第4話 『家族』
あの夜が明けて、一日が過ぎた。
翌日の夜。僕たちは四人で夕食を食べていた。父さんと母さん。僕と、リディア。
卓の上には、豆のスープと、焼いたパンと、母さんが奥から出してきた干し肉の煮込み。湯気がランプの光の中をゆらゆらと昇って、天井の梁のあたりで消えていく。
昨日までなら、リディアは家で両親と食卓を囲んでいた。
でも今は、僕の家の食卓に座っている。たまに一緒に夕ご飯を食べることもあったけど、それとは違っていた。
それがまだ少し不思議だった。
不思議というより、間違い探しをしているみたいだった。見慣れたものの中に、何かひとつだけ違うものが混ざっている。何が違うのか分かっているのに、目がそこへ戻ってしまう。
「……」
今夜は誰もあまり喋らない。
だから食器が触れ合う音だけが、やけに大きく聞こえた。スプーンが器の縁を叩く、かちり、という音。誰かが座り直すたびに、椅子がわずかに軋む。暖炉の薪が、ぱち、と小さくはぜた。
リディアは左腕を膝の上に載せて、右手だけでスプーンを持っていた。袖の下には、白い布が巻かれている。
器の中のスープはほとんど減っていなかった。スプーンの先で豆をひとつ、転がしては戻す。口へ運ぶのは、ほんのわずか。
母さんはそれを見てたけど、何も言わなかった。ただリディアの前へ、パンの皿をそっと押しやっただけだった。
父さんの腕にも、包帯が巻かれている。いつもなら食事の時に一番よく喋るのはずなのに、今日は黙ってパンを千切っていた。
僕も何か言おうとした。「おいしいね」とか、「このスープ、好きなんだ」とか。でも言葉は喉のところまで来ると、それ以上は上へ上がってこなかった。
いつもの夕食と、同じ匂い。同じ皿。同じ灯り。
それなのに全然普通じゃなかった。
やがて、母さんが口を開いた。
「リディア」
「……うん」
「これからのことなんだけどね」
リディアが顔を上げる。
スプーンが器の縁に触れて、かちりと鳴った。
「ここで暮らさない?」
「……ここで?」
「ええ」
母さんは、優しく笑った。
でもその目尻がほんの少しだけ赤いことに、僕は気づいてしまった。
「あなたの家は、今すぐ元に戻せるような状態じゃないし……一人で暮らすのは大変でしょう?」
「でも……」
リディアが俯く。
膝の上の手が、ぎゅっと握りしめられるのが卓の端から見えた。
声が小さくなっていく。
「迷惑じゃ……」
「何言ってるの」
母さんが少し笑った。
「迷惑なわけないでしょう」
「そうだぞ」
父さんも頷いた。パンを千切る手を止めて、真っすぐにリディアを見る。
「うちでよければ、いつまででもいていい。子どもが一人増えて賑やかになる。良いことじゃないか」
その言い方があまりにも当たり前のことを言うみたいで、それがかえって胸に来た。
リディアは、暫く黙っていた。膝の上の手が白くなるほど握られている。誰の顔も見ないまま、唇が何度か、何かを言いかけては閉じた。
すると母さんが席を立って、リディアの椅子の後ろへ回った。何も言わずにその小さな肩へそっと手を置く。
「好きな方を選んでいいのよ。迷惑とかそんな事は考えずにね」
リディアの肩がほんの少し震えた。
やがて小さく頷いた。
「……ありがとう」
声が掠れていた。
「うん。おかえり」
母さんは、リディアの肩を軽く二度叩いてから、自分の席へ戻った。その途中で袖で目元を擦ったのを、僕は見なかったことにした。
それから母さんは、ふと思い出したように言った。
「あ、そうそう。一つ問題があるのよね」
「問題?」
「リディアの寝る場所」
母さんは、僕とリディアを交互に見る。
「ちゃんとしたベッドは、まだ用意できてないのよ」
「あ……」
リディアが、少し困った顔をした。
「だから、暫くイルヴァと同じ部屋で寝てもらおうと思うんだけど……」
母さんは、ごく普通のことを聞くような顔で言った。
「同じベッドでもいいわよね?」
「いいよ」
僕はすぐに答えた。
隣を見る。
リディアも、少し考えるような素振りすら見せずに頷いた。
「私もいいよ」
「じゃあ決まりね」
母さんはあっさり言った。
「二人とも昔からずっと一緒だもの。今さら気にすることでもないでしょう」
「そうだな」
父さんも笑う。
「二人とも仲がいいしな。ベッドをもう一つ用意するまで、それでいいだろ」
「うん」
「わかった」
二人共何の抵抗もなく頷いた。
僕にとってリディアは、昔からずっと隣にいる幼馴染だ。遊ぶときも一緒。村の中を歩く時だって、大体一緒だった。
だから同じ部屋で寝ることも、同じベッドで寝ることも、特別なことだとは思わなかった。むしろそれが決まった時、胸の奥のどこかがふっと軽くなった気がした。
それに毎日がお泊まりみたいで少しワクワクする。
「じゃあ、リディア。今日はイルヴァのところで寝てね」
「うん」
「イルヴァ、ちゃんと布団分けてあげるのよ?」
「わかってるよ」
「あと、寝相が悪いんだからリディアを蹴らないようにな」
「僕、そんなに悪くないよ!」
「この前、朝起きたら布団が全部床に落ちてただろ」
「それは……寝てる間のことだから知らないよ」
父さんが笑う。母さんも笑った。
そしてリディアも。ほんの少しだけ、口元を緩めた。
それを見て、僕も少しだけ嬉しくなった。
スープはまだ温かくて、リディアの器の中身がさっきよりほんのひと口分、減っている気がした。




