『家族』3
次の日。僕たちは、父さんの手伝いをした。
崩れた納屋の跡から、まだ使える木材を運び出す。屋根の梁だった太い角材。板壁だった長い板。焦げた物と無事な物を、より分けながら。空気には乾いた木の粉と、煤の匂いが混ざっている。陽射しの中で細かな埃が金色に舞っていた。
「これ、重い」
僕が板を抱えて言うと、
「貸して」
リディアが、反対側の端を持った。包帯の巻かれた左手は添えるだけにして、右手でしっかりと支えている。
「二人で持った方が楽だよ」
「そうだね」
二人で運ぶ。息を合わせて、一歩、また一歩。板の重みが二つに割れて、腕がすっと軽くなった。
途中で、僕は、地面に転がっていた梁に足を引っかけた。
「わっ!」
「危ない!」
リディアが、素早く僕の腕を掴んだ。
板がごとんと地面に落ちる。
身体が傾いたまま止まった。腕を掴む手は、思ったよりずっと強くて温かかった。
「大丈夫?」
「大丈夫」
「気をつけてよ」
「リディアが助けてくれたから大丈夫」
「……もう」
呆れたように言いながら、リディアは笑った。
その笑顔を父さんが、少し離れたところから見ていた。担いだ梁の向こうで、目尻を下げて微笑んでいる。
僕と目が合うと、父さんは何も言わずにまた作業へ戻った。
*
さらに次の日。庭で、母さんと一緒に洗濯物を干しているリディアを見つけた。
「リディア、手伝おうか?」
「いいよ。イルヴァはそっちお願い」
「こっち?」
「うん」
僕は、言われた通りに洗濯物を干した。
洗い立ての布はひんやり冷たくて、石鹸と水の匂いがした。皺を伸ばして、紐に掛けて、洗濯ばさみで留める。
暫くして、風が吹いた。
干した布が一斉にふくらんで揺れる。白い敷布が帆みたいに大きくはためいて、陽射しを透かした。光が布の上で水の波紋みたいに揺れる。
「わあ」
リディアが、目を細めた。風が彼女の髪を持ち上げる。
その顔がほんの一瞬だけ、昔と同じに見えた。大樹の下で風が渡っていくたびに見せていたあの顔。眩しそうで気持ちよさそうで、口の端がほんの少しだけ上がる。
僕は何も言わなかった。
リディアも何も言わなかった。
ただ二人で、揺れる洗濯物を見ていた。
母さんは少し離れたところで、籠の中の布をゆっくり畳んでいた。こちらを見ないまま、手だけがほんの少し止まっていた。
*
それから数日が過ぎた。
リディアは少しずつ笑うようになった。
ある朝、僕が「おはよう」を言うより先に、リディアが「おはよう」と言った。寝ぼけ眼で、髪を跳ねさせたまま。返事が遅れて、僕は「あ、おはよう」と慌てた。
ご飯も以前より食べるようになった。スープをおかわりして、母さんが鍋の底をおたまで掬うのを僕は見た。
くだらないことで言い争うことも増えた。
「それ、僕が最後に食べようと思ってたやつ!」
「先に手を伸ばしたのは、私」
「僕のほうが先だった!」
「証拠は?」
「……気持ち!」
「気持ちは食べられません」
最後のパンの端をめぐって真剣に睨み合っていたら、父さんが吹き出して、母さんが「ほら、またやってる」と溜息をついた。結局、母さんが包丁でパンを半分に切って僕たちの皿に置いた。
半分になったパンは、いつもよりずっとおいしかった。
午後は洗濯物を取り込んだり、床を掃いたり、井戸から水を運んだり。復旧の現場では、釘を仕分ける係になった。曲がった釘を金槌で伸ばして、真っすぐになったものを箱に並べる。いつのまにかどちらが多く並べられるかの競争になっていた。
魔法の練習も続けた。
僕の魔法は少しずつ崩れにくくなった。リディアの指先の水はほんの一呼吸分、長く残るようになった。消えるたびに「あー」と二人で声を揃えて、それから笑った。もちろんリディアは剣の訓練も怠らなかった。
川へ行って、石を投げて遊んだ日もある。水面を僕の石は三回跳ねた。リディアの石は五回。「まだまだだね」と言われて、悔しくてもう一度投げた。
昔と同じだった。
同じなのに。ふとした瞬間にリディアの顔が、悲しそうになることがある。
食事の途中で、箸が止まる。スプーンを持ったまま湯気の向こうを、ぼんやり見ている。母さんが「リディア」と呼ぶと、はっとして「なんでもない」と、また食べ始める。
遠くで、誰かが子どもの名前を呼ぶ声がした日。リディアは笑っている途中で、ぴたりと止まって、声の方を振り返った。それが自分を呼ぶ声じゃないと分かると、ゆっくり前へ向き直った。
家の扉が開く音がするたび、リディアは一瞬だけ顔を上げる。
その一瞬にいつも何かを待つ光が宿る。
入ってくるのが仕事から帰った父さんだと分かると、その光はすっと消える。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
父さんは少し間を置いて、いつもより静かな声で答える。
それからリディアは、何もなかったように目を伏せて、僕の隣でまた笑った。
多分まだ待っているんだ。自分でも気づかないまま。
いつかあの扉から、両親が帰ってくるんじゃないかって。
夜、同じベッドの中でリディアの息が、中々長くならない夜もあった。僕は聞こえないふりをして、天井を見ていた。
僕にはその悲しみを消すことはできない。多分、誰にもできない。
あの夜大樹の下で、何ひとつ直してあげられなかったように。
でも――。笑える時間を増やすことなら、できるかもしれない。
そう思うようになった。
だからその夜から、僕は眠る前にこう聞くことにした。
「明日、何しようか」
暗い天井を見たまま、聞く。
「……水切り」
「いいね」
「イルヴァ、五回跳ねるまで、やる?」
「やる」
「じゃあ、明日、朝からね」
「魔法と剣も練習しないとね」
「そうだね」
それだけの会話。
でもその夜は、リディアの息がいつもより早くゆっくりになった。
悲しみは消えない。夜が明ける度に、またそこにある。
それでも――朝は来る。
だから僕はいつも通り、リディアの隣にいた。
一緒にご飯を食べて。
一緒に笑って。
一緒に働いて。
一緒に練習をして。
くだらないことで喧嘩して。
特別なことは何もしなかった。
あの夜「夜が明けるまで」と決めたことは、夜が明けても終わらなかった。朝が来て、夜が来て、また朝が来て。
その度に僕は、隣にいた。窓の外では槌の音が、今日も少しずつ村を直していた。




