第6話 片耳エルフの大魔導士
俺たちは王都の郊外にある古びた館を訪れていた。
門をくぐった瞬間から、空気が少し違う。
庭の隅には壊れた杖や見たこともない金属片が山積みになり、廊下の壁には魔法陣の設計図らしき紙が何枚も貼られている。
研究室というより、工房だ。
「ほう! これはまた、とんでもないのを連れてきたのう。クロエの報告書は大げさかと思ったが、実物の方がよほどデタラメじゃ。……おい、もっと近う寄れ。測定角度が合わん」
薄暗い部屋の奥。
クロエに紹介された『大魔導士ヴァニア』はどう見ても、十歳前後の幼いエルフの少女にしか見えなかった。
頭のてっぺんで無造作に結われた金髪のポニーテールに、長く尖ったエルフの耳。
しかし、右耳は切り取られたように短く、金色の小さな補助具がはめられていた。
額には顔の半分ほどもある大きなゴーグルを乗せ、だぼだぼの作業ズボンと、分厚い革手袋、そして工具の詰まった大きな鞄を腰に下げている。
口には棒付きキャンディを咥えて、ニヤリと不敵に笑っていた。
そして、両手で抱えた大きな水晶玉を、背伸びしながら必死に俺の胸元へかざしてくる。
まくった袖から覗く華奢な腕には、小さなホクロが見える。
(いや、見た目は完全にメスガキなんだけど!? でも格好も目つきも、現場の技術屋って感じなんだが!? なんでこんなのが『伝説の大魔導士』なんだよ……危ない発明家じゃないか!)
内心で全力のツッコミを入れつつ、俺はクールキャラを崩さないよう静かに片膝をつき、彼女と目線を合わせた。
「……感謝する」
「うむ、最初からそうしておればよいのじゃ。被検体は測定者に協力的であるべきじゃからの」
ヴァニアは満足そうに頷くと、水晶玉の表面を指先で弾いた。
淡い光が俺の全身をなぞるように走り、彼女のツリ目がすっと細められる。
「……ほう。魔力量そのものは異常。じゃが本質はそこではないのう。出力だけなら化け物は過去にもおった。面白いのは流路じゃ。増幅、迂回、残留、暴走寸前で均衡しておる」
「流路……?」
「お主、自分の力をほとんど理解しておらんじゃろ」
ヴァニアは水晶玉を覗き込み、次の瞬間、驚愕に目を見開いた。
「なっ……なんじゃこれは。『情動の神威』……!? 感情の揺れそのものを増幅器にして、魔力を指数的に乗算しておるのか。しかも余剰分を肉体強化へ逃がして器の破裂を遅らせる安全弁つき……。設計したやつは正気ではないが、理屈だけ見れば異様に美しい」
(魂が揺れ動くとか、めちゃくちゃ格好いい言い方してるけど、要するに俺が女の子相手にビビって心拍数上がってるだけだよな!?)
「どれ、もう少し反応を見るかのう」
ヴァニアは悪戯っぽく笑う。
「測定用じゃ。口を開けい」
「えっ」
「よいから」
舐めていたイチゴ味のキャンディを放り込まれた。
(っ!!?? ……あれ? 女の子との間接キスの状況なのに、自壊ゲージが上がらない?)
理由はすぐにわかった。
相手がいくら大魔導士でも、見た目が完全に子供なのだ。
異性としての緊張ではなく、親戚の子供に飴を渡されたような「かわいい」以外の感情が湧かない。
俺の心拍数は、驚くほど静かなままだった。
(ふぅ……助かった。俺がロリコンじゃなくて本当に良かった……)
俺が密かに安堵していると、ヴァニアは水晶玉から顔を上げ、じとっとした目でこちらを睨んできた。
「……お主。今、波形がほとんど揺れんかったのう」
「……っ」
「さてはワシを異性として見ておらんな? 子供だと思って気を抜いておるじゃろう」
「そ、そんなことは――」
「あるじゃろ。測定結果がそう言うておる。ワシの飴で心拍変動ゼロとか、実に面白くないデータじゃ」
ぷくっと頬を膨らませて拗ねる姿は年相応にしか見えないが、言っている内容だけ妙に理系だ。
(や、やばい。完全にバレてる……!)
そこで俺は、ハッと気づいた。
今は心拍数が穏やかだ。
つまりステータスは暴走していない。
ということは――今なら普通に喋っても声が衝撃波にならない!
俺は恐る恐る、いつもより自然な声量で口を開いた。
「いや……アンタが子供みたいで、可愛いからだろ」
「なっ……!? か、かわっ……!?」
予想外の直球だったらしい。
ヴァニアの顔が一気に赤くなる。
「お、お主っ、さらっとそういうことを言うでないわ! やはり子供扱いしておるではないか!」
「すまん」
「謝るな! 余計に腹が立つ!」
顔を真っ赤にしたヴァニアが、ぽかぽかと俺の胸を叩いてくる。
その一撃一撃は軽いが、たぶん今のは本気で照れている。
(見た目めも怒り方も完全に子供だなこのエルフ……)
後ろではルミナとセレスティアが、勝手に深い感動を覚えていた。
「まあ……ツナグ様は、伝説の大魔導士様に対してすら分け隔てなく優しく接するのですね……」
「年齢や立場ではなく、本質を見ておられる……なんという器……!」
(違う、今だけ普通に喋れるのが嬉しくて、つい素が出ただけだから!)
俺が内心で全力否定していると、ヴァニアはコホンと咳払いをして表情を引き締めた。
先ほどまでの拗ねた空気が一変し、何百年も生きた大魔導士――いや、真剣な研究者の顔になる。
「……戯れはここまでじゃ。本題に入るぞい。お主の一番の問題は、増幅そのものではない。増幅後に行き場を失った魔力――『残熱』が、排熱も分解もされず体内に溜まり続けておることじゃ」
「残熱……」
「うむ。お主の体は爆発寸前の魔導炉じゃ。このまま蓄積が続けば、いずれ限界を超える。そうなれば――」
ヴァニアは小さな両手をばっと広げた。
「王都ごとドカーン、じゃ」
「軽い言い方で済ませるなあっ!!」
思わずツッコんだ俺に、ヴァニアは「元気があってよろしい」と頷く。
いや、そういう問題じゃない。
「「そんな……! ツナグ様が自爆……!?」」
(あぁ、二人にはパニックで話せずにいたな……)
ルミナとセレスティアが青ざめて息を呑む。
「安心せい。処置の方向性だけなら単純じゃ。溜まりすぎた魔力は、外へ撃ち出して消費すればよい。初歩魔法でもなんでもよいから、定期的に余剰分を吐き出せば爆発は防げるぞ」
「な、なんだ……! それなら自分で使って減らせば――」
俺が希望を見出しかけた、その時だった。
水晶玉を当てたままのヴァニアが「ん?」と低く唸った。
「……妙じゃな」
「どうした?」
「お主の魔力波形、人間のものと噛み合っておらん。位相がズレておる」
「ズレてる?」
「黒く、甘く、ねっとりしておる。底の方に、飢えた欲求みたいなものが沈んでおる……。これは夢魔……いや、もっと根源的な……色欲を司る『大悪魔』の因子の波長じゃ」
ぞわり、と背筋が冷えた。
「ま、待て。アスモデウスって……俺、そんなのになった覚えないぞ!?」
「覚えがあろうがなかろうが、測定値は嘘をつかん。お主の魔力は人間用の魔法陣に弾かれる。位相不一致じゃ。つまり、お主はどれだけ魔力があろうと、自力で普通の魔法を使って排熱することができん」
「う、嘘だろ……」
せっかく見えた逃げ道が、音を立てて塞がった。
(俺、自分で魔力を減らすことすらできないのか!? ていうかアスモデウスってなんだよ! 非モテ童貞の俺が色欲の魔王とか、嫌味にもほどがあるだろ!)
「ア、アスモデウスの力……!?」
セレスティアが息を呑み、反射的に腰の剣へ手をかけ――すぐに己の非礼を恥じるように手を離した。
「し……失礼をいたしました。これほど邪淫な力を宿しながら、完全に理性を保っておられるとは……。ツナグ様は、大悪魔の呪いすら己の内に封じておられるのですね……!」
「お一人で、そんな恐ろしいものを抱え込んでいたなんて……っ」
ルミナまで涙ぐんでいる。
(違う! 俺も今初めて知ったし、ただ女の子が苦手で無口なだけだから!)
だがヴァニアはそんな俺たちの反応をよそに、水晶玉の光を覗き込みながらさらに解析を進めていた。
「しかも厄介なことに、この残熱、ただの魔力だけではないのう。アスモデウスの性質が混ざり、女を惹きつける魅了の呪いに変質しかけておる。お主のそばにおるだけで、感受性の高い女ほど影響を受けやすくなるぞ」
「なっ……!?」
「天然の惚れ薬みたいなものじゃな。本人の意思とは無関係に漏れとるのが最悪じゃが」
(み、魅了!? つまり俺の体、勝手に女の子を寄せて、勝手に俺の心拍数を上げて、勝手に自爆へ向かわせるってことか!? 欠陥兵器すぎるだろ!)
俺が顔面蒼白になる一方で、ヴァニアはどこか面白がるように、しかし目だけは真剣に細めていた。
「まったく。悪魔の魔力を宿す人間など、三百年ぶりじゃ。……じゃが、手がないこともないぞ」
「手?」
「今は自分で吐き出させる手段がないが、別の器へ移す方法なら知ってるぞい。人間の通常魔法では無理でも、悪魔(色欲系統)の魔法なら理屈は通る」
「それって……」
「少々、いや、かなり破廉恥ではあるがの」
ヴァニアはニヤリと口角を吊り上げた。
「サキュバスが使っていたとされる、他者への魔力譲渡に特化した禁式――いわば『サキュバスの禁忌魔法』を使うしか、今は手がないのう」
嫌な予感しかしない単語だった。
俺と、後ろで話を聞いていたルミナたちの背筋が、同時にぴくっと震えたのだった。
(サキュバスの……魔力譲渡!? ちょっと待て、それってつまり……『そういうこと』をするのか!?)
ただでさえ女の子にビビって自爆寸前になる俺に突きつけられた、究極の二択。
俺の平穏なスローライフは、大魔導士の残酷な宣告によって完全にトドメを刺されたのだった。




