増えるらしい。
ロベックさんの人は何でも記録する。
ガルドさんは何も言わずに、周囲を見張っている。
三人は同じ目的で来たはずなのに、やり方がまるで違っていた。
僕には何のことか分からなかった。
ただ王国から来た人たちが、これから暫く村にいる。それだけは分かった。
「ねえ、イルヴァ」
隣でリディアが小声で言った。
さっきより声が少しだけ明るい。重くなった空気を、わざと軽くしようとしているみたいだった。
「王国騎士だって」
「うん」
「本物の騎士、初めて見た」
僕も同じだった。
「おじさんもそうじゃん」
「元でしょ? それに、あんな鎧着てるの見たことないし」
「でも、あの人は怖そう」
「うん。でも……」
僕はガルドさんを見る。彼はまだ焼け跡の方を見ていた。
「悪い人ではなさそう」
リディアが少し考える。
「セレナさんは?」
「魔法使いだから、何を考えてるか分からない」
「ロベックさんは?」
「ずっと書いてる」
「それは分かる」
二人で小さく笑った。
その時ガルドさんが、僕たちの視線に気づいたらしい。
こちらを見る。目が合った。
僕は反射的に背筋を伸ばした。
騎士らしい鋭い目だった。でも敵意はなかった。やがて口元だけで、少し笑う。軽く手を上げてみせると、すぐに視線を戻した。
……悪い人では、ないのかもしれない。
この時の僕たちは、まだ知らなかった。
この出会いがこれから何年もの間、自分たちの力や考え方に影響を与えることになるなんて。
ただその日は。いつもと違う人たちが村にやって来た。
それだけの少し特別な一日だった。




