↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/26

『家族』2

その夜。僕とリディアは、同じベッドに入った。

 窓の外には、薄い月が出ていた。カーテンの隙間から細い光が入り込んで、床板の上に白い筋を引いている。


「イルヴァ、もう少しそっち行って」

「これ以上行ったら落ちるよ」

「じゃあ、落ちないようにして」

「無理だよ」


 いつもなら、ここから言い合いが始まって、最後は二人とも笑いながら毛布を取り合うところだった。

 でも、その夜は、どちらも、それ以上は何も言わなかった。

 少しだけ間があって、僕は聞いた。


「……腕、痛くない?」

「……ちょっと」

「壁側にする?」

「ううん。こっちでいい」


 リディアは、包帯を巻いた腕を胸の上にそっと載せて、天井を向いた。僕も、同じように天井を向く。

 暗い部屋の中。肩と肩が、ほんの少し触れている。毛布の中で、リディアの体温が、じんわりと伝わってきた。

 隣から、小さな息の音が聞こえる。最初は、細くて、ぎこちなかった。息をひそめているみたいな、浅い息。それが、しばらくすると、ゆっくりとした長い息に変わっていった。

 僕も、目を閉じた。誰かの息の音がする部屋は、こんなに温かいんだ、と思った。

 昨日の夜は、あんなに長かったのに。今夜は、少しだけ、短くなった気がした。


 *


 翌朝。目を覚ますと、カーテンの向こうが、薄く明るくなっていた。

 小鳥の声が、どこか遠くで聞こえる。台所のほうから、薪のはぜる音と、パンの焼ける匂いが、かすかに漂ってくる。

 隣には、リディアがまだ眠っていた。お泊まりの時は、僕より早く起きていることも多い。けれど今日は疲れが出たのか、身じろぎもせず静かに眠っている。頬に髪がひと筋かかっていた。

 僕の寝間着の袖を、リディアの指がほんの少し摘んでいた。

 眠っている間に、無意識にそうしたのだろう。指先は軽く曲がっているだけで、力はほとんど入っていない。それなのに、動かしたらその手が解けてしまいそうで、僕は起き上がれなかった。

 暫くそのまま天井を見ていた。天井の木目を、目でなぞる。

 そうしていないと、昨日のことが勝手に浮かんできそうだった。

 でも浮かんできた。魔物の黄色い目。爪。血。赤黒い地面。

 鼻の奥にあの鉄の臭いが蘇る。壁に広がった赤い跡。動かなかった人たち。

 そして並んで横たわっていた、リディアの――。

 胸の奥がずしりと重くなった。息が浅くなる。

 僕は隣を見た。リディアの胸が毛布の下で、ゆっくり上下している。すう、すう、と小さな音がする。

 生きている。ここにいる。夜が明けても、隣にいる。

 僕は袖を摘まんでいる指を、そっとほどいた。起こさないようにゆっくり、ゆっくり。指が離れる時リディアの眉が、ほんの少しだけ動いた。でも目は覚まさなかった。

 ベッドから降りて、静かに部屋を出る。


「おはよう、イルヴァ」


 台所では母さんが朝食の準備をしていた。


「おはよう」

「リディアは?」

「まだ寝てる」

「そう。じゃあ、起きてからでいいわ」


 母さんは、それ以上何も言わなかった。

 僕も何も言わなかった。

 窓から差し込む朝の光が、卓の木目を白く照らしている。四枚目の皿が、もう当たり前みたいにそこに並んでいた。

 朝食ができる頃、リディアが起きてきた。髪があちこち跳ねている。目をこすりながら、廊下の壁に手をついてゆっくり歩いてくる。


「おはよう」

「おはよう、リディア」

「……お腹空いた」


 その言葉に、僕は少し驚いた。

 昨日までリディアは、殆ど何も食べていなかったからだ。スープの豆をひとつ転がして、パンを少し千切っては置いて。母さんが何を勧めても、首を横に振っていた。

 母さんが、鍋をかき混ぜる手を一瞬だけ止めた。

 それから何でもないことのように言った。


「たくさん食べなさい」

「うん」


 リディアは椅子に座った。

 そしていつもより少しだけ多く、朝食を食べた。パンを一切れ半。スープを器の底が見えるまで。

 それだけのことだった。僕はなるべく見ないようにしながら、横目でその様子を追った。バターの器をリディアの方へ、こっそり押しやる。

 それだけのことなのに、胸の中がぽっと温かくなった。

 母さんの背中はこちらを向いていないのに、笑っているのが分かった。


 *


 その日の昼。父さんは、村の復旧作業に出かけていた。母さんも、炊き出しの手伝いに行っている。

 家にいるのは僕とリディアだけだった。

 家の中は、しんとしていた。窓の外から槌を打つ音が響いてくる。荷車の車輪が軋む音。誰かの掛け声。遠くで木材が崩れて落ちる乾いた音。


「暇だね」


 僕が言う。


「うん」


 リディアは窓の外を見ていた。

 窓から見える村は、まだ壊れたままだった。屋根のなくなった家。崩れた壁。瓦礫の山。黒く焦げた柱が、空に向かって何本か突き立っている。その間を大人たちが荷を担いで行き来していた。

 なのに空だけはいつもと同じ澄んだ色をしていた。

 それが少しだけずるいような気がした。

 暫くして僕は思いついた。


「じゃあ、魔法の練習する?」


 リディアが、僕を見る。


「魔法?」

「うん」

「……」


 少し迷うように窓の外へ視線を戻して、もう一度、僕を見た。


「……いいよ」


 小さな声だった。でも立ち上がる動きは、ちゃんと前を向いていた。

 僕たちは、家の裏へ出た。

 井戸の傍の少し開けた空き地。洗濯用の桶が、逆さに伏せて干してある。地面には、朝露の名残がまだ少し残っていた。

 僕は手を前に伸ばした。


「見てて」


 目を閉じる。右手が、ほんの少し汗ばんでいた。

 あの日、この手は何も守れなかった。魔法陣を描くのも遅く、火は外れて、頭の中は真っ白だった。

 もしまた出なかったら。そんな考えが一瞬だけ、胸の奥をかすめた。

 でも僕は息を吸った。魔力を探る。

 ……ある。静かで、冷たくて、澄んでいる。

 そこから細い流れを掬い上げる。胸の奥から、腕へ。腕から、手首へ。ひやりとしたものが、血の代わりに身体を巡って指先へ集まっていく。指の先が、しんと冷たくなった。


「……水。水」


 手の平の上の空気が、ふっと湿った。

 光が集まる。透明な粒が一つ、二つ、宙に生まれて、寄り添って、丸くなる。手の平の上に、小さな水の塊が浮かんだ。陽を受けて中で細かな光が揺れている。

 それが、ぽんと、手から飛び出して。

 ぽちゃん。地面に落ちて土の色を、丸く暗くした。水の跳ねる音が、空き地に一つだけ響いた。


「できた」


 ……出た。ちゃんと、出た。

 胸の奥で、固く縮んでいたものが少しだけ解けた。


「うん」


 リディアが少しだけ笑った。


「前より大きくなったね」

「本当?」


 思わず声が跳ねた。


「多分……」

「そこは本当って言ってよ」

「じゃあほんと」


 リディアが頷く。

 僕は、自然と笑ってた。

 あの日から初めて魔法を、ただ嬉しいと思えた。

 いつかこの水が、誰かを守れるくらい大きくなればいい。ふと、そんなことも思った。でもそれは水の粒みたいにすぐに丸く消えて、あとには嬉しさだけが残った。


「じゃあ、もっと大きくしてみる」

「無理しないほうがいいよ」

「大丈夫」


 もう一度、魔力を集める。

 今度は、さっきよりずっと大きな水が生まれた。掌から零れそうなくらいの水の塊。ゆらゆらと、光を抱いている。

 けれど形を保てない。縁のところから、ぶるぶると震えて。

 ばしゃ。崩れて足元に水が飛び散った。


「……失敗した」

「でも、さっきより大きかった」


 リディアが頷く。


「少しずつ上手くなってる」


 濡れた靴のつま先を見て、僕は笑った。

 「少しずつ」という言葉が、胸の中にことんと落ちて残った。


「じゃあ、リディアもやってみる?」

「私?」

「うん」


 僕は、リディアに魔法を教えようとした。


「最初は、身体の真ん中に、あったかいところがないか、探すんだ。そこから、こう、指の先まで」


 リディアは首を傾げていた。


「こう?」


 右手を前へ伸ばしたまま、目を閉じてじっと動かない。眉の間に小さな皺が寄る。

 けれどいつまで経っても、指先には何も現れなかった。


「……前はちょっとは出たのに」

「僕だって最初はできなかったよ」

「なんだか、自分だけの力で上手くなったみたいな言い方」


 少し意地悪な言い方だった。

 多分、上手くできないのが悔しかったんだと思う。唇がちょっとだけ、尖っている。

 でもその言葉を聞いて、僕はお姉さんのことを思い出した。

 胸に触れた指先。流れ込んできた、あの熱。胸の奥がほんの少しだけ、ざわっとした。

 だからそれを振り払うみたいに、胸を張った。


「でも、もう僕のだし」

「私だって、その人に会ってれば……よーし! 見てて」


 リディアがもう一度、手を伸ばす。

 空き地に風が通り抜けた。洗濯桶の縁に残った水滴が、きらりと光る。

 リディアが息を止める。

 すると――指先からほんの少しだけ、水が滲み出た。

 一粒。陽の光を受けて小さく、丸く光って。

 すぐに消えた。


「出た!」

「出たね」


 僕たちは、顔を見合わせた。

 リディアの目が大きく開いている。頬がほんのり赤い。

 そして二人で笑った。ほんの少しだけ。

 それでも、昨日より自然に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。