第3話 腕一振りで森が消滅!?
視界の隅でステータスが【ERROR】に染まる。
それを理解する暇もなく、グレートボアが地面を蹴った。
「ブモォオオオオオオオオオッ!!」
視界を埋め尽くす漆黒の巨体。
グレートボアの巨大な牙が、俺とルミナの体をミンチにしようと迫り来る。
距離はもう、数メートルしかない。
(待て待て待て待て! 死ぬ死ぬ死ぬ! こっちくんなぁっ!!)
極限状態のパニックと、ERROR状態の負荷で肉体が内側から破裂しそうな激痛に耐えかねた俺は、恐怖でギュッと目を瞑った。
迫りくる巨大な顔面に向かって、「あっち行け」と半ばヤケクソで右手を振った。
直後、腕の軌道に沿って空気が歪み、景色そのものが不自然にへこんだ。
――ドゴォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
瞬間、腕を振った先から地面が裂け、岩が砕け、木々が木端みたいに弾け飛ぶ。
爆風は目に見える壁となって一直線に走り、森の奥まで残らず薙ぎ払っていった。
鼓膜が破れるかと思うほどの、凄まじい爆発音が森に響き渡る。
「……え?」
自分の手に、何かを殴ったような手応えは一切なかった。
ただ、俺の腕が振られた瞬間に「バツンッ!」と空気が弾けるような音がして、その後に爆風のようなものが通り過ぎただけ。
恐る恐る、片目を開ける。
そして自分の目を疑った。
「……は?」
目の前にいたはずの、ダンプカーほどもあるグレートボアの姿がない。
それどころか。
俺の腕が振り抜かれた延長線上――扇状に広がる数百メートルの範囲の森が、文字通り『完全に消滅』していた。
木々も、地面も、グレートボアの巨体も。
まるで巨大なミキサーにかけられたかのように粉砕され、遥か彼方まで続く「荒野」が一直線に出来上がっている。
(……ウソだろ。俺が腕を振った風圧だけで、森が消し飛んだっていうのか……?)
【ERROR】表示まで達した異常なステータスが生んだ、全力の振り払い。
それはもはや物理攻撃ではなく、歩く災害だった。
「ひゃっ!」
あまりの轟音と振動に驚き、俺の腕にしがみついていたルミナがと身をすくめて離れる。
『――対象との接触解除、および心拍数の低下を確認』
『供給停止。全物理ステータスを通常値へ還元します』
(……助かった。内側から弾け飛びそうな痛みが引いていく……)
俺の体を満たしていた万能感が抜け落ち、異常な数値を叩き出していたステータスが一瞬にして一桁の貧弱な数字へと戻っていく。
しかし、俺はウィンドウの「ある一点」を見て、違和感を覚えた。
『【魔力】ERROR → 10(※微量の残熱あり)』
(あれ……? さっきは魔力「1」だったのに、なんかちょっとだけ残ってないか……?)
確かに、体の中のマグマのような熱は引いたが、奥底にジンジンとした奇妙な熱が蓄積しているような気がする。
だが、今はそんなことを気にしている余裕はなかった。
「あ、あの……ツナグ、様……?」
隣でへたり込んでいたルミナが、信じられないものを見るような目で、俺と、消し飛んだ森を交互に見比べている。
当然だ。
腕一振りで地形を変えたのだから。
(待ってくれ、何これどう説明すればいいんだ!? 腕を振ったら森が消し飛んだんだけど!?)
あまりの事態に、俺の思考は完全にフリーズした。
冷や汗を流し、震えそうになる声を必死に押し殺して、とりあえず当たり障りのない言葉を絞り出す。
「……少し、やりすぎたか」
ただの『パニックによる後悔』だった。
しかし、その感情の死んだつぶやきが、さらなる誤解を生むことになろうとは。
その時、背後の茂みから凛とした、それでいて震える声が響いた。
「……信じられん。あのようなBランクの巨大魔物を前にして、一歩も引かず、ただ無造作に腕を振っただけで粉砕したというのか」
振り返るとそこには、白銀の鎧を身に纏い、腰に長剣を提げた美しい女騎士が、呆然と立ち尽くしていた。
「純粋な『身体強化』のみを極めきった、圧倒的な一撃! 貴殿、転移者か……!?」
(そうだけど、本来のステータスはただの村人でビビり散らかしただけだから!)
俺の内心のツッコミなど知る由もなく。
女騎士は、固まって動けない俺を「絶対的な強者の余裕」だと勘違いし、その場に深く膝をついたのだった。
チャキッ
膝をつき、白銀を基調とした硬質な鎧の音が鳴る。
彼女は長剣を地面に置き、臣下の礼をとったまま、白いリボンで結い上げられた柔らかな金糸の髪を揺らして顔を上げた。
切れ長の美しい翡翠の瞳が、熱を帯びて俺を真っ直ぐに見つめている。
その左の頬には、刃物で切り裂かれたような一筋の古い『傷跡』があったが、それが逆に彼女の凄絶な美しさを際立たせていた。
(け、剣姫!? 近衛騎士団の部隊長!? しかもめちゃくちゃ美人!!)
重厚な鎧姿でありながら、胸元の装甲はなぜか深い谷間を強調するように開いており、そこから覗く白い肌がやけに眩しい。
さらに、腰から垂れる純白の腰布の隙間からは、過酷な鍛錬を思わせる逞しくも肉感的な太ももが、惜しげもなく晒されている。
(なんだその、理性を試してくるみたいな鎧は! ていうか美人すぎるし太ももエロいし、直視できない!)
「……なんという、深く冷徹な眼差し。その紫の瞳に宿る真紅の十字……まさしく、世界の深淵を見通す『神話の御仁』にふさわしい、王者の双眸……」
(違う! いや、目つきが悪魔みたいで怖いけど! 女性の前で緊張してジッと固まってるだけだ!)
「申し遅れました。私は王都エルディスを預かる近衛騎士団・部隊長――セレスティア・ヴァンガードと申します。人々からは『剣姫』などと、分不相応な二つ名で呼ばれております」
(け、剣姫!? 近衛騎士団の部隊長!? しかもめちゃくちゃ美人!! なんだその、理性を試してくるみたいなスリット入りの鎧は! ていうか美人すぎて顔を直視できない!)
ドクンッ!!
『対象からの【強い敬愛と好意】を感知。宿主の心拍数・再上昇』
『スキル【情動の神威】スタンバイ――肉体負荷ゲージ:10%……20%……』
(うわあああ! またメーターが上がり始めた! やめろ、俺を見つめるな! これ以上ドキドキしたらまた爆発する!)
「まさか……。このような辺境で、貴方様のような神話の御仁(転移者)にお会いできるとは。……恐れ多くも、貴方様の御名をお教え願えないでしょうか」
「……ツナグだ」
「ツナグ様、ですね。その短くも威風堂々とした響き……。このセレスティア、貴方様の御名、魂に深く刻み込みます」
(いや、『ツナグ』なのに、さっき女の子と手を繋いだだけで爆発しそうになった俺への、皮肉かよ!)
俺はこれ以上のプレッシャー(と動悸)に耐えきれず、ボソッと命じた。
「……立て。騎士が、容易く膝を折るな」
俺の必死のコミュ障対策を受けたセレスティアは、弾かれたように肩を震わせた。
「っ……! 相手が何者であれ、己の剣と誇りだけを信じよ……という教えですね。このセレスティア、貴方様の器の大きさに感服いたしました……っ!」
頬を朱に染め、恍惚とした表情で俺を見上げる剣姫セレスティア。
「やはりツナグ様は素晴らしい御方……!」
そして隣では、ルミナも拝むように両手を組んでいる。
(違う! 頼むから二人とも、そんなキラキラした尊敬の目で俺を見ないでくれぇぇ……っ!!)
俺の自壊ゲージ(と胃痛)は、休まる気配が全くなかった。
「隊長! お、お待ちを……っ!」
息を切らした数人の騎士たちが、茂みから飛び出してきた。
どうやら彼女が単独で先行していたらしい。
「なっ、森が消し飛んでいるだと!?」
彼らはえぐれた森の惨状を見るなり、驚愕して腰を抜かしている。
そんな部下たちを一瞥もせず、立ち上がったセレスティアが丁重に提案してきた。
「伝説の転移者様。これほどの神域の力を持つ御仁を、このまま野に放っておくわけには参りません。どうか私と共に王都エルディスの王城へお越しください。国王陛下も必ずや厚遇――」
(お、王城!? 冗談じゃない! お城なんてメイドさんや姫様みたいな可愛い女の子がいっぱいいるに決まってる! そんなとこに行ったら、俺の心拍数が限界突破して王都ごと吹き飛ばしちゃうよ!!)
俺はスッと目を伏せ、クール系主人公になりきり、いかにも権力に興味がない風を装って短く呟いた。
「……不要だ。俺は、自由に生きたい」
「っ! 世俗の権力や名声など眼中にないということですね……! どこまでも孤高で、素晴らしい御方! では、せめて王都に滞在するための身分証を発行できるよう、冒険者ギルドへご案内させてください!」
「はいっ、それが良いと思います!」
ルミナも嬉しそうに頷いている。
(ふぅ、助かった。冒険者ギルドならまだ異世界テンプレの範囲内だ。さっさと一番下のランクで登録して、目立たず平穏なスローライフを送りたいな……!)
「……案内、頼む」
そうして俺たちは、後から追いついた騎士たちに丁重に護衛されながら、王都の冒険者ギルドへと向かうことになったのだった。




