第7話 キスは爆発味
「サキュバスの禁忌魔法……?」
俺が訝しげに尋ねると、ヴァニアは水晶から手を離し、ニヤリと笑った。
「うむ。『魔力譲渡』は、色欲系統の波長にだけ適合する排出術式じゃ。通常の人間には扱えんが、お主なら理論上は通る。頭を貸せ」
ヴァニアは背伸びをして、俺の額に小さな指を当てた。
直後、熱を帯びた術式の断片と、見たこともない魔力回路の知識が、脳内へ強引に流し込まれてくる。
『特殊条件をクリア。禁忌魔法【魔力譲渡】を習得しました』
「よし、暫定術式の移植は完了じゃ」
「……で、これはどうやって使うんだ?」
俺が尋ねると、ヴァニアは水晶の表面を指先で弾きながら答えた。
「他者の粘膜に直接触れ、己の中に溜まった残熱を、相手の魔力回路へ逃がす禁式じゃ。要するに、魔法を扱える娘と口づけして回路を繋ぎ、余剰魔力を流し込めば、お主は助かる。……まあ、お主はワシ相手だと波長が揺れにくいようじゃし、安全確認の実験台としては向いておるかもしれんのう」
(いや、いくら見た目が子供で性的なドキドキはないにしても、キスなんて高度なスキンシップをしたら、非モテ童貞の俺は極度の緊張とパニックで結局爆発するわ!)
俺が内心で突っ込んでいると。
「「キ、キス……ッ!?」」
ルミナとセレスティアの顔が、ボンッ! と音を立てるように真っ赤に染まった。
しかし、俺から漏れ出ている大悪魔の『魅了』に当てられ、理性のタガが外れかけているルミナの行動は早かった。
「ツ、ツナグ様のためなら……私、喜んで唇を捧げますっ!」
「っ!?」
ルミナは真っ赤な顔のまま、とろんと潤んだ瞳でギュッと目を瞑って唇を尖らせ、俺の胸元へとじりじりと迫ってくる。
「お、お待ちくださいルミナ殿! まっ昼間から殿方と口づけなど、なんという破廉恥な……っ、はぁ、はぁ……っ! ですが、主君の命を救うためならば致し方ありません。騎士の誓いに懸けて、まずは私の唇から……っ!」
(お前も魅了されてるんかい!!)
二人の絶世の美女から挟み撃ちにされ、石鹸と花のような甘い匂いが俺を包み込んだ。
ドクンッ!! ドクンッ!!
『対象からの【極めて強い好意と献身】を感知。宿主の心拍数・危険域へ。肉体負荷ゲージ:70%……80%……』
(ヤバいヤバい! キスする前に、この状況だけで心拍数が限界突破して俺が爆発する!!)
俺が恐怖で顔面を硬直させていると。
水晶で俺の波長を診ていたヴァニアが、血相を変えて叫んだ。
「……ま、待て娘ども! ストップじゃ!! 今すぐその男から離れぃ!!」
「「えっ……?」」
ヴァニアは額に冷や汗を浮かべ、震える指で俺を指差した。
「……この魔力増加量は異常じゃ! お主、もしこの娘たちとキスなんてしたら、魂の揺らぎ(ドキドキ)が天元突破して、排出量よりも魔力の乗算スピードが完全に上回るぞ!? つまり、キスした瞬間に即自爆する!!」
「「そ、そんな……っ!?」」
二人のヒロインが、愕然として動きを止めた。
ヴァニアが突きつけた残酷な真実。
それは、俺にとって『魔力譲渡』が「自爆スイッチ」であることの証明だった。
俺は必死に内なるパニックを抑え込み、いつもの痛い処世術――『クール系主人公』の仮面を被る。
冷や汗を流しながらも顔面を硬直させ、まるで最初からすべてを知っていたかのように、極低音のウィスパーボイスでボソッと告げた。
「……案ずるな。俺の命の対価に、お前たちの尊厳を奪う気はない」
(違う! ホントはめちゃくちゃ奪いたい! キスしたいけど、したら100%爆発するから!)
俺の血の涙を流すような悲痛な本音など伝わるはずもなく。
ヴァニアの宣告と俺の態度を見た二人のヒロインは、顔を見合わせてハッと息を呑んだ。
「やれやれ。お主らも少しは自重せんか。いくら主君を救うためとはいえ、さっきは理性が飛びすぎじゃったぞ?」
ヴァニアが呆れたようにため息をつくと、ルミナとセレスティアは顔を真っ赤にして口元を覆った。
「そ、そういえば……なぜか頭がぼーっとして、どうしてもツナグ様に触れたくなってしまって……っ」
「私もです。騎士の誓いよりも先に、得体の知れない衝動が湧き上がって……」
「さっきも言った通り、こやつの魔力(残熱)には女性の本能を狂わせる『魅了』が混ざっておるからな。頭では危険だと分かっていても、本能で引き寄せられてしまうんじゃろうて」
ヴァニアの言葉に、二人はハッとして俺を見た。
「っ……! ツナグ様は、ご自身の命よりも、私たちの純潔や尊厳を重んじてくださったのですね……!」
「なんて気高く、優しい精神……! 私たちが近づけば『魅了』のせいで理性を失いご負担になると分かっていたからこそ、あえて距離を置いて、一人で自爆の恐怖と戦っておられたのですね……! ですが、キスはお預けになってしまうのですね……少し、残念です」
ルミナも両手で頬を包み、モジモジしながら上目遣いで俺を見る。
「そうですね……。でも、ツナグ様にそこまで女性として大切に思っていただけていたなんて……っ」
(大切だけど! ただ爆発するのが怖くて避けてるだけだから!!)
「女性の尊厳を重んじる、ストイックで孤独な英雄」というラブコメ全開の強烈な勘違いが、またしても俺を縛り付けていく。
「まったく、罪な男じゃ。やれやれ、難儀な体じゃのう」
一人納得したようにため息をついたヴァニアが、俺の右腕を引き寄せ、指先で手の甲にササッと何かの紋様を描き始めた。
「……これは?」
「応急処置じゃ。お主の体に溜まった『残熱』を、体表で少しずつ無意味に消耗させる簡易の放熱弁――『浪費の刻印』じゃ。加えて、体内の残熱が限界(自爆)に近づくと、この刻印が激しく点滅して熱を持つアラームにもなっておる」
言われてみれば、手の甲の紋様がチカチカと微弱な光を明滅させている。
無意味にエネルギーを浪費してくれているおかげか、体の中の圧迫感が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
「だが、その刻印で消費できる魔力は、スプーンで海水をかき出しているようなものじゃ。あくまで『暴発までのタイムリミットを少し延ばす』程度の気休めに過ぎん」
(えええっ……! 結局ジリ貧じゃないか!)
「じゃが、完全に諦めるのはまだ早いぞ。ワシの刻印と『魔道具』を組み合わせれば、自爆までの猶予は大きく延ばせる。お主の残熱を外側から吸い上げ、分解し、空気中へ逃がす――外付けの排熱器官として機能する『魔力吸収の外套』じゃ」
(それだ!! そのコートさえあれば、俺も女の子にドキドキしても安全な距離感でスローライフを送れる!!)
俺は心の中で強くガッツポーズをした。
しかし、ヴァニアは厄介な顔をする。
「その外套を編むためには、極めて特殊な素材……『幻水蜘蛛の糸』が大量に必要になる。市場には滅多に出回らん代物じゃ」
「幻水蜘蛛の糸、ですか」
立ち上がったセレスティアが、凛とした表情で言った。
「ならば、冒険者ギルドで依頼を探すか、直接ギルドマスターに掛け合って情報を得るのが得策でしょう」
「そうじゃな。お主ら、王都のギルドへ戻るがよい」
「……感謝する」
俺は短く礼を言い、ヴァニアの館を後にした。
外に出ると、空はすでに茜色に染まり始めていた。
(よし! 次の目標は『幻水蜘蛛の糸』を集めることだ! 待ってろ俺の安全なスローライフ!)
俺が心の中で気合を入れていると、セレスティアが空を見上げて提案してきた。
「ツナグ様。本日はもう日が暮れます。今からギルドへ向かっても、満足な情報は得られないでしょう。それに、ツナグ様もお疲れのはずです。今日はひとまず宿をとり、明日の朝一番でギルドへ向かいませんか?」
(助かった! 転移してから怒涛の一日で、実はもう体力も胃袋も限界だったんだ!)
俺は内心で安堵の涙を流しながら、クールに目を伏せてボソッと答えた。
「……あぁ。そうしよう」
俺たちは、かすかな希望を胸に、王都の宿屋へと向かって歩き出した。
だがこの時の俺はまだ知らなかったのだ。
明日の朝、あのギルドのカウンターでとんでもない『変態』が待ち構えており、この素材探しが俺の心臓を限界まで削り取る、地獄のクエストの始まりに過ぎないということを――。




