『ラーディア王国騎士団』2
「じゃあ、次は水魔法を飛ばすから、それを躱したり、防いだりする特訓をしよう」
「私に向かって?」
「もちろん。当たっても怪我をしないくらいに調整するよ」
「ほんとに調節できる?」
「うん。というか、まだそんなに威力は出ないから」
「なら安心かぁ」
リディアは、意地悪な笑みを浮かべた。
「もう、やるよ」
リディアは剣を鞘へ収めて、木の根元にそっと置いた。水を浴びたら錆びてしまうからだと思う。代わりに使い込んだ木剣を手に取る。
僕は、右手を前へ出した。
「でも、避けるだけじゃなくて、ちゃんと動いてみて。魔物と戦うときも、相手は止まってくれないから」
リディアは少し驚いた顔をした。
それからすぐに笑う。
「分かった。やってみよう」
リディアが木剣を構える。僕たちの間に、距離ができた。
風が草を撫でていく。
「まずはゆっくりね」
「うん」
僕は魔力を集めた。水の術式を組み立てる。魔力の流れを細く絞って、威力を抑える。蛇口をほんの少しだけひねるみたいに。
手の前に水の塊が生まれた。
「いくよ」
「いつでも」
僕が手を振る。
水の塊が真っすぐリディアへ飛んだ。
リディアは身体を横へ、滑らせるように動かした。水が肩の横を通り過ぎて、後ろの草地へ、ぱしゃり、と落ちる。
「避けられた!」
「今のは簡単だったから」
「じゃあ、もう一回!」
リディアが構え直す。僕は今度、少しだけ速度を上げた。
水の塊が空気を切る。
リディアは一歩下がって、木剣を斜めに立てた。
ぱんっ、と水が木剣にぶつかって細かな飛沫になって弾ける。陽の光を受けて一粒一粒が、きらりと散った。
「防いだ!」
「今のもいいね」
「次はもっと速く!」
「分かった」
僕は次の術式を組む。水の塊を、二つ。同時に飛ばす。
リディアの表情が、すっと引き締まった。
一つ目を、身体を捻って躱す。二つ目を、剣の腹で受ける。水が弾けて、リディアの腕を濡らした。
「……今のは?」
「一つは避けて、一つは防いだ」
「成功?」
「成功」
僕たちは顔を見合わせた。
そして同時に笑った。
「もう一回!」
「うん!」
それから、僕は水魔法を撃ち続けた。
一発。リディアが避ける。二発。木剣で受ける。大きく後ろへ跳んで、剣を盾のように構える。
僕もただ正面から撃つだけじゃなくなった。角度を変える。腕の振りを小さくして、狙いを悟らせない。リディアが動く方向を目で追って、その先へ先回りするみたいに放つ。
それでも全部は防げなかった。
「きゃっ!」
水の塊がリディアの肩で弾けた。
「冷たっ!」
今度は背中。ぴしゃん、と音がしてリディアが背筋をぴんと伸ばす。
「ちょっと!」
足もとに当たって、リディアがたたらを踏んだ。倒れそうになって、木剣を地面に突いて、どうにか踏みとどまる。
「まだ!」
「大丈夫?」
「大丈夫!」
濡れた髪を手で払う。毛先から、雫が光って散った。袖は水を吸って重たそうで、振る度にぱたぱたと水が飛ぶ。
それでもその目は最初よりずっと真剣だった。
「次は三つ!」
「分かった!」
三つの水弾を、時間差で放つ。
一つ目。リディアが横へ躱す。
二つ目。木剣で受ける。水の割れる音。
三つ目が、迫る。
リディアは足を踏み替えて、身体を低く沈めた。水弾が頭の上を掠めて抜けていく。
背後で水が土を叩く音がした。
「今の、すごい!」
「イルヴァが狙いすぎなんだよ」
「でも、避けたのはリディアだよ」
リディアは息を切らしながら笑った。額から顎へ、雫が伝っている。
四発目を僕は少しだけ先へ置いた。
リディアが走る。逃げながら、僕との距離を取っていく。
「逃げるだけじゃないよ!」
「分かってる!」
右へ。左へ。リディアの足の運びを、目で追う。右へ避けたあとは、必ず左足で地面を蹴る。その癖を僕はいつの間にか覚えていた。
――次は、左だ。
「そこ!」
「えっ――」
水の塊が、リディアの脇腹のあたりで弾けた。
「うわっ!」
水飛沫が上がって、リディアがひゃっと肩をすくめる。
「当たった!」
「今のはずるい!」
「ずるくないよ!」
「先に行く場所を狙うなんて!」
「魔物だって、そうするでしょ」
「……それはそうだけど」
リディアは悔しそうに唇を尖らせた。
でもすぐに木剣を構え直す。
「もう一回!」
「うん!」
それから何度も繰り返した。
僕が撃つ。リディアが避ける。受ける。跳ぶ。
リディアも少しずつ、僕を見るようになっていた。腕を振る前の肩の動き。目線の先。水が生まれるほんの一瞬前の、空気の揺らぎ。
「次は全部避けるから」
「じゃあ、僕も全部当てる」
「できる?」
「やってみる!」
僕は魔力を集めた。今までより速く。術式を組んで、次々と水の塊を作る。
一発。二発。三発。
リディアが走る。一発目を避ける。二発目を剣で弾く。三発目を、身体を捻って躱す。
「すごい!」
「まだ!」
四発目。リディアが横へ跳ぶ。
五発目。今度は逆方向。
その着地の瞬間、リディアの足が止まった。
そこへ――ぱしゃん。
水がお腹のあたりで大きく弾けた。
リディアがその場で固まる。
僕も止まる。
「……当たった」
「……当たったね」
「僕の勝ち?」
「まだ一回だけでしょ」
「じゃあ、続けよう!」
「うん!」
二人とも笑った。
撃つ。避ける。防ぐ。当たる。また撃つ。
そんなことを何度も繰り返した。
僕は当てたい。リディアは当たりたくない。
ただそれだけの勝負だった。
冷たい水が弾ける音と、笑い声と、土を蹴る足音。それが、午後の大樹の下にぐるぐると渦を巻いていた。
こんな風に思いきり身体を動かして声を出して笑ったのは、いつぶりだろう。
けれど。
「もっと狙って」
リディアが不意に言った。
僕は手を止める。
「いいの?」
「うん。実戦で避けられなかったら困るから」
その言葉に、僕は少しだけ真剣になった。
笑い声がすっと遠のく。
リディアの声は冗談みたいな調子だったのに、目だけは笑っていなかった。
あの日、僕たちは何もできなかった。もしかしたら死んでいたかもしれない。それぐらいに無力だった。
手のひらに残る冷たさの奥に、黄色い目がちらりと見えた気がした。
だからできることを増やしたかった。
魔法を使う。剣で守る。相手の攻撃を避ける。互いに足りないものを補う。
これは遊びみたいな勝負だ。でも遊びだけじゃない。あの日の僕達に、あの日出来なかったことを教え直すための練習だった。
僕は何も言わずに頷いた。リディアも何も言わずに、木剣を構え直した。
それから先は、どちらもあまり喋らなかった。
水の塊が飛ぶ。リディアの足が地面を蹴る。木剣が水を割る。僕の目がリディアの肩を追う。リディアの目が僕の腕を追う。
避けられたら、次はもっと先へ。当てられたら、次はもっと早く。お互いの動きが、少しずつお互いに追いついていく。
気づけば陽が傾きかけていた。
僕たちは二人とも、草の上に倒れ込んだ。
リディアの服は、すっかり水を吸って袖の先から雫がぽたぽたと落ちている。髪も頬に張り付いていた。僕も魔力を撃ちすぎて、指先の感覚がなくなっている。
「……疲れた」
「うん」
「でも、楽しかった」
「僕も」
仰向けに寝転がって、空を見上げる。
大樹の葉が風に揺れている。ざわ、ざわ、と波のような音。木漏れ日が濡れた頬の上を、ゆっくり渡っていった。
あの夜、リディアが泣いていた場所と同じ木の下だった。
あの日のことを、忘れたわけじゃない。忘れられるはずもない。
それでも今、ここには笑い声の余韻と、濡れた草の匂いと、疲れた身体の心地よい重みがある。
同じ場所なのに、流れている時間はあの夜とはまるで違っていた。
楽しかった。でもただ楽しいだけじゃなかった。避けた数が、受けた数が、少しずつ増えている。昨日より、先週より、一か月前より。そのことが、疲れた身体の中に確かな手応えになって残っていた。
僕たちは、少しずつ前へ進んでいる。




