第5話 『ラーディア王国騎士団』
魔獣が村を襲ってから、二か月が経った。
村には、まだ傷跡が残っていた。
焼け落ちた家のあとには、真新しい木材が積まれている。切ったばかりの木は淡い黄色をして、陽の下でほんのりと樹脂の匂いを立てていた。その隣には黒く焦げた柱の残りが、まだ片付けられないまま立っている。新しい色と古い色が、隣り合わせに並んでいた。
道端に残っていた血の跡は、雨に流されて土に染み込んでもう殆ど見えなくなっていた。何日も続いた長雨の後、ある朝気づいたらそこはただの土の色に戻っていた。僕はそれをなんと言えばいいのか分からない気持ちで暫く見ていた。
槌の音は毎朝、変わらず村に響いている。
壊れた場所は、少しずつ直されていく。時間は止まらずに、ちゃんと流れていた。
それでも何かが壊れた場所には、以前とは違う空気が残っていた。
僕の家の食卓にもそれはあった。
「リディア、そこに置いておいていいよ」
「うん」
朝食を終えたリディアが、自分の使った食器を持って台所へ運んでいく。
皿とスプーンを重ねて母さんへ差し出す。水桶の横の決まった場所に、決まった順番で置く。誰に教わったわけでもないのに、そこはもうリディアの場所になっていた。
母さんが受け取る。
「ありがとう。もうすっかり慣れたわね」
「……そうかな」
「ええ」
母さんは笑った。リディアも、少しだけ笑う。
最初の頃は、もっとぎこちなかった。
家に帰ってくるとき、「ただいま」と言っていいのか迷うように玄関で一度立ち止まっていた。毎日ご飯を出してもらうたびに、小さな声で「ありがとうございます」と頭を下げた。居間でゆっくりしているときも、椅子の端っこに荷物みたいに座っていた。
その気持ちは、僕にも少し分かる。僕だってリディアの家に泊まりに行く時は楽しいけれど、ほんの少しだけ緊張する。借りてきた猫になったみたいに、背筋が伸びてしまう。
ましてリディアは、家族を失ったばかりだったのだ。すぐに馴染めるはずもない。
それでも二か月も一緒に暮らしていれば、少しずつ変わっていく。
朝になれば同じ食卓を囲む。昼には一緒に外へ出る。夕方になれば一緒に帰ってくる。
玄関で立ち止まらなくなったのは、いつからだっただろう。
いつの間にか、リディアがこの家にいることが当たり前になっていた。
僕にはそれが少し嬉しかった。
でもたまに思う。
リディアの両親が生きていたら、どうだったんだろう。
おじさんとおばさんが、あの食卓にいたら。リディアは今ごろ、自分の家の台所で自分のお母さんに皿を渡していたのかもしれない。
そう考えると、胸の奥がちくりと痛くなる。
針の先みたいに小さな痛みなのに、なかなか抜けてくれなかった。
「イルヴァ?」
「え?」
「何ぼーっとしてるの?」
「……なんでもない」
リディアが首を傾げる。
僕は笑って誤魔化した。その笑顔が、ちゃんと笑顔になっていたかどうかは分からない。
「今日は訓練するんでしょ?」
「もちろん」
リディアが立ち上がる。
その腰には、剣があった。父親から受け継いだ剣。あの日、おじさんが握って魔獣と戦ってくれた剣だ。
あの日以来、リディアは以前よりずっと熱心に剣を振るようになった。朝は誰よりも早く起きて、庭の隅で黙々と素振りをしている。僕が目を覚ますころには、もう額に汗を浮かべている日もある。
それがどんな気持ちから来ているのか、僕は聞いたことがない。リディアも何も言わない。
僕も魔法の練習を続けていた。お姉さんが繋いでくれた力。あの日から、僕は少しずつ魔法を自分のものにしてきた。
とはいってもまだ簡単なものだけだ。火を出す。水を出す。風を起こす。そしてそれを少しずつ大きくする。
それくらいだった。
それでも魔法を使えることが嬉しかった。
だから僕たちは、いつものように大樹へ向かった。
*
朝は家の手伝いをして、昼を過ぎたらあの大樹へ向かう。
それがこの二か月の僕たちの毎日だった。リディアは剣を振る。僕は魔法を練習する。
特別なことじゃない。もう「いつものこと」になっている。
大樹は今日も変わらずそこに立っていた。葉の隙間から午後の光が零れて、根もとの草に小さな丸い光を散らしている。あの夜リディアが膝を抱えていた場所にも、同じように光が落ちていた。
僕たちはそこを避けない。かといってそこに座ることもしなかった。少し離れた開けた場所が、いつの間にか僕たちの練習場所になっていた。
けれど以前とは違う。
魔獣に襲われたあの日から、僕たちは「強くなる」ということを前よりずっと真剣に考えるようになった。笑いながら練習していても、ふとした瞬間に目つきが変わる。そのことを、二人とも口にしなかった。
「まずは水」
僕は手を前へ突き出して目を閉じた。
胸の奥から魔力を引き出す。泉の水面がゆらりと揺れる感覚。それを腕へ、指先へ導いて、術式を組み上げていく。手の平の前に、ひやりとした気配が集まってきた。
水の塊が生まれる。いつもより、大きい。もう少し。もっと大きく。
魔力を注ぐ。水は、ぷるぷると震えながら膨らんでいく。僕の顔くらいにそれよりも少し大きく。光を抱いて、ゆっくり回りながら。
――新記録だ。そう思った瞬間だった。
水の輪郭がぐらりと揺れた。
「あっ」
次の瞬間、水の塊は形を保てなくなってその場で崩れ落ちた。
ばしゃん、と足元の草が鳴る。手の平から、すうっと重みが抜けた。
悔しい。でも悔しいだけじゃなかった。もうちょっとだった。指一本分の集中があれば、きっと届いていた。その「もう少し」が胸の中で、じりじりと疼いている。
「結構大きくできてたね」
「分かる?」
「うん。もう少しだった」
リディアに褒めてもらえて、胸の中がふわっと軽くなった。単純だな、と自分でも思う。
「じゃあ、次は私」
「え?」
「私もやる」
そう言ってリディアは、僕から少し離れた場所へ歩いていった。
腰の剣を鞘から抜く。現れた刃が午後の光を細く返した。両手で柄を握って、ゆっくりと息を吐く。
背筋が伸びる。足が地面を探して、静かに止まる。
空気が張りつめた。
次の瞬間。リディアの身体が動いた。
踏み込み。足が土を噛む、ざっ、という音。
斬り上げ。刃が風を裂いて、ひゅっ、と高く鳴る。
身体を捻りながらの横薙ぎ。
髪が遅れて弧を描く。
その勢いを殺さず、足を入れ替えて突き。
以前なら、一つ一つの動作の間に僅かな遅れがあった。剣を振ったあと、次の動きへ移るまでに身体がほんの少し止まる。その止まる瞬間が、僕の目にははっきり見えていた。
けれど今は違う。
剣の軌道が途切れない。踏み込んだ足が、そのまま次の動きの始まりになっている。腕と腰と足がバラバラの部品じゃなくて、ひとつの流れとして動いている。川の水が岩を避けながら、止まることなく進むみたいに。
身体の向きを変える度に、髪が揺れる。呼吸が、短く、深く、動きの隙間に滑り込む。
最後にリディアは大きく踏み込んで、斜めに剣を振り下ろした。
ぴたり。剣先が地面すれすれで止まった。
刃の起こした風に、草がそよいで、それから静かになった。
僕は、思わず見入っていた。
「……どう?」
リディアが、剣を下ろす。
頬に汗が光っている。息は上がっているのに、剣先は少しも震えていなかった。
「すごい」
「本当?」
「うん。前よりずっと滑らかになった」
「そうかな?」
リディアは、嬉しそうに笑った。
僕でも以前との違いがはっきり分かるくらい成長している。リディアは、強くなっている。
僕も負けていられない。




